68.己高山のユキグニミツバツツジ
著者の住む滋賀県には、里地や低山にコバノミツバツツジ、鈴鹿の標高700mぐらいより上はトウゴクミツバツツジとトサノミツバツツジ、比良山やここで紹介する己高山などの北部の山々はユキグニミツバツツジと、4種のミツバツツジが分布しています。そこで、今までしっかりと紹介していないユキグニミツバツツジを紹介します。
秋田県南部から鳥取県東部までの日本海側の雪国で一般的なミツバツツジは、ユキグニミツバツツジです。ダイセンミツバツツジの変種とされて、葉柄に毛が無いことで区別されますが、普通の人にはほとんど違いがわかりません。
ミツバツツジの多くが紅紫色に対して、ユキグニミツバツツジは桃紅色です。ユキグニミツバツツジは、コバノミツバツツジのように花付きが良くて華やかではなく、花は少なく、背丈は雪に耐えるために2mと低いですが、清々しさを感じさせてくれます。
環境省の現存植生図では、ユキグニミツバツツジ-コナラ群集、ユキグニミツバツツジ-アカマツ群集とされる植生区分が、日本海側の低山には多く設定されています。ユキグニミツバツツジは、植生の特徴を示す標徴種となっています。ただし、第17話の御祓山で記したように、植生図に記されたユキグニミツバツツジがなくて、コバノミツバツツジが存在している例もあります。福井県南部、滋賀県北部、京都府北部、兵庫県北部、鳥取県の低山では、コバノミツバツツジが多く、ところどころユキグニミツバツツジが混在しています。
土屋又三郎 「農業図絵」1717(享保2)年(校注・執筆: 清水隆久 農山漁村文化協会)には、加賀を例に、(旧暦の)3月の冒頭のページに「田方 柴草をはきて田育に仕る」という文字とともに、馬で田畑に刈敷を運ぶ図とともに、下草が刈られた山に、アカマツと、葉が出る前の花だけのヤマザクラとユキグニミツバツツジが描かれています(著作権上 図は示しません)。山の2月の絵にはウメ、4月の絵には葉と花が咲くヤマツツジが描かれています。
さて、2020年5月9日、世はコロナ禍、不当なまでに外出を禁止する情勢など無関係と決め込み、人に会うことなどないので、滋賀県長浜市木本町の標高993mの己高山に登りました。
仏供谷登山口駐車場に車を置いて登り始めると、1合目、2合目・・・と、高時小学校の児童の案内板が目に付きます。
4合目までは、ユキグニミツバツツジは終わりかけており、ヤマツツジが咲いています。
5合目手前に、六地蔵があります。
鉄塔が立っている馬止跡からは、琵琶湖が望めて、竹生島が見えます。
山頂近くに、鶏足寺跡があります。行基が草創して、泰澄が建立し、最澄が再興した鶏足寺の跡です。中世には僧兵を抱えるほど隆盛しましたが、その後衰退し、明治初期には無住の寺となり、残されていた権現堂も1933(昭和8年)に焼失しました。鶏足寺にあった仏像、仏画、古文書は、麓の己高閣《ここうかく》・世代閣《よしろかく》の収蔵庫に移されて、保存されています。また、麓の旧飯福寺が、鶏足寺の名前を継承しています。
石塔が残されて、高時小学校の児童の案内板があります。
この寺跡の庭園やみたらしの跡の湿地には、クリンソウが群生しています。
山頂には、ユキグニミツバツツジが群生しています。
まだ蕾も残っています。
他のミツバツツジでもアリが花の蜜を求めてやってくることはありますが、さほど見かけません。今までの観察からいうと、ユキグニミツバツツジには、アリが着くことが多いです。まだ己高山では少ない方ですが、暖かい日には10匹以上のアリが1輪の花に群がっているのも見たことがあります。
周回できるので、別の道を降ります。イカリソウが、山路沿いに咲いています。
枝路に回り、推定樹齢千年、樹高5m、幹回り7.8mの逆杉の巨木に立ち寄ります。
清々しいユキグニミツバツツジに出会った1日でした。この記事を書き終えて、ようやくユキグニミツバツツジのことを記せて、ほっとしました。