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noteをはじめて一週間、気づいたこと。「フォローしたくなる記事とは」

noteを始めて一週間が経った。

今日はnoteを初めてみて、感じたことを感じたままに記録していこうと思う。

フォローしたくなる文章には、その人の「経験」と「個性」がある

noteの発信は企業による発信と個人による発信がある。
(まだ登録して一週間なので、この点を完全に把握しているわけではないから間違いがあるかもしれない)

企業による発信は「企業」の情報発信となるので、そこに企業の特色はあれど強烈な個性というものは少ない。
しかし、意外と個人による発信にも、個性を感じられる点が少ないなと感じた。
(※私が登録後におすすめされた記事にそういうものが多かっただけなのかもしれないので、「そんなことありません! noteはこんなにも個性的なクリエイターの記事であふれています!」と、おすすめやご意見があればぜひコメントで教えていただきたいです)

もちろん私も強烈な個性を記事で発信できているとは思っていない。
しかし、それにしてもお行儀のよい記事が多いというか、まるで「水」のような、無味無臭で毒にも薬にもならない文章が多いと感じてしまう。悪くいってしまうと、読んでもあまり記憶に残らないのだ。
このような文章に思い当たるところがある。AIが出力する文章だ。

AIが出力する文章は要点がわかりやすく、基本的に文章も読みやすく整っている。
出力に対して強烈な個性を指定しなければ、大体説明的な文章が出力される。
noteをはじめて、おすすめされる記事を読んでいてそんな印象のものが多いなと感じることがあった。

そのような文章は、個人的には好きでも嫌いでもなく、AIの文章を記事にすること自体も別に私は反対しないが、ただnoteで発信するには「もったいない」なと感じることはある。
なぜからAIで出力されるような文章・情報は、私はAIに聞くからだ。
AI的な内容と文章をnoteで発信されても、記事を開いて読もうとは思わない。情報が必要な時に、私はAIにチャットで聞くだろう。その方が早いし……。
だからせっかくの情報発信の場であるnoteで、わざわざAIのような印象に残らない情報発信を行うのはもったいないな、と感じた。

しかしこの点は、それも含めてnoteとは自由な情報発信の場ということだろうか。

ただ、私自身がAIに聞けば解決するような内容に興味を持たない、ということに気づいたとき、私が読みたいと感じる個人の情報発信は、その人の「個性」と「経験」だということに気づいた。誰かの「経験」を通して、私もまたその知識を得ることができるし、興味を持って学ぶことができる。
そういう話を書く人は、私もフォローしたくなるのだ。

私自身が発信すべきものも、そうであるべきだろう。
それに気づけた一週間だった。

それを実践するのは、なかなか難しい話ではあるのだが……。

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