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75.荒々しい峰の可憐な花木 雲仙

 雲仙(雲仙岳)は、50万年前から噴火を繰り返し、デイサイト・流紋岩の溶岩・火砕岩でできている火山です。標高1347mの国見岳、1333mの妙見岳や、1663~1664(寛文3~4)年と1792(寛政4)年に噴火した1359mの普賢岳、1990~1995(平成2~7)年に噴火した1483mの平成新山などで構成されています。
 行基によって701(大宝元)年に、温泉山満明寺が雲仙地獄のほとりに開かれました。それ以後、古代・中世は修験道の霊山でした。1563(永禄6)年にイエズス会による雲仙半島でのキリスト教の布教が始まり、1580(天正8)年に洗礼を受けた領主の有馬晴信が、温泉山満明寺の社寺を破壊しました。
 その後、徳川幕府のキリスト教弾圧があり、島原天草一揆で37000人のキリスト教徒が処刑されて、島原南西部と天草には無人地帯ができました。幕府は、各藩に命じて各地から住民を集めて入植しました。1792年の普賢岳の噴火では、火山群の東の眉山が大崩落して、有明海に津波が起こって島原と天草で15000人が亡くなりました。1993年の平成新山の溶岩ドームの崩落でも、43名が亡くなっています。

登山路から平成新山を見上げる

 明治以降は、雲仙が欧米人の避暑地として利用されます。1923(大正12)年の日華連絡船の開通によって上海と結ばれると、夏季に欧米の駐在員、外交官、宣教師などが雲仙温泉街に集まり、外国人向けリゾートとして発展しました。
 雲仙は、霧島、瀬戸内海とともに、1934(昭和9)年に日本で最初に指定された国立公園です。国立公園は「同一の風景型式中、我が国の風景を代表するとともに、傑出した自然の風景を有する地域。」から選ばれています。国立公園の最初の検討段階では、同じ複数の火山群で構成されている風景形式では霧島が最も代表的だとして、雲仙は外されていたようですが、外国人向けリゾートとして重要なので最初の国立公園の一つに選定されたようです。

仁田峠にあった案内板の地図より

 深田久弥は、日本百名山の選定基準に、山の品格、歴史、個性をあげています。にもかかわらずなぜ雲仙が日本百名山に入っていないのかは、理解しづらいですね。 
 雲仙を訪れたのは2021年5月2日です。ミヤマキリシマが咲いている雲仙温泉の原生沼、池の原園地に立ち寄った後、仁田峠です。朝は少し雨が残っていましたが、ロープウェイなど使わず妙見岳への登山路を登り、時計回りに一周しました。

妙見岳への登山路のミヤマキリシマ

 妙見岳に登るにつれ、ミヤマキリシマは蕾で、お目当てのヒメミツバツツジが咲いていました。雲仙の標高900m以上では、サイゴクミツバツツジの変種のヒメミツバツツジが咲いています。

ヒメミツバツツジ

 ヒメミツバツツジは、花が小ぶりの3cmで、花の中心部が薄く外が濃いグラデーションがあって、とてもかわいいです。

花の径が3cm

 珠玉の水滴がつくと、益々かわいく見えてきます。

水滴を受けたヒメミツバツツジ

 後ろ姿もすがしいです。

ヒメミツバツツジの後ろ姿

 陽に照らされると、つややかになります。

陽に照らされたヒメミツバツツジ

 ガイド付きの7・8名のパーティーとすれ違ったので、「何というミツバツツジの種類ですか」とガイドに確認したけれども、そこまでは知らないと言われました。ヒメミツバツツジは、あまり知られていませんね。妙見岳の斜面には、このヒメミツバツツジが群生しています。

妙見岳の斜面

 振り返ると鴛鴦おしどりノ池と雲仙温泉街が見下ろせます。

雲仙温泉街を見下ろす

 国見岳の斜面にも、ヒメミツバツツジが咲いています。

国見岳

 普賢岳の北斜面にある風穴です。新しい火山なので、ごつごつとした岩肌が出ており、地形が複雑です。涼しい風が風穴から吹き抜けます。

風穴を通る登山路

 普賢岳の山頂近くの霧氷沢ではヒカゲツツジが群生しています。

ヒカゲツツジ

 オオカメノキも咲いています。

オオカメノキ

 普賢岳山頂から、荒々しい地肌の平成新山が望めます。

普賢だけ山頂より平成新山を望む

 普賢岳の斜面のヒメミツバツツジです。

普賢岳の斜面

 戦乱や災害が繰り返されて、信仰や国際的リゾート等の様々な歴史を背負った雲仙には、荒々しい峰々の中に、可憐な花が咲き乱れていました。雲仙は、品格、歴史、個性が際立った火山でした。


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