3.花を見に来た人は皆ニコニコしている
著者が今の家を入手して庭を整備したのは1995年からですが、滋賀県内や京阪神の近場を超えて全国各地のコバノミツバツツジの写真を撮り始めたのは、20年後の2014年からです。2014年4月17日に、ともに天然記念物に指定されている、三重県鈴鹿市の伊奈冨神社と、愛知県豊川市の善住禅寺に撮影に出かけました。
2か所目の善住禅寺に着くと、「散っているので、もっと早く来ないと」と言われつつ、住職に温かく迎えていただき、話し込みました。住職は、高校卒業とともに南禅寺で修業して、30歳で実家の寺に戻ってきました。20代後半には、南禅寺の管長の薬膳をつくり、精進料理の腕前を磨きました。戻ってからは、京都から食材を取り寄せて、薬膳をつくり振る舞いました。ただ、南禅寺と同じことを、取り寄せた食材でやっているのも面白くないので、地元の食材を使い始めます。庭の手入れとともに、昔から咲いていたコバノミツバツツジが少なくなってきたので、まずは一人で、裏山の雑木を伐り下草を刈りました。そうこうして何年かたったときに、中日新聞の記者が「薬膳の他にも何か面白いネタがないですか」とやってきたので、「もうすぐコバノミツバツツジが満開になって綺麗です」と伝えると、記事になりました。
善住禅寺は、国道1号線から3.7km離れていますが、その週末は花見客があふれて、国道1号線を止めて大渋滞を引き起こしたとのことです。当時は、駐車場も狭く、道路も細かったからでしょう。コバノミツバツツジは、1991(平成3)年に音羽町の天然記念物に指定され、合併した豊川市に引き継がれました。住職は、寺と裏山が一望できる木組みの展望台を、手づくりでつくりました。隣接する冨士神社の境内は、触発された地元の人が手入れをして、ツツジ祭りが盛大に開かれるようになりました。
住職は、活動の目的を「花を見に来た人は、皆ニコニコしている。花を見に来て喧嘩している人など、誰もいない」と語りました。著者の話を聴いて、「あなたたちは偉い。ツツジを種から育てる活動を、子どもたちと一緒に始めているから」と、励ましていただきました。そして、自生するコバノミツバツツジとともに、うまい取り合わせの花木を植えて、石組や水琴窟と調和する庭を、案内していただきました。
以後毎年、善住禅寺を訪問して、コバノミツバツツジを愛でながら、住職と語り合っています。来訪者が多いと、話は中断することがあり、CATVの記者とともに待たされていたときは、住職の代わりに著者がコバノミツバツツジの名所づくりの経緯を説明しました。
10年間、毎年訪問すると、本堂の中の展示も、庭も、寺の周辺も、ますます発展していきます。本堂には地元のおばあさんたちの手づくりの逸品が並び、庭に新しい石が据えられ、3mを超える石の観音像が立ち、お地蔵さんに前掛けがつけられます。「電柱が邪魔になって寺標を動かせないので、中部電力の地元の所長が上役を連れて挨拶に来られたときに話をきり出すと、上役が『所長 何とかできないか』と言ってくれて、電柱が移されて入口が綺麗になった」とか、「欲しいと思って好みの石の話をしていたら、他の人にも伝わって石が寄進された」とか、人をうまく巻き込んで、ともに喜べる話になります。「これが『諸行無常』です。葬式仏教にしてはいけない」と、真の仏の教えが伺えます。
しっかりとした価値観で是々非々を貫き、「必要ないのに県が『スギを植える』と決めて植えられたけれども、機会を見つけて、適宜伐ってます」とのことで、風景が育つ寺になっています。住職自身も一時ドローンを操縦したとのことですが、適性がないと謙遜してか手放し、私のドローン操縦のアドバイスをしていただきました。
著者は、何の寄進もせず、土産話と、写真やパンフレットぐらいしかお渡ししていませんが、いつも、おいしいお菓子とお茶でもてなしてもらっています。ツツジ話をしながらも、音響設備が万全の本堂で、アンジェラ・アキのDVDを聴かせていただき、映画『ゴジラ-0.1』を見た感想を述べあって、総合芸術に触れながら、とてもありがたい時間を過ごさせていただいています。
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