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私と夏休みの工作

 昔の父と母は同じ大学の剣道部で出会ったそうだ。2年先輩の父はすでに彼女っぽい女性がいたが、いまでいうサークルの新勧で周囲がざわつくほどに美人であるミニスカートの女子に一目で恋に落ちたそうだ。映画『ある愛の詩』のヒロイン女優アリ・マッグローにそっくりだったと言っていた。彼女がいるにも関わらずアタックして大変な修羅場を経験することになり、当時1年生だった母は上級生からの過酷な嫌がらせに対して3倍にして返したとニヤついていた。強い、強すぎる。そんな超絶強気な母にすっかり依存的になった父、どうやら彼は正真正銘Mなのだろう。父も幼い頃から剣道一筋なのだから、その素質は十分なのだと思っている。母にはいつも2本負けなのだ。

 なぜ結婚したのか、と母に聞いたところ「消去法にきまってるじゃないの。真面目で根がやさしいってのは当然条件。女遊びはしない、たばこものまない、ギャンブルしないの家訓をクリアしたし、真面目に稼いできそうだから」と言ってのけた。そして「よけいなことを言わないでおく賢さは尊敬する」とだいぶ限定的な言い方で表現した通り、確かに父はそういう人である。県内の一番頭がよいという高校を出て国立大学に入学、母と交際したことがきっかけなのか不明だが、工学部なのにいつのまにか母の隣の席で教職過程を受けていたそうだ。

 教員となり、真面目がゆえに仕事に没頭してほとんどまともに家に帰ってきたことがない。朝早く学校に行き、夜中になってから帰ってくるらしく、土日は部活動の遠征やらで不在になるため、幼い頃はほとんど顔を会わせたことがなかった。何かあればすぐに学校にかけつけるし、家庭訪問にも積極的に出掛け、警察やら病院やら生徒のために足を運んでいたようだ。現役を退いた今でもあのときは助けてもらいましたとあちこちから贈り物がある。いまでは考えられないほどしっかり先生だった。高校も夏休みになると、いくらか時間ができるのか毎日部活動にでかける時に一緒に連れていってもらった。

 正直父とはたいしては好きも嫌いも思わないほどの距離感だった。私が物心つくような年齢になったときにはすでに激務であり、出世街道まっしぐらのエリートだった。工業高校の教員なので教える教科はなんだかよくわかっていなかったが、総じて理数系となんとなく理解していたので算数の先生だと思っていた。さんすうのテストの点数が悪いと怒られるし、因数分解では超体育会系スパルタ教育を味わった。明るくて陽気な父ではない、家でもどちらかというと寡黙で厳しい生徒指導の先生という感じだった。

 私たちきょうだいが夏休みに入ると、父は「今回は工作にするか、研究にするか」とひとり興奮しだす。機械科専攻の教員、アイデア満載の自由工作にはすばらしく自信があるのだ。特に父が得意としたのは、お菓子の缶のような薄い金属素材を加工した動くおもちゃや、針金細工で立体感を出すインテリア作品だった。独創的なアイデアで、ここを引っ張ればあっちが動く、ここを回せばあっちが飛び出すといったような、子供心くすぐる作品ばかり作り出すもんだから、一緒に作っていると発明家になったような気分になって興奮した。手元がそこまで器用に動かすことができない子供だったから、作業中父の舌打ちは一切聞こえないふりをしてね。怒られていてもワクワクした気持ちの方が勝った。工作キッドなど一切使わない、材料から製作法まで完全自作の工作なのだ。どの作品も手動で動かすことができるので動力は自分、一生遊べるおもちゃというコンセプトを大事にしていたらしい。できあがった作品を夏休み明けにみんなの前で披露して歓声を浴びる想像をして、夜も眠れなかったのを覚えている。毎年次々と新しいアイデアを生み出すから、来年は何を作ってくるの?と同級生や先生にまで期待されていたほどだった。

 お菓子のギフト缶や金属素材は工作に使うから捨てずに取っておくよう言われていた母や祖母は1年間も保管しておくスペースがないとぼやいていたがおかまいなしである。激務で忙しい父にとって子供とふれあえる唯一の機会だと思っていたのかもしれない。昔から瓶のなかに小さな船の模型を組み立てていくボトルシップや、極小ジグソーパズル、仕掛けがあるからくり木工細工を趣味としていたようだから、手先がおそろしく器用なのだ。激務で自分の趣味を楽しむ時間がない父が、子供の夏休みの製作を通して自分の好きなことに夢中になってストレス発散していたのだろう。読書以外明るくて派手でミーハーな母には「根暗!!オタク!!」と一喝されていたのだが、父は控えめながら地道にコツコツと積み上げていく情熱をもつタイプの人間だった。

 ある小学低学年のときに作った『お花ばたけ』という作品が県大会を勝ち抜き、全国大会まで行くことになった。詳しい仕掛けは忘れてしまったが、たしか縦長のお菓子ギフト缶を立てた状態で、上部に複数穴を開けてすべて針金を通して箱のなかで1つの軸に巻き付けて、えんぴつ削りのように取っ手つけて回転させる。するといたるところから突き抜けた針金たちが上下に飛び出したり引っ込んだりする仕掛けだ。そこに蝶々や蜂、トンボの絵を書いてくっつけ、閉じた箱の表面に花畑を描く。取っ手を回すと、虫たちが飛び回るように上下する、という仕掛け箱だった。私と父がつくった作品の仕掛けを応用させて兄はウミガメを作ったというか作らされていた。ウミガメの頭や手足、尻尾が似たような仕掛けでパタパタと本物の動きを実に見事に再現したものだった。きょうだいそろって全国大会に選出され、最優秀賞までいかなかったが、入賞できた記憶がある。私たちのアイデアではない、あきらかに父のつくった仕掛けだが、子供心に怒られながら苦労してつくったかいがあった、家族も友達も学校の先生も喜んでくれたのが嬉しかったし誇らしい気持ちになった。

 学年が上がるにつれてレベルがあがっていき工作ではなく、とうとう自由研究になるのだ。工学部出身の父が考える研究は、たとえば塩分濃度による結晶のつきかたの違いとか、障害物による風の通り方の違いだとか、テーマもかなり本格的なのだ。研究計画書を練るところからはじまり、仮説・実験・結果・考察と続いていく、まるで大学の卒業論文のように取り組むのだから父との時間も増える。ここまでくるとそんな時間は増えてほしくないのだ。実験データを表やグラフにして実物を写真に取る。そしてどでかい模造紙を買ってきて、マッキーペンを使って論文を書いていくのだ。自分の身長よりはるかに大きい模造紙に這いつくばって、はじめに・目的・方法・結果・こうさつと順番に書いていく。1字でも間違えると横から怒鳴られるのは鉄板だ。学会のポスター発表のように、掲示するためのものだからこのような形式で書くのだが、ノートにえんぴつで字を書くよりも難しいのだ。マッキーのペンの先の形状では文字の太さが不安定になってしまう。だからこそ今では誰よりマッキーのペンの扱い方をマスターしていると自負している。大きな模造紙は毎回5枚以上になる大作となり、学校の先生を困らせていたと思う。あれを提出されても発表する時間も限られているし、迷惑なのではないかと今では思うが、やはりそれなりに大きなコンクールで賞を取ってしまうのだ。その度に人前で発表しなければならないので、発表の練習も父の前でびびり散らしながらやるのだ。それで度胸がつきすぎたのか、今ではすっかり空気を読まないふりをして嫌味な人間を追いかけまわすことができるのだろう。立場が上だろうが下だろうが分け隔てなく追い回している。人間は平等だ。嫌がらせには嫌がらせをもって返さねばならない、やられたらやり返す3倍返しだ!!返り討ちにしてくれようぞ。

 そんな父だったが、老いたもので孫には甘い。姉の子供にはとてつもなく甘いのだ。夏休みの工作も、いいんだいいんだ学校さえ行っていれば偉い!あまり頑張らせすぎないようになどと言っている。老いたな父も。母を失ってすっかり弱々しくなりよって…母とは異なるタイプだが気が強く主張が強い兄嫁につつかれてマゾヒズムを満たしているのが救いなのだろう。母よ、あまり長くひとりにしない方がいいと思うよ、ASAPで迎えにきてあげてくれ。

両手で大きな工作を抱えて歩く小学生を見て、自分の小さい頃のことをふと思い出したのだった。一方で夏休みのドリルとひとり勉強ノートは1ページもやらないで踏み倒してきたことはまたいつの日か話題にしたいと思う。読書感想文と工作・研究にそれだけ時間と労力を割いているのだ、あとは公園で遊ばせてくれ。一生やらないから放課後残されて担任の先生とにらめっこするけど、先生があきらめるまであきらめないよ私は。そう、以下に記したように、圧迫面接には高いレベルで耐性があるのだから。


 


 

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