私と高速道路 ー年間走行距離30000kmの恋ー
「次いつ来れるんがけ?」
パソコンの画面に映る小さな男を眺めながら夕食を取っていると、必ず不満そうな顔でそう聞かれる。私はこの時、岩手県のど真ん中にいてパソコンのskypeを通してビデオ通話中である。そして画面の向こうであたかもすぐ隣の県に住んでいるかのように簡単に言ってのけるこの男は石川県金沢市にいるのだ。お前はここをどこだと思っているんだ、そんなに言うならどこでもドアを見つけてきなさいよと返答するこの不毛なやり取りを何万回繰り返しただろうか。
ふたりの間にある距離は760km、しかも直ではたどり着けないような交通の便がすこぶる悪い土地である。飛行機や新幹線だと交通費だけで破産する恐れがあるし、夜行バスで行こうにも仙台バスターミナルまでの交通手段が問題だ。経済的な負担をかけず頻繁に会う最適な方法を考え抜いた結果、自家用車で岩手ー金沢間を行き来するという手段に落ちついてしまったのだった。彼は持病の関係上様々な制限があったため、私は1か月に一回(それ以上になる時もある)自家用車で石川県金沢市に通う羽目になった。せっかく北陸に行くのだからと石川県内あちこち走り回り、能登や加賀まで足を伸ばし、さらには福井県や富山県にも観光に行ったり、ワンチャン行けるんじゃねと頑張って京都府や岐阜県にも遠征したりするものだから1回の行き来で走行距離は2000kmを軽く超え、最大2500kmなんてのは普通だった。760kmも走ってきたんだから300kmなんて近い近い余裕!ともはや感覚も狂ってくるのだ。年間走行距離約30000kmにもなり、私の青い新車アクアはオイル交換のペースも爆速で地元のガソリンスタンドスタッフを驚かせていたのは言うまでもない。
どうにかこうにか木・金・土・日・月といったように休みを調整しては、無理やりに4~5日間の連休を作り出すところからはじまる。習慣化とは怖いもので、慣れすぎて感覚が麻痺してきたのか、最悪3日間あれば行き来は可能であるくらいの勢いで足しげく通ったものだ。朝荷物を車に積んで家を出て仕事に向かい、仕事を終えたら給油をしてそのまま釜石自動車道をひたすら走って花巻JCTから東北自動車道に合流する頃にはすでに辺りは真っ暗である。それでも仕事着のままアクセル全開で走り続けられるのは、ハンズフリーで彼と通話をしながら運転しているからだ。イヤホンからやたら明るい声で私の運転を心配する言葉や励ましが聞こえてくるのだが、不安そうなフリをして喜びのあまり背中に羽が生えていそうな感じが伝わってくる。一度走り出したらなかなか止まれないのは、一度でも走るのを止めるとそこで心が折れてしまいもうアクセルを踏みたくなくなってしまうからだ。
岩手県も長いが宮城県を通過するのもなかなか長く、県境付近では電波が途切れて圏外になる回数も増える。どこで電波が途切れるのかを大体熟知しているので「そろそろ切れるから」などと先に言っておくと過剰に心配されないことを何度目かで学んだ。1回目の休憩は福島県にある安達太良SAで取ると決めていた。ここまで来る頃には大体23時近くになっていて、気が付くと交通量もぐっと減るのだ。もうすぐ東北自動車道とはお別れであり、いよいよあの魔の磐越道が私を迎え撃つ。福島県と新潟県を結ぶ道路で、日本を横一文字に突っ切るように県境にある深い山々を抜けて行かねばならない。ほぼ一車線の細い道路で、後続車や対向車はハイスピードで走る運送業のトラックしかいないため、緊張感でハンドルを握る手に力が入る。長いトンネルも多く、携帯の電波は途中から絶望的な圏外。何より心細いのはこれまでずっと通話していた彼がこの辺りで寝てしまうため、たった一人で深夜のラジオやダウンロードした音楽を心の支えに走らなければならない。まだ半分にも達していないのに「きいつけまっし」と軽々しく言わないでもらいたいものだ。朝起きたら愛しい彼女が目の前にいるのだから幸せな気分でとっとと寝てしまう。翌日普通に仕事に行く彼は当然寝なければもたないので仕方あるまい。だがしかし、頭ではわかっているつもりでも心が追い付いてこない。安達太良SAは、このまま引き返してやろうかと怒りと心細さが複雑に入り乱れる私を送り出す東北最後の砦なのだ。仕事着から最もリラックスできるジャージに着替え、ユンケルをぶち込み気合を入れるのだった。
深夜の磐越道はとても危険な道路である。晴れていればまだ見通しはきくが、大雨や雪が降るとボイスレコーダーに遺言を残そうかと思うほど死の危険と隣り合わせであった。私の目は暗闇に十分適応しているし、ゆっくり走ろうと思っても後ろからハイスピードで追い上げてくるトラック運転手がそうはさせてくれない。追い越し車線もなかなか現れてくれなかったので、慣れないうちは泣きそうになりながら走ったものだ。そんな深夜の磐越道にも適応し、前のトラックに舌打ちするようになるまでそれほど時間はかからなかった。粗相をした車には容赦なく罵声を浴びせたり、念を飛ばしたりして気を奮い立たせて走る。一度でも来た道を振りかえると後悔の念で押し潰されそうのになるので何が何でもここはノンストップで突っ切るのだ。
もうここまで来たら引き返せない気持ちになるような場所、それは磐越道終盤にある阿賀野川SAであり、ここはもう私の知る東北の地ではなくなる。阿賀野川SAに降り立つと、東北では感じたことのない湿気をおびた重たい空気に押し潰されそうになる。新潟・北陸グラビティはまるで東北民の私を拒絶しているように思えてならなかった。取り乱しそうになる精神を何とか落ち着かせようと、30分ほど休憩を取ることにしていたので見知らぬトラック運転手から声をかけられ、謎に仲良くなったりすることが多かった。この辺から岩手ナンバーをつけた車が物珍しくなってくるので、三度見される視線を感じたり、車の前に立たれて指をさされたり、「姉ちゃんすごいな!岩手からきたん?」と声をかけられ立ち話するのも気が紛れて救われた思いになった。ここから周囲で話されている言葉が西日本風へと変わるのである。誘惑も多かったが、とっとと車に乗り込んで北陸自動車道に向かってスタートするのだった。
余談だが、大雪で磐越道を途中で下ろされて曲がりくねった雪深い峠道の一般道を走るはめになったことは一度や二度ではない。さっき自分を追い越していったトラックが横転しているのを見ることだってザラにあったし、何台もスリップして道路の横にひっくり返っているトラックや乗用車を見て震えながら必死に走ったこともある。さすがに覚悟してボイスレコーダーに彼や父に向けたメッセージを録音したものだが、冬の磐越道で経験したことだけは未だに夢に見るほどトラウマになっている。1月2月は新潟県で一泊することも多かった。
新潟・北陸自動車道に入ってしまえば道路は広々として完璧に整備されているし、携帯の電波は回復するため気持ちは徐々に安定する。ひたすらまっすぐ左側を同じ速度をキープして走り続けるだけであるが、これが眠気と体力との勝負であり実はここからが辛い。広大な田園風景と日本海が近いとはいえ、深夜では何も楽しめないわけで、うんざりするほど変わらない景色にどこまでいっても一向に新潟県から抜け出せない感覚になる。私を富山石川にやるのがそんなに嫌なのか新潟県は!と勝手に憎たらしくて何がコシヒカリだ、何がステンレスブランドだと看板を見るたびに悪態をついていた。ちなみに帰路になると新潟県のSAPA満喫しまくりで、あんなに悪口を言った自分を棚にあげて名物を根こそぎ味わっているのだから相当都合のよい話である。往路ではそんな余裕は一切ないので、日本海の絶景を楽しめるはずの名立谷浜SAのみに立ち寄り、私の知らない潮風と真っ暗な景色だけを眺めては軽くストレッチや眠眠打破を過剰摂取して無心で車に乗り込む。ここで無駄に感情を動かしてはエネルギーを消耗してしまうので、余計なことは一切考えずただただ無心で右足を踏み続ける。ラジオはスクールオブロックからやまちゃんのラジアンリミテッドに変わっている。やまちゃんの軽快なトークは私の眠気を時々吹き飛ばしてくれるので多いに助けられたのだった。
みなさんは北陸自動車道の新潟ー富山間に存在する全26本のトンネルをご存じだろうか。よく見るとトンネルの入り口に「1/26」と書いてある小さな看板が取り付けられている。短いものは数秒で通り抜けられるが、長いものだと何キロも続く。トンネルのなかは比較的明るく広々としていて、巨大な扇風機が天井に取り付けられていて、まるでアクション映画に出てくるような光景でグッとしたのを覚えている。ここで玉突き事故にでもなったら私はどうすればいいのだろうか、あるいは突然トンネルが崩壊して土砂で生き埋めになったらどうすればいいか、などと想像してはどうやって生き残るかを真剣に考えながら走る。あと10本、あと8本、あと3本…指折り数えれば愛する男に会えるカウントダウンである。いや実際トンネルをすべて超えても先は長いのだが…新潟県の朝日を通る頃には夜明けが近い。元カレの新潟県がなかなか別れてくれずに苦労しているところを、夜明けとともに新しい彼氏の富山県が元カレの新潟県と私を引き離して迎え入れてくれたような気がした。やっと富山県とひとつになれてひとり車内でガッツポーズを決め雄叫びをあげている私を想像していただきたいところだ。
新しい彼氏の富山県は短くて好きだ。辺りが明るくなってくるのに合わせて露わになる見たことのない標高の山々が立ち並ぶ光景に何度でも感動した。これがあの立山連峰か!!!こちらから見ればもはや壁である。私が普段見ている奥羽山脈とは比べ物にならないスケールである。これに比べたら岩手山や東根山はなんて小ぶりであろうか、見事にちっぱいだ、完敗である。おわかりいただけると思うが、この辺りにくると思考はすでに崩壊してきてうっすら変な笑みを浮かべながら意味不明な言動をしはじめている。独り言が多くなり、見るものすべてが下ネタに見えてきてゲラゲラ笑ったり、他の走行車に話しかけたりアフレコを当てたりしだす。もはや眠気など感じない、右足もパンパンで感覚が鈍い。バンド名すら知らないような洋楽デスメタルを聞きながら髪を振り乱してヘッドバンギングした直後に無表情でただただ壊れた人形のようになったりをひたすら繰り返しながら、最後の休憩ポイントである有磯海SAにたどり着く。
私のせめてものこだわりで、有磯海SAまで絶対ナビをつけないことにしていた。最初からナビをつけて現実の距離を直面させられながら走ってしまうと絶望しか感じないと思い、常にそうしてきた。私の記憶が正しければ有磯海からだと残り100キロを切っているはずなのだ。最後の正気を振り絞って期待をこめてナビに彼の住所を打ち込み、ナビを開始する…。愛しい男の元まで残り…
「ピッ!目的地まで86キロです」
容赦なく突きつけられる現実に膝から崩れ落ちる私。まだ86キロもあるのか…!!すでに満身創痍だ。何が白えびだ!!何が富山ブラックだ!!三陸のホヤ爆弾投下してホタルイカ絶滅させてやるぞ!?お前も私をしつこく引き留めるのか富山県!!!勘弁してくれ、すでにこちらは体力気力も限界を越えている。てかあいつまだ起きないのかよ!!少しは早起きして電話をよこすくらいの思いやりはないのか!!私はいま元カレになろうとしている富山県をどうにか自力で振り切ろうとしているのに呑気に寝やがって。憤りつつも有磯海SAのトイレで着替え、顔を洗い歯磨きを済ませるのだ。夜明けをすぎた早朝、SAには一般人がちらほらと歩いており、みな北陸の言葉を話していてより一層孤独感を引き立たせる。本当に何を言っているかわからない、まるで外国に来たような気分なのだ。岩手ナンバーの青い彗星とともに私は急に何だか肩身が狭い思いをする。ここでようやく我にかえり、昨日岩手を出てから夕飯を食べ損ねているという重大な事実に気がつくのだった。超腹減った。白えびバーガー?白えびコロッケ?店まだ開いてないじゃん、ひどいよ富山県。富山のバカヤロー。うそ、ごめんて。帰路はご機嫌で名物を食べ尽くし、買い物しているからどうか勝手を許してほしい。負けるな!私はホーリーアクア!東北魂はこんなところで滅びるわけにはいかんのだ。
「いまどこにおるん?」などとすっとぼけた電話を寄越すのは、私が元カレの富山県に別れを切り出して石川県へと変わるトンネルをすぎる頃だ。さっきまで髪を振り乱し怒りを通り越して怨念に変わりそうだったのが一気に愛情へと方向転換する。いかに大変だったかを一通り彼に伝えて「がんこな〜、大変やったね、頑張ったやん」と言わせると多少気は収まるような気がした。右足の感覚も戻ってきたような気がする。10~11時間経過してやっと高速道路から解放される。金沢東ICを降りた辺りでふたりそろって「キターーーーーー!!」と歓喜の雄叫びをあげるのが恒例だ。バイパスをひたすらまっすぐ、すでによく知った見慣れた町並みを横目に、左側にあるまいもん寿司の横を通っては「お前待ってろよ、カワハギ肝のせ!!絶対食いに行くからな!!」と指をさして宣言するのも恒例なのだ。
彼は一応アパートの前に出てきて外で出迎えてくれた。事情を知っている不動産屋のご厚意によって数日分の駐車料金を分割で支払うことになっていたため、ここに停めろと目をこすりながらジェスチャーする彼に、呑気に寝てやがった奴とちょっと怒りが再燃してこのまま引いてやろうかと一瞬迷う。こちらはすでに満身創痍どころか、全身バラバラに引き千切れそうだ。彼が扉を開けても私はすぐには車から出られない。こちらは正直再会の喜びを味わうどころではなく、マジでからだが痛くて瀕死状態なのだ。ひとりで羽が生えたようにスキップして荷物を引っ張り出して運んでいる彼の後ろを、びくたらびくたら足を引きずって歩く私に彼が振り向いて一言。
「朝飯なに?」
ふざんけんな、とりあえず私は寝る。そこをどけ。…えーんな!わかったわかった、何か作ればいいんでしょう。あとで金城温泉つれてってよね。
私の人生最大の自慢は、金沢市内にある洋菓子店「メープルハウス」で販売しているさくさくシューの毎月変わる季節限定クリームを、岩手県に住みながらも1月~12月すべて食べ制覇したということである。恋人になって1年目の2月だけ高速道路が止まり行き来を断念したため食べに行けなかったのが、後でのたうち回るほど悔しかった。バレンタインでチョコクリームだったのに!!!それ以来、高速道路が止まろうがなにしようが意地でも金沢にたどり着き、毎月1回必ず食べにいったのだった。目的が彼氏に会いにいくためというよりは、メープルハウスでシュークリーム食べる優先で意地になっているのは言うまでもない。
また、長いこと年間走行距離30000kmをキープし続けていたが、何度危険な気象条件に遭ったとしても、道中一度も事故を起こしたことがなかった。無事故無違反を貫き通し、危ない事件にも巻き込まれたことがない。フロントガラスの飛び石が1回、タイヤのパンクが1回という奇跡。私の岩手の青い彗星、ホーリーアクアの燃費表示はリッター最大47kmを記録した。
私の愛情深さは北陸一、東北一であると胸を張って言える気がする、ウソのような本当の話である。