【歴史散策:光悦寺】時代を繋ぐ場所
最近、春うららかな京都。
先日、知り合いと一緒に京都市北区の鷹ヶ峰に行ってきました😊
目的の一つは光悦寺。本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)という人が鷹ヶ峰に作りあげた工芸集落の跡地。私はこの光悦さんが作りあげた工芸集落に触れてみたかったのです。
本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)という人。
本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)は江戸時代初期に活躍した芸術家。家は代々刀鑑定士。光悦さんの凄い所は刀鑑定だけにはとどまらず自身も陶芸、書、蒔絵などに秀でた多彩でマルチな人だったこと。そしてその作品はどれもとても斬新でした。この時代に活躍した風神雷神の作者、俵屋宗達など名だたる著名人とも繋がりがありました。特に宗達とは作品などもコラボし、その才能を遺憾なく発揮しています。
光悦さんは家康から鷹ヶ峰に土地を賜り、一族や工芸に携わる多くの職人さんと一緒にその土地に移動します。そしてそこに「光悦村」と呼ばれる工芸集落を作り上げました。
現在は、色々な経緯により光悦さんの作った集落はなく、「光悦寺」という形で跡地が残ります。
工芸集落というものがあった土地。それはどんな場所だったんだろう。興味がありました。
石畳の向こうの世界
光悦寺の入り口は、まずは新緑のトンネルが出迎えてくれます。ここからみた限りではそんなに奥が広いとは思えません。
それなのに石畳を入っていくと…
中はとても広くて新緑の木々、素敵な庵、見事な生け垣が出迎えてくれます。また茶会が行われる事もあるようです。
そして有名な「光悦垣」と呼ばれる垣。
寺をいだく三峰
何よりも感動したのが、三峰(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)がとても近くて新緑の見事な事!
写真では伝えきれないのが残念な位、見事な新緑!!
日本には「緑」にも「萌黄」「浅黄」など色々な呼び方がありますが、繊細な色の「新緑」が、さまざまと目の前に迫ってきます!
山があまりにも近くて山の懐に抱かれているような気持ちになり、ここでの時間は不思議なくらい心が安らぎました。
人の中にいるのが疲れてしまった時、ここに来て山を見ていると自然と自分のリズムを戻してもらえる気がします。
人間て本当に自然に生かしてもらってるんだなぁと実感。なんて豊かな場所なんだろう。。
一人のひととしての「本阿弥光悦」
光悦さんも毎年、作業の傍らにこの新緑や四季折々の鷹ヶ峰の風景を楽しみ愛でていたのかもしれません。
この土地で職人を育てながら余生を過ごした光悦さんは、どんな事を思い考えながら集落を作ったのか…どんな集落にしたかったのか…結果的には光悦さんの理想郷になったのかなぁ…と想像を巡らせながら散策しました。
光悦さんのお墓参りもしました。お墓の前に立つと、「歴史の人物」という肩書きのひとではなく、「私達と同じ一人の人間」の光悦さんが生きていたんだと感じます。
私達と同じよう笑って泣いて悩んで喜んで生きた光悦さんがいた証。それがお墓なんだ…そう感じました。
二階席で頂いた「抹茶」も美味しかったです。ここでも光悦さんのエピソードが色々と聞けました。嬉しい😆
余談ですが出てきたお菓子が、「御土居餅」だったので、ちょっと笑いました。(この間、食べたばっかり😁😁😁)
このお寺では新緑での心休まる時間や工芸を愛し職人を育てた心豊かな光悦さんの痕跡に触れたりと…ほんとうに素敵な時間を過ごせました。
時代を繋げる想い
帰ってからWikipediaで調べてみると、『京都府は平成12年度より日本の芸術や工芸の発展に大きく貢献した「鷹ヶ峰光悦村」の精神を継承し、これからの産業やモノづくりのあり方を示す新しいスタイルの産業拠点として京都府南丹市園部町に「京都新光悦村」及び「道の駅京都新光悦村」を整備した。』とありました。
この「新光悦村」、以前住んでいた所の近くにあり、光悦さんの事を知らなかった時は「なんで道の駅がこの名前?」と、思っていたら、⬆そういう事だったのですね。
意外と近場で(笑)光悦さんの思いが受け継がれてると思うと、なんだかじんわりと幸せな気分になりました。
芸術は時間も場所も超えて人の思いを繋げるんだなぁ。