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私とコインランドリー

 私はコインランドリーが好きだ。
 昔住んでいたおんぼろアパートのすぐそばにあった古いコインランドリーを思い出すのかもしれない。雑居ビルの1階にある狭くて小汚ないコインランドリー。錆びた丸いパイプ椅子が2つか3つおいてあるだけの簡素な店内で、乾燥機の轟音と店内に流れるローカルラジオを聞いてボーッとする。床に無造作におかれた灰皿にたばこの吸い殻があふれていて、缶チューハイやカップ焼酎の空ビンが転がっているこの治安の悪さも、薄暗くて少しカビ臭い感じもグッと来ていた。

 学業にアルバイトに、とにかく忙しかった時期は寝る暇もなく働いて勉強して働いて勉強しての毎日だった。コインランドリーにいる時間だけ、ぐるぐる回る洗濯物をボーッと眺める。強迫的に勉強していたこともあって唯一ボーッとするのを許せる時間だった。他人が回した洗濯物がぐるぐる旋回しているのも楽しめた。常連客同士、なんとなく短い会話がはじまるのもエモい気がしていたし、仲良くなって一緒に飲みにいくようにもなったりしたこともあった。あのクセ強な人たちは今ごろ元気でやっているだろうか。

 6畳一間のアパート2階、ベランダはなく、洗濯機を置くスペースもない家に住んでいたため、コインランドリーをよく利用していたのだ。コインランドリーは全自動のものと、2層式のものがあって全自動は料金がかかるけど、旧タイプの2層式は無料で使えた。きっと汚れがひどいものや、靴なんかを1回洗って泥をおとしてねという意味で設置されたものだけど、みなこぞってその無料の2層式で洗濯を済ませていた。現実きれいな洗濯槽ではない、何を洗ったかわからない恐怖も感じながら常連客同士譲り合って「脱水かけている間洗濯していいよ」と声を掛け合うコミュニケーションが自然と生まれた。時間によっては飲んだくれの常連客が床で眠り込んでいるのを起こしたりする。「おっちゃん洗濯終ってる。出しておくよ、ちゃんと起きて風邪引くよ」そんなやり取りをすると、次に行ったときには缶コーヒーやつまみをくれた。

 冬の間は暖を取ったりした。コインランドリーの乾燥機の熱でほんのり店内があったかくなるからだ。灯油代の節約だと思って夜になったらそこでレポートを仕上げた。乾燥機にぴったりくっついてブツブツ英文訳していた変な人だった。洗濯物を取りに戻ってきた人はさぞかし気味が悪かっただろう、あのときはごめんね。

 乾燥機の火力が不安定で、時々衣服が燃えるんじゃないかと不安になるくらいの強火の時もあれば、いくら回してもなかなか乾かない時もあって、無人だから文句もいえないわけで。「乾かない時はこれ使って時間延長して」と小銭が入ったかごが置かれていた。全自動の洗濯機の料金はケチるくせに、誰ひとりそこにある小銭を盗もうと手を伸ばす常連客はいない。絶妙に矛盾した行動に勝手にロマンを感じていた。それなのに床を汚すんだよここの人たちは…。善人なのかそうでないのか不明瞭で謎の信念がある面倒な人たちだ。あの世にいったら裁判官が困るでしょうに…。

 そんな治安の悪さだから普通の女性の利用客は少ない。いるとしたらカップルか、近所の独居ばば様たち、そして夜の蝶たちだった。コインランドリーが入っている雑居ビルの上は夜の蝶々たちの住みかであり、明け方近くになると色鮮やかな蝶々が一人ずつ降りてくる。メイクは落としているけど派手なネイルと黒い網タイツ率が異常に高いからすぐに夜の蝶だとわかる。片手で携帯、もう片手で髪の毛をくるくると指でいじっているのが特徴で足を組んで丸パイプ椅子に腰かけている。不機嫌な蝶は納得がいかないことがあるとゴミ箱や壁、乾燥機を蹴ったりする。大声で携帯の向こう側に怒鳴り散らしているときもある。どんな話をしたらそんなテンションになるのか気になり耳をそばだてたりしたら「なに見てんだよ」とか怒鳴られたりしたけどフル無視でそばにいた。あのときは逆に蝶の方がこわがってたよね、ごめんて。

 何回か目には違う女性と来るカップルも見ていて楽しかった。気をきかせて「あれ、この前は違う女性でしたよね」なんて言いたくなるのを我慢したものだ。私に気づくと女をとっかえひっかえしているその男性は気まずそうにしているからなおさらガン見してしまうよね。

 時を経て、今時のコインランドリーは小綺麗になってしまった。広くて明るい店内、最新システムの機械、安定した火力の乾燥機、スニーカー用の洗濯機や乾燥機まである。ご丁寧に座り心地抜群のソファもあるし、ご自由にお読みください的な雑誌までおいている。場所によってはカフェが併設されていたり、キッズスペースまである。ただどんどん値段は高くなっている。洗濯乾燥まで全自動のドラム式は1回1000円〜1,500円もする。便利ではあるけど、なんだか私には快適すぎる。かび臭いなんてことはなく、ふんわり優しい洗剤のいい香りがする。

 あの古びたコインランドリーがあった雑居ビルは取り壊されてしまったらしい。青春を過ごしたあの空間と、そこで出会った人たちとの思い出、気づけば人間観察と勝手な妄想グセがしみついてしまって現在に至る。私の精神年齢はきっとあそこで止まったままになっているのかもね。

 いまでは現代のコインランドリーで働いている私。副業のひとつだけど、とても満足しているし幸せだ。こちらを本業にしたいくらいに足しげく通っている。常連客の顔を覚え、世間話を楽しみ、また勝手な妄想をふくらませている。なんなら無駄にソファに座ってじっくり他人の洗濯物が旋回しているのを見つめてくつろいでいたりする。

ごめんて










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