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私と釣り

 子どもにとって「褒められること」こそが唯一として最大の原動力であり、必死に取り組むものである。

 我が家の目の前には青く煌めく…とは程遠い陸奥湾が広がっている。景色を楽しむようなきれいな海ではなく、やや陰気臭さが漂う至極普通の海である。実際すぐそばに小さな漁港があり、「番屋」と呼ばれる漁師小屋が立ち並び、漁網や浮き玉といった漁具がそこら中に山と積んであるため、いつまでも魚臭さが染みついている小さな町だ。

 海水浴ができるような砂浜は見当たらず、何キロも続く堤防が海を遮り海沿いの人家を守っている。その堤防の上から下をのぞくと波打ち際にほんの少し砂浜が見え隠れしているので、恐怖心を知らない子供だった私たちは堤防から降り、波の引くタイミングを見計らって砂浜に落ちている流木や貝殻を拾って濡れずに帰ってくるという遊びに夢中になっていた。リズム感を見失うヤツや思いがけない突然の予期せぬ大波に襲われるヤツが全身ずぶ濡れになっているのを見て笑い転げていたのが懐かしい。もれなく全員そろって大人からこっぴどく叱られるのだが、そんなことはおかまいなしに海を遊び場にすることをやめられなかった。

 休日になると、朝早くから父が私たち三姉兄を連れ出して釣りに行っていたそうだ。末っ子の私はまだ歩き出して間もないような年齢にも関わらず、父は私にお菓子を持たせてクーラーボックスの上に座らせ「鈴が鳴ったら教えろ」と指示して放置、自分は姉兄とテトラポットで穴釣りに夢中になっていたと笑って話してくれたことがある。堤防に立てかけた4本の遠投釣り竿の先には音色が違う鈴が取り付けられており、クーラーボックスに座ってコアラのマーチを食べながらどの鈴が鳴ったのかを聞き分けて父に大きな声で知らせる役目だった。自分の身長では堤防のせいで海など見えない、ただコンクリートの灰色ばかり眺めているだけで大して面白くもなかったが、竿の先端を眺めていると波に揺られて規則的にゆらゆら、突然くいくいと小刻みに頭を下げはじめたかと思ったらグンと深々とお辞儀をして鈴が大きく鳴る瞬間がとてもワクワクしたのを覚えている。「とーーーーー!!緑!!」と竿の色を大きな声で叫び、父が焦って走ってくるのを「早く早く早く!!」と煽った。父は「来たか――――!!」と嬉しそうに釣り竿をつかみ巻き上げるのを後ろで必死に応援するので、釣れた魚を一番最初に見て触れることができるという特権があった。父の教えもあり、気が付いた頃には釣れた魚に何の躊躇いもなく神経締めを施している自分がいた。堤防の上に乗せてもらい、海に向かって仁王立ちをしながらコアラのマーチを食べ、鈴がなったら父が来る前に自分で巻き上げることができるようになるまでにはそう時間はかからなかった。全力で嫌がるイソメを引っ掴んでぐいぐい針を食いこませていく作業も最初から何の抵抗もなかった。繊細な姉や兄は罪悪感からかイソメの夢をよく見たそうだが、私はひとつも共感できなかった。

 脚力が付く4~5歳にもなると、穴釣り用の小さな赤い竿をもってひとりテトラポットをぴょんぴょん渡り歩き、アブラメ(アイナメ)のような根魚をどんどん釣りあげるまでに成長した。姉や兄に比べてどうやら私はセンスがいいらしく釣果は群を抜いていた。6歳上の姉や4歳上の兄と比較してもどうしようもないが、上二人は頭が勉強がよくできたし、当然ながら自分より年上で体も大きく何もかも力が及ばないのが死ぬほど悔しい時期だったので、「お前と一緒に釣りに行きたくない」と姉兄に言わしめたのが人生最大の優越感であった。剣道も勉強も日々のケンカにおいても、いつも負けてばかりで何一つ勝てなかった私が、穴釣りの釣果だけは例えば2匹・2匹・14匹レベルの圧倒的な勝利を毎回収めていた。父は「いいぞ!お前は根魚に愛されている!」と珍しく褒めてくれてわしゃわしゃと頭をなでてくれた。手先の器用な父に習い、自分で仕掛けを作り出したのはちょうどこの頃からで、お小遣いを貯めては幼馴染の親が経営している釣具屋で釣り具を買い漁っていた。クリスマスプレゼントにはサンタさんに穴釣り用の赤い竿と釣り用の赤い手袋をリクエストして、母親に本当にそれでいいのか何度も確認されたりもしたが頑としてブレなかったそうだ。

 私が得意なのはブラクリと呼ばれる大きな赤い重りの下に針が付いた最もシンプルな仕掛けで、テトラポットの間にぽちゃっと落としてわずかに手元を動かして誘い出し、根魚をターゲットにするもので主にアイナメやメバル、ギンポ、どんこ、カサゴなどがよく釣れる。疑似餌を使うのは好きではなく、生き生きと身をよじって逃げ出そうとするイソメに無理やり針をぶっ刺して釣るのがいい。そう、私はきっとイソメには恨まれているだろうが、根魚に愛されている女だ。穴釣りは魚が潜んでいるであろう穴を狙って落とさなければ意味がなく、しばらくして反応がなければ次々とポイントを変える必要がある。落とした矢先に指先で探りつつ、目は次の穴を探して狙いを定める忙しないやり方だ。穴があるからといってむやみやたらに落とせば隙間や藻に引っかかって“地球を釣ってしまう”ことになり、せっかく作った仕掛けをロストする羽目になって経済的にも環境的にもよくないのだ。自分が魚だったらどこで生活するだろうか、人間に釣られないように隠れていられるポイントはどこだろうかと魚の気持ちになって考えればおのずと見えてくる。私には彼らがどこを寝床にして潜んでいるかが手に取るようにわかるのだ。地球を釣るか否かギリギリのラインのとんでもない隙間を見極めて仕掛けを落とし、魚からしたら不意をつかれた予想外の展開で見事に釣りあげるのが私のやり方である。いやらしいと言えばその通りだが、背に腹は代えられない。もちろんすぐそばでは遠投用の竿3~4本をぶん投げておいて、鈴が鳴れば直ちに穴釣りをやめて駆け出すのだ。4刀流、5刀流のマルチタスクどころの話ではない。本命は穴釣りであって、投げ釣りの方は釣れたらラッキーくらいにしか思っていないので気楽に構えている。

 学校から帰ればランドセルを玄関にぶん投げ、祖母からの「ばんげのおかず釣ってこいへ」というミッションを達成するために釣り竿とバケツをもって海へ走っていくのだ。魚など腐るほど隣近所からおすそ分けがあるはずなのに、なぜか祖母は晩飯には釣りたての魚をと随分こだわった。塩焼きサイズのアイナメやカサゴ、三枚におろせるギリギリのサイズのギンポは毎回釣り上げるのだが、慣れた祖母は「まぁまぁだの」といった感想であまり喜んでくれなかった。小さいものを持ち帰ると「食うところがない」などとダメ出しされたりもして悔しい思いをした。こっこ(卵)がお腹パンパンに入っていたりすると手をたたいて喜んでくれたし、なかなかよいサイズのメバルが釣れた時に期待に胸を膨らませて持ち帰ったところ、案の定ニヤリと笑って台所に向かい、おいしい煮つけにして出してくれた。稀にクロダイやソイが釣れた日には祖母の機嫌が最高潮になり、自分への待遇がとてもよくなることを学んだため、子供心に思うところがあったのか暗くなるまで夢中になって釣っていたものだ。祖母がカレイが食べたいと言うので頑張って投げ釣りするも他の魚ばかり食いついてカレイが掛からなかったことがあった。よほど悔しかったのか祖母のことだから怒られると思いこみ、このままでは帰れないと号泣しながら投げていたところに、近所の人が通りかかって気の毒に思ってくれて一緒に帰ってくれたことがあったが、当時の私にとって釣りは広い意味で生き残りをかけた真剣な勝負だった。ちなみにカレイは砂地に潜っているので根魚ではない。カレイは時期も大事で堤防から投げる程度では冬以外はまず釣れないと思ってよい。そもそも私は根魚以外との相性はそれほどよいとは思えないので、釣ろうと思ってもなかなか釣れないのだ。

 それなりに年齢を重ねて大きくなる頃には、あまりに釣りすぎるので「あの赤い人がいるとしばらく釣れない」と言われていることにうっすら気が付いてしまい、さすがに悪いことをしているような気になってきた。子供の頃には釣る度に「すごいね、上手だね」とほめてもらえたのだが、大人になればみなライバルとなり、ただ単に漁場を荒らす嫌な奴になってしまうのだ。“食べる分だけ釣る”と心がけてはいるものの、興奮してついつい子供の頃の感覚に戻ってしまうのだ。1時間釣ったら別の場所に移動するなど、気を使って漁場を転々とするようにもなった。ただし、そこの主であろう40cmを超える大型の根魚を釣ってしまったら、もうその場所には数か月は行かないと決めている。私なりの海に対する敬意の示し方である。

 特に釣りに詳しいわけではないし、専門用語もそれほど知っているわけではない。趣味という立派なものではなく、ただ単に夕飯のおかずをゲットするための手段に過ぎない。釣りそのものが楽しいわけではないので正直釣らねば意味がない。釣果がなければ釣りそのものになんの意味もないくらいに思っている。“釣り”に行きたいから行くのではない、秋冬から春先までの期間で脳内が根魚でいっぱいになった時に出かけるのだ。何も釣らずに帰ってきたことなど今までで一度もない。内陸に住むようになって海に出かける頻度は少なくなったものの、そろそろ食べたいかなと思った時に、赤い竿を1本だけもって普段着でふらっとでかけていってはその辺にいる釣り人にイソメを2~3匹分けてもらって1~2時間テトラポットをぴょんぴょんして、一人で食べる分には十分なほどの釣果を上げて帰ってくる。穴釣りは初心者であろうが正直誰でも釣れるのでセンス云々ではないのかもしれないが、誰もが一匹も釣れない場面でなぜか私だけポンポン釣れるということがほとんどなので本当に相性がいいのかもしれない。

 釣り用の小さな赤い手袋はすでに入らなくなり、大人用の赤い手袋を自分で買い直したが、おもちゃのような赤い小さな竿を手入れをしながら使い続けていまだに現役である。父から譲り受けた投げ竿4本も、ところどころガムテープで補強しながらまだ使えている状態だ。最初から他人のイソメを当てにしているし、誰もいなければ落ちて干からびたイソメでもワンチャン勝負できる。なんだったらコンビニで買ったさきイカでも釣れなくはない。今どき仕掛けも百均で手に入るし、新しく買うこともほとんどないため、あまりお金をかけずに新鮮な食材をゲットすることができる。もちろん大体の魚は自分で捌けるし、調理方法も幼いころから心得ている。人に合わせて行動するのが苦手なこともあって、釣りは基本一人で行く。念のため、海に落ちたとき発見されやすいよう普段より派手な色の格好をしたり、そもそも明るい時間帯にしか行かないし、行き先についても親族あるいは知人に告げてから行くようにしている。年齢を重ねるにつれて足腰が弱くなってきているせいか、いつの日かテトラポッドから落っこちてしまうかもしれない。そうならないように鍛えてはいるつもりだが、無理はせず人に迷惑をかけぬようにはしたいものだ。

 ところでギンポの天ぷらは最高においしい。私はギンポが高級魚だとは知らずに毎日食べていたが、今では東京の高級天ぷら屋で食べたら一体いくらするのかワクワクしながら塩でヌメリを取っている。面構えは悪いが味は最高だ!名前も聞こえは際どいが、銀の宝と書いてギンポである。私が一番求めてやまない根魚なのだ。


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