わたしと西日本
※あくまで偏りが強い一個人の体験記であり、ただの感想文です。当然すべての人に当てはめて書いているわけではないのでご容赦ください。
“西には西の正しさがあるという 東には東の正しさがあるという” 引用歌詞『旅人のうた/中島みゆき』
「あんた、これ逆やよ!!逆に着とるよ!!」
突然私の服の端っこを掴みぐいぐいと引っ張るマダムが焦ったように大きな声を出した。私はこの時、石川県金沢市内にあるカジマートで遠距離恋愛中の彼氏のために夕食の買い出し中で、店内を鼻歌まじりに歩き回っていた。普段は岩手県で生活をしているため、月に一度彼と会うためにはるばる車でやってきて滞在している最中なのだ。
私はすっかり油断をしていて、この見知らぬマダムが急に体を寄せて懐に侵入してくるのを防ぐことができなかった。これでも一応現代のジェダイ(剣道やってるため)なのだが一瞬の出来事に不覚にも隙を突かれてしまったのだ。ところでこのバサマだぃだ(誰だ)!?
「え??え??」
「あんたこれ裏表反対に着とるしぃ、はよ着替えんと!ほら、かご持っててあげるし、今着替えんこっちゃ!!」
否応なしに私の持っている買い物かごを奪い取り、大きな声で指示をする。あまりの剣幕にうろたえながらも、私はマダムが指さす方向、つまり自分が着ている薄手のパーカーを見た。あ、しまった!けっちゃ(裏返し)に着てる!ちなみにこれはリバーシブルではない。ポケットの反対側がべろんと飛び出して縫い目から糸がいくつもぱやぱやしている!気づいて慌てていると、マダムの鋭い眼光はとっととこの場で直せと圧をかけてくるので、ご厚意に甘えて買い物かごを預けたままさっと上着を着直した。なんか私身ぐるみ剥がされてる…。
「あの…すみませんでした…、その…えっと…助かりました。ありがとうございました…」
「…???後ろにおってずっと気になっとってぇ~、びっくりしたわ。なんやこの辺の人やないような感じやねぇ」
それはそれは控えめで弱々しい声でお礼をのべると、この上品そうなマダムは私が違う土地から来た人間であるということを一瞬で見抜いた。
「どこから来たん?何のために来たん?ほんでいつまでおるん?どの辺に彼の家あるん?そんな長距離運転、ご両親は反対しとるやろ?次はいつ頃来るん?」
マダムから立て続けに高速な西の訛りで質問攻めにされてしまった。質問されるがまま、聞かれたことを包み隠す隙も与えてはくれないスピードで回答を引き出されてしまう。初対面でこんなに詳細な個人情報を聞き出されるとは思ってもいなかったので、この後何か売りつけられるのだろうか、どこかの施設に連れていかれるのではないかとビビりまくる私。そんなことはおかまいなしにマダムは一緒に歩きながら金沢市内のおすすめスポットからご自身の娘息子の話まで私に教えてくれるのだった。悪い人ではなさそう…?
「私岩手行ったことないわ~何があるん?」
「そしたらぁ~これ食べたらええわ、こんなん東北にないやろ?」
親切心に微妙な東北ディスりが含まれているような気持ちもしなくもないが、悪気があって発言しているわけではないことだけは何となくわかる。今ならば軽く「三陸のホヤお見舞いするぞォ?」と笑ってツッコミを入れるくらいはできるのだが、当時は耐性がなさ過ぎて何て言えばいいかひとつも浮かばなかった。この上品そうなよくしゃべるマダムは和歌山出身で金沢に嫁いできて40年になるとその時話してくれた。「あんた東北顔やね~」と去り際に一言付け加えるのは何もこのマダムだけではなかった。向こうで出会う人のほとんどが必ずと言っていいほど発した言葉だ。
帰宅した彼に興奮しながらカジマートでの出来事を話して聞かせたら「普通やろ?何が珍しいん?教えてもらえてよかったやん」ですって奥さん!!ちょっと何言ってるかわからない!!私こんなおっかないとこに住めない!!と涙目で彼に八つ当たりしたところ、同様の場面に遭遇した時に東北ではどうするのかと聞かれた。
東北ではおそらくほとんどの人が声をかけないであろう。多くの場合、見なかったことにするのだ。ただし気にはなるので横目に見て、心でどうか気づいてくれ!!気づけ!!と念じる。それでもその場に自分しかいない状況で、その人がよっぽど困った状況になるのが予想される場合のみ、勇気を振り絞って恐る恐る聞こえるか聞こえないかの声量で、非常に申し訳なさそうに近からず遠からず適度な間合いから、そっとこのように声をかけるかもしれない。
「あの…突然ごめんなさい、…私の間違いだったら申し訳ないんですが…これ、たぶん…裏返し…あ…はい、いえいえ、とんでもない…はい…」と声をかけては足早にその場を立ち去るだろう。この東北ならではの暗黙のルール、東北人の礼節を全く理解できない彼とのケンカ要因第一位は“文化の違い”であったことはご想像の通りである。
私は正直、西日本文化圏に住まう人々に対して強い恐怖心があった。寡黙で控えめなことがスタンダードで思ったことをすぐには言わないし、対人距離は一定の距離からあまり変わらないのが東北人である。これに対して西日本の文化圏の人は、知らない人に向かってすぐに声をかけるし、個人情報をベラベラ開示するし、よく言えばユーモアに富んでいるが出会った瞬間に無駄にかまったりからかってみたりして、対人距離が近すぎるように見えるのだ。私からすれば、突然後ろから大型ショベルカーで強引にガリガリ削り取られていくような緊張感と痛みを感じることがしばしばあった。
西日本にいる間ずっと私はよく知りもしない人々から「なんや東北から寒さ連れてきたんやろ、どうりで寒いと思ったわ」などと笑われるのだ。氷点下にすらなってないくせに。あんたらホンモノの氷点下二桁の冷気をお見みまいするぞ!!いつもより寒いとか、雪がちょっとでも積もれば大体私のせいにされるのだ。何も本気で言っているわけではないとわかったのはまだまだずっとずっと先の話である。その一言で場が和むと思っている西日本文化圏と、言わなくてもいい相手の余計な一言を鵜呑みにして静かに腹を立てる東北民は一生相成れないものがあると強く感じていたのだった。
そんな金沢出身の彼が珍しく岩手県にやってきた。岩手県のなかでも群を抜いて人里離れた土地に!こいつは北陸のちんちんな太陽を引き連れてやってきたのか、異常に暑い日であった。“あんたが来たせいで暑くなった”と嫌味を言ってやろうかと待ち構えていたのに、「少しは東北を明るく照らしてやろかなんて思って」などと先に自ら言い放ち堂々としているのがまたムカつく。ただ蒸し暑いだけの国のくせに何を偉そうに。
彼が私の車を運転してコンビニの駐車場へ車を停めようとしたときのことだった。停車している車のバックランプが切れていることに気が付いた彼は、咄嗟に窓を開けて腕を振ってその車に乗り込もうとしている運転手に声をかけた。
「おっちゃん、バックランプ切れとるで!!」
「!!!!??」
突然予想もしない方角から聞きなれない西訛り口調が飛んできて、あきらかにパニックでビビっている運転手のおじさん。私もそのおじさんも驚きすぎて固まってしまった。おじさん、今すぐにここから消えてしまいたい気持ちは共感できるよ。私も消えたい。
「あれ?聞こえんかな?おっちゃん!ラ・ン・プ!!き・れ・と・る!!」
正気を取り戻したおじさんが微妙な表情で軽くぺこりと頭を下げてそそくさと車に乗り込み、さっさと立ち去ってしまった。この状況において、おじさんの精一杯の感謝の示し方だということを私は理解できるし、この時点で私は申し訳ない気持ちでいっぱいだ。おじさんが拒否的な反応を示したと受け取ったのか彼は「僕、なんか悪いことした??」と首をかしげていた。「いや感謝していたよ、びっくりして反応できないだけだよ」と優しく説明できるほど私は心に余裕がなかったので、この後ひとしきりケンカになるのは言うまでもない。知らねふとさあったに突然声かげるもんでね!!せっかく教えてあげたんやないけ、まんで親切やろがい!!!とまぁこんなあんばいである。
あれは確か私の実家に近い青森県内の道の駅で休憩中、私がトイレから戻るといつものように彼が見知らぬ誰かをつかまえては仲良く話し込んでいた。まったく!どこへ行ってもいつもこうなのだ!!私からすれば心臓がいくつあってももたないので正直やめてもらいたいくらいの気持ちだった。東北を旅行中だといった関西出身のご夫婦と、旧友に再会したかのような勢いで打ち解けているものだから、知り合いかと思ったのだが全くの初対面だったり…。秒で仲良くなってフルネームに出身地や家族構成、これまでの人生経験、親族の愚痴まで一通り済ませている。
このご夫婦はペットの名古屋コーチンを連れて車中泊をしながら北海道を目指しているそうだ。これがあの名古屋コーチン…それにしてもでかい、なんか動物まで太々しく見えてくる。巨大な名古屋コーチンに対して、比内地鶏とシャモロックなめんなよ!!とガン飛ばしてみたがビクともしなさそうである。まるで世界は自分中心で回っていて“俺が法律だ!私が常識だ!”と言わんばかりの態度が気に入らない。こいつをどうやって食ってやろうかとそればかり考えていた。
そのご夫婦も旅行中、東北人との関りでギャップに戸惑うことが多かったようで「まるで異文化交流やわ!!別の国に来たみたいやわ!!」と笑っていた。彼らが経験した東北人エピソード(こちらからすれば至極当然のことで常識)をおもしろおかしく語りだし、彼もえらく共感した様子で手をたたいて笑っている。こちらからしたらあんたらの方が得体の知れない外国人だ。文句があるならさっさと国へ帰れ!!とニコニコ笑いながら心の中で吐き捨てる。心の内を見せてなるものか。私は笑っているフリをして反撃に出るタイミングを虎視眈々と狙っていた。そんなご夫婦が私たちが西日本と東日本のカップルだと知って強い興味を持ったようだった。
“こっちの人はあまりはっきりものを言わない”という話題で盛り上がっていたが、正直あんたらがガリガリと物を言いすぎるんだよと腸が煮えくり返りそうだがひたすら耐える。ご夫婦の間でも頻繁にケンカをするようで、夫に対して「そのたんびに、あんた崖の上から突き落としたるわ!!ってなる」と奥さんが言っていた。とても関西らしい派手でわかりやすい楽観的なやり方である。それじゃ死んだという確証がもてないでしょう?ふぅん?そうですか、それならば東北民を代表して教えて進ぜよう。
「私だったらちょっとずつわからないように毒盛りますね、そんな楽には死なせませんよ」と言ってみたところ案の定そのご夫婦と彼をドン引きさせた。曇りなき眼で屍を見届けてあげるわ、東北民なめんな。重しつけて十和田湖に沈めてやるぞ。顔は笑っていても心から許していると思うなよ。ネタにして面白がってたこと絶対忘れないからな。大体ここに勝手に来たくせにわが物顔で西訛りの口調でしゃべってんじゃねーよ!!
「さ、さっきの…冗談やろ?」
車に戻った瞬間にビビりながら彼が声をかけてきたが、これまでにない飛び切りの笑顔でもって返答とした。気ぃつけまっし。
東北人との対人距離を縮めたければ飲みにケーションするしかない。お酒の力があれば心の窓口は格段に開きやすくなると考えてよい。ただし仲良くなったと思っても、酒が抜ける翌日にはまた距離が遠のいてしまったように感じるだろう。厳密に言えば、飲む前よりはほんの数センチ縮んでいるのだ。このやや面倒で複雑な進退を忍耐強く繰り返した先に十和田湖よりも深い絆が生まれるのである。私はそんな奥ゆかしい東北民の気質を愛しているし誇りに思っている。
しかしながら慣れとは怖いもので、一緒にいればいるほど西日本が優性になっていくことに気づく。なぜか私も西の訛りを使うようになるし、対人関係も西日本式に近づいていってしまうのだ。表面上は西日本が圧倒的に強いということは事実であり、もはや遺伝子レベルで強い気がしている。東から西になじむのは最初の抵抗感さえクリアすれば割と簡単で、反対に西から東になじむのはその3倍労力と時間がかかると体験的に思う。元から開いているものを閉ざす苦痛は、元から閉じているものを開ける苦痛よりはるかにつらいということが当時の私には理解できなかった。閉じていく不安と恐怖は相当なストレスだったと思うが、東北に滞在する時には私の後ろに隠れるように私たち東北民の奥ゆかしさを必死に学んでいたように見えた。
「そこの真っ白い姉ちゃんどこから来たん?住所どこ?みかん送ったろか?」
彼と一緒に和歌山県を旅行していると、現地で仲良くなった見知らぬおじさんがiPad持ってきてグーグルアースに住所を入れてみろと言うから乗っかってみたところ本当に和歌山のみかんが届いたのには驚いた。大阪旅行中、地元のちっちゃいお店でおいしいタコ焼きを食べてみたくなり、彼にお願いして現地の人に聞いてもらったことがあった。
「そんなんジョーシンでタコ焼き機買って家で食べた方がおいしいに決まってるやろ」と言い出して本当に家に招かれて見事な腕前をふるってもらったこともあった。リアル突撃となりの晩御飯である。あれ?実はメリットの方が大きくて、相当お得なのではないかと途中から気が付いてくる。
自分だけではこれほどのユーモアと人情に触れる経験は絶対にできなかったであろう。生粋の東北人が西日本でこんなにもぶっ飛んだ体験をするなんて生涯夢にも思わないことである。どこまでも明るくユーモアに富んでいていつも笑って誰とでも秒で仲良くなれる西日本の人たちとの交流をいつしか心から楽しめるようになっていった。それでもまぁ自分からは積極的に行かないけど。彼の後ろに隠れて、頃合いを見てひょっこり前に出ていく。危険があっても先に斬られるのは彼であって、いざとなれば他人のフリをしてダッシュで逃げればいいのだ。よく食べてよく酒飲んで、雪のような白い肌で“んだんだ”言ってれば、みなが謎に喜んでもらえて色々と世話を焼いてくれたりお土産を持たせてくれたりすることを学んだ。
「あんたほんま岩手から来たん?震災大変やったろ?家大丈夫やったん?」
いきなりそう聞かれてドキっとすることも多かったが、いつも決まってこう付け加えてくれた。
「困ってたらおばちゃんなんか買うて送ったるし、ゆーてや」
よく知らない人に対しても直接話しかけてくれる心遣いが、当時とても心に響いて嬉しかったものだ。感謝も死ぬまで忘れない、死んでも忘れないのが東北民の魂である。