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私と作業着の男たち

 今日は見事な秋晴れで最近では一番過ごしやすい気候に恵まれた日ではなかっただろうか。暑すぎる日、涼しすぎる日の繰り返しで気力もいよいよすり減ってきたところでいくつもの不調が心身を襲っていたこの頃。顔面にヘルペスという名の熟したイソギンチャクをいくつもへばりつけた状態で数日間を過ごした。声を出すほど痛いわけでもなく熱が出るわけでもないが、ただただ不快感で全くもってさっぱりしない。そのうち治るだろうとたかをくくって放置したせいで悪化し、顎の下まで腫れてしまい頭を自由に動かせないまでになってしまったので観念して病院を受診した。それ専用の抗生物質と、禁酒のお達しという極めて余計な処方箋を出されてしまったのでこんなことなら来なければよかったと後悔したのは言うまでもない。そんなことを考えていたらみるみるうちに顔中に広がり耳や首にまでイソギンチャクが増え、さすがに酒を飲む気にならなかった。そこは大人のレディである、おとなしくノンアルコールビールを買い込んで暴飲暴食を控えることにした。悪化の原因について医者は季節の変わり目・ストレス・暴飲暴食をあげていたので、最近の食生活(受診する直前に焼き味噌ラーメンなどを食べた)を話したものだから医者に大きな声で怒られてしまったのだ。

 しっかり眠るということと、暴飲暴食を控えるというだけでも効果覿面なようでかなりのスピードで回復していった。何か不都合なことがあれば基本すべて他人のせいにした結果、ストレスフリーである。腹八分よりほんの少し上乗せした程度でグッとこらえ、震えながらあたたかいお茶や天然水をたくさん飲むようにした。これは酒であると思い込みながら気を紛らわし、こんなに自分を大切にして生活するなんて自分はなんて尊くて偉大な人間なんだろうと自分で自分を最大限に誉めちぎって過ごした。養生するということはこういうことである。

 そして最終的に風呂に1時間ほど浸かったあと、知人からもらった自家製梅酒をお猪口一杯だけ飲んだのだ。そうしたら世界がグルグルと回りだし、どうにも目を開けていられなくなり布団にパタンと寝落ちた。気がついたらそのまま朝になっていたのだ。これほどぐっすり眠ったのは何ヵ月ぶりだろうか。すっかり身体は楽になっている。たまらなく嬉しくなり、朝日をあびにそのまま散歩に出掛け清々しい秋晴れの空の下で活動をはじめた。

 もはや日課となっている近所のコインランドリーの清掃アルバイトだが、いつもと違う光景が目に飛び込んできた。作業着を着た漢たちが複数人集まり、何やらせっせと何かの準備をはじめようとしているところだった。少し汚れが目立つ作業服に身を包み、青色のヘルメットをかぶりタオルを首に巻いている。陽に焼けた褐色の肌に汗がにじみ、屈強な腕で重機を扱っている。爽やかな若者もいれば腹だけがぽっこり出ているおじさんもいる。作業着の漢たちの荒々しい言葉が飛び交う現場の横でいつも通り掃除をこなすのだが、正直掃除どころではない。汗だくになってそれぞれの仕事をこなしている彼らの姿を横目どころか足の先から頭のてっぺんまでなめるように見ながら胸を踊らせていたのだ。青いヘルメットが蒸れるのか、運び終えたあと一瞬ヘルメットを浮かして換気をする仕草に鼻血を出しそうになった。いやしかし、これほど青ヘルメットがマッチする漢たちはこの世のなかにいるのだろうか。

 特に私の目を引いたのは、現場監督なのであろうリーダー的な存在の黄色い汚れたTシャツと黒いボンタンを着た長髪を後ろでお団子に縛っているおじさんだ。腹こそ立派なビール腹だが、腕っぷしはたくましく時々力を込めると血管や筋が浮き出る。若手が苦戦している作業をひょいと取り上げ軽々とやってみせて「ん」と一語の発音で学ばせる。デザインでつけられたダメージではないリアルな傷だらけのLevi'sのジーンズをはいている若者は「ッス」とだけ返事をする。その短すぎるコミュニケーションですべてを察する、なんて尊い現場だろうか。何か神聖なものを目の当たりにした気持ちになった。

 彼らの作業の邪魔にならぬよう、荒々しくなる息を無理やり我慢して掃除をしていたら、そのリーダー的存在のおじさんが私に向かって「そこのねぇちゃんは気をつけてな、あんま迷惑かけんようにするでよぉ」なんてあまりにも爽やかに、優しく、たくましく声をかけてくれるものだからうっかり失神しそうになった。グッとくるなんてもんじゃない、私は完全に今押し倒された。しかも頭をやさしく押さえられながらの、私が後頭部をぶつけないようにしてくれた上で力強く押し倒されたのだ。荒々しさのなかにしっかりとした愛を感じるしぐさだ。店内のBGMはいつのまにかシャ乱Qの「シングルベッド」がロマンチックに流れている。なんてグッドタイミングだろうか。

 もう目を離せない。さっきまでみなに荒々しく指示をだし、時折南部弁で罵倒していた強面なおじさんがやさしくも真剣な表情で一瞬こちらを気にして声をかけた後、また荒々しい姿に戻っていったのだ。なんともいえないセクシーさを感じてしまい心を掻き乱されるのだった。

 彼らは休憩を割りと小まめに取るのだが、軽トラの荷台を囲むように寄りかかり談笑している。さっきまでの荒々しい雰囲気とうってかわって、急に気だるいおじさんたちに姿を変える、というか戻るのだ。雑な仕草でたばこを吹かし、ペットボトルの飲料水を容赦なく喉へ流し込む。口から溢れていようが気にせず袖で拭うしぐさにまたしても立ちくらみしてしまいそうだ。南部なまりだから七割しか理解できないが、時折見せる笑顔から不揃いでところどころ欠けた歯がチラリチラリとする。ヘルメットも半分脱いで半分かぶっているというような中途半端さで微妙な解放感を味わっているのだろうと想像する。私はそんなまぶしく尊い光景を店内からじっと見つめていると、先ほど脳内で私を押し倒したリーダー格の黄色いおじさんが姿勢をちょっとだけ正して片手をあげて微笑みかける。店内のBGMはいつまにか今井美樹の「PRIDE」に変わっている。なんというタイミングだ、翼があったら飛んで行くのにあのおじさんの元へ。私はいま貴方への愛こそが私のプライド。

 こんな私だが基本はシャイである。たまらなく恥ずかしくなりバックヤードへ逃げ込んで高鳴ってうるさい心臓を落ち着かせるのに時間がかかったのは言うまでもない。監視カメラにうつる黙々と作業を続ける作業着の漢たちを眺めながら、近すぎず遠すぎない距離に身を置き心臓がちょうどよくリズムを刻めるまで待つ必要があった。あまり近くにいては身体に触ると本能が警告している。今年で一番グッとくる出来事だったように思う。この先の人生で清々しい秋晴れの空をみた日には、鮮やかにあのシチュエーションが脳内で再生され、私は何度も押し倒される感覚を味わうのだろう。…グッとくるッ…!!

 掃除を終えてからもフォークリフトに乗り込むセクシーな漢たちを1時間以上眺めて過ごしてしまったため、やるべきことがすっぽり抜けてしまった。今日は気分がいいからと珍しく期日よりだいぶ前に自動車免許の更新に行こうと思っていたのに、こんな破廉恥な気持ちではいけないと思い直して帰宅したのだった。心が満たされ潤いを取り戻した結果、イベント事にはあまり心を動かされないタイプの人間なのに、ハロウィーンの飾りを引っ張り出して玄関を派手に飾るという謎の行動を取ったのはあのおじさんのせいだ。作業着の漢たちは新しく大きな洗濯機を設置するために作業をしているが、明日もいるのだろうか。そんなに急がずにできるだけ長く現場にいてくれよとひとりこっそり願ってやまないのであった。

 何を大袈裟に思うことがあるのかと言われるだろうが、こういう小さな出来事を自分から拾いに行くスタイルだからこそ毎日楽しく暮らせるのである。ほんとうに身近で些細な出来事にこそグッとくる要素が散りばめられているのだ。いや、ただオフィス街を歩くビジネスマンよりも作業着の男たちに断然弱いという癖の話にすぎないじゃなないかという指摘は心のなかでしていただければ幸いだ。ちょっと汚れた作業着は正義!愛は勝つ!

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