フォロワーが増える文章は「恥ずかしい」から生まれる
先日、note記事が書けないと悩む人がこう言っていた。
「文章で自分のことを書いて発信するのって恥ずかしい!」
わかる。
とてもわかる。私は冷静な顔をしてその言葉を聞きながら、心の中では数百回くらいは頷いていた。
自分の経験からの情報発信というのは、成功体験だけではなく、失敗や葛藤などの悩みも時に発信することになるだろう。
(もちろん成功だけを発信してもいいが、それだけだと共感性が薄まり、読者に参考にされづらくなる可能性もあるので注意したい)
失敗談を発信することで、自分がどう思われるのか、気にしてしまい恥ずかしくなる……そんな気持ち、私にもあるから理解できる。
ところで私の書いたnote記事で、この記事がコンスタントにいいねを貰っていて人気だ。
(コメントまで頂いていてとても嬉しいです、あらためてありがとうございます!)
できれば読んでもらえればうれしいが、記事の内容を簡単に、3行で説明しよう。
noteを始めて感じたのは、個人の経験や考えを率直に書くことで、より人の心に響く文章が書けるということ。AIのような無味無臭な文章ではなく、自分ならではの視点やストーリーを共有することが大切だと気づいた。
こういう内容だ。
noteでの発信は基本的に自由だ。
だから別に、無理に自分のことを発信しなくてもいい。
それでも多くの人たちが、仕事で失敗した経験や趣味で得た知識などの「自分の体験」を、情報として(時に有料化までして)noteで発信する理由はなぜなのか。
それは、やはり書いている人たちも、読んでためになる、誰かにとって価値ある情報発信とは「自分の体験」からのものだとわかっているからだろう。
(他にもデータ分析等の記事でも価値ある情報の発信も可能だろうが、それにも経験とスキルが必要となる。逆にいえば、それらを必要としない、最も簡単に価値ある情報として提供できるジャンルが「自分の経験」ではないかと思う)
だから私もできるだけ、このnoteでは私自身の経験からの情報発信をおこなうように心がけている。
本音を言えば、私だってできればAIで出力した記事で情報発信したい。その方が時間もかからず、楽だから。
だけど、私がAIを使って出力できる程度の情報は、他の誰でも同じことができるはずだ。そこに「誰かに選ばれる」ほどの価値が存在するだろうか?
(ちなみに私は文章を書くのにAIを使うのは反対の立場とかではなく、むしろAIを使うのが好きだから、たとえばおおよその文章の流れの提案や、書いた記事の添削等では積極的にAIを活用している。AIはそういう利用がベストだと、私は思う)
インターネットで膨大な情報があふれる現代、発信される情報はユーザーが好きなように取捨選択できる。
その中で選ばれる情報とは、その人の悩みを解決したり、新しい視点を与える、そんな価値ある情報だ。
そのような情報の発信は、やはり発信する人の「経験」と「個性」という付加価値と共に、その人自身の経験から生まれるものだと私は思う。
たくさんの発信される情報の中で「人に選ばれる」情報を発信するために必要な、「読まれる記事の書き方」をマガジンで連載中です。
よろしければこちらも、どうぞ。
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