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鋼のメンタルは、いらない
自分はとてもいい加減な人間である。これはもう胸を張って大声で言える。大学生の頃に「常に適度に適当に」を座右の銘として掲げたが、それは社会の荒波に揉まれた今も変わっていない。今まで適度に生きてきた自信はあるし、これからも適当に生きていくことに違いはない。
そんないい加減なおとこだが、不思議と「鋼のメンタルが欲しい」と願う人とチラホラ遭遇することがある。皆一様に固い心を欲し、誰に曲げられることのない鋼を望んでいる。なぜそのような人と遭遇するかというと、それはおそらく一つ前の記事で書いたように、相談や愚痴を聞く機会が多いからだろう。
ということで、その記事と全く同じ文頭で起筆し、そして少し違う内容をつらつらと書いていこうと思う。実に適当なおとこである。
相談や悩み、愚痴を吐き出す人たちは、少なからず心が摩耗している状態である。そしてより深い傷を負った人ほど、二度と傷つきたくないという防衛本能と、弱った現状は本来の自分ではない、という葛藤から、何物にも動じることのない「鋼のメンタル」というものを求めるのだろうと思われる。
では、そもそも固く壊れぬ鋼のメンタルとは、何だろう。打たれ強く、自らの意思を貫き通す、完全無敵の人間。皆がイメージするのはこのあたりだろうか。
実はその答えをうっすら知っている自分からすると、残念ながらこれを求めている人は、鋼のメンタルを持つことは恐らく非常に難しい。元サッカー日本代表の内田篤人氏が、未婚時代のインタビューで「結婚相手は、自分のことやサッカーについて全く知らない人が良い」と放った言葉のように、望み欲する人にこそ、無理難題なのである。
実際に、鋼といって過言では無い精神性の人物と、数年に渡って仕事をしていたことがある。失敗は全て成功への糧であるとし、誰に批判されても折れることなく、お金を稼ぐという目的のためならば法に準じたうえで手段を選ばない、徹底したリアリスト。そんな見事な鋼っぷり、そして無敵の姿を自分が間近で見てきたその人物とは、前職の会社の社長だ。
当時、社長と専務の補佐兼雑務的な位置で業務に携わっていたが、社長はまさに鋼を具現化したような人物であり、仕事に対する姿勢には一切のブレが無かった。収益を上げるためなら自分の考えも疑い、検証し、利が少ない、もしくはより利があると感じた施策への方針転換スピードも尋常ではなかった。実例として、それなりのコストに加え二ヶ月かけてようやく導入したシステムを、僅か三日で見限ったこともあった。その社長が下請け業者の担当に言い放ったある言葉があまりに強烈で、今でもハッキリと覚えている。
《どんな不良が喧嘩が一番強いか分かるか?金属バットを振りかぶり、相手が死んでしまったらどうしようなんて微塵も思わず、一切の躊躇なく、フルスイングで相手の頭を振り抜けるやつが一番強いんだ。いいか、ビジネスも同じだ。こうなったらどうしよう、ああなったらどうしようと考えるな。とにかく躊躇なくやれ。妥協無くやれ。徹底的にやれ》
無茶苦茶な言葉であり、無茶苦茶な例えであるが、まさに社長はその言葉を自ら体現していた。365日のうち360日朝から晩まで働き、とにかくその行動に迷いは無く、迷うくらいならまず動け、がモットーであった。
そんな社長の精神性の根幹にあるものとは、おそらく「感情移入は無駄なものである」という考えだ。むしろ当人にとっては考えですらなく、ごく当たり前に排除している感覚だったのかもしれない。
1つエピソードを挙げると、その日、カスタマーからクレームの電話が入る。それは誰が聞いても明らかに正当性に欠ける主張であったため、スタッフが時間をかけ丁寧に応対していた。しかしなかなかやりとりが終わらず、それを見兼ねた社長が、一旦上司に確認して折り返しを入れる、と説明して終話させるよう指示し、指導を入れる。
《理不尽な内容だろうが、相手が100%悪かろうが、関係ない。ひたすら誤って全額返金でさっさと終わらせろ。そこに時間を割くのも、心を割くのも無駄でしかない。クレーマーはたかだか全体の2~3%しかいない。ゴミに付き合うな。そこに想いはいらない》
確かに社長の主張は正しい。長々とクレーマーを相手にしたところで、消費したリソースに対してのリターンは乏しい。利を考えれば、その通りなのであり、社員を守るという意味でも正しいかもしれない。しかし、自分はどこか消化しきれない思いが沸々としたが、おそらく同じ感情を抱く人は一定数いるのではないだろうか。ここは自信がないので、本当におそらく、ではあるが。
自分が引っかかったポイントとしては、まずクレーマーを非人間扱い。そしてそれ以上に、理不尽な要求を呑まなくてはいけない、という点である。
もしかしたら相手が思い違いをしている可能性もあるし、こちらの正当性も訴えたい。その想いから丁寧に理解を促していけば、円満に解決出来るケースもある。しかしその機会を失うことになる。
また相手側が理不尽であると認識したうえで要求してきている可能性もあり、それを受け入れざるを得ない屈辱感や、相手を更に増長させてしまう可能性への拒否感、これらを強く感じてしまう。
その場に居合わせていた適当なおとこは(自分なら逆にストレスになりそうだな)と、思い浮かんだが、後にその指導を受けたスタッフに確認したところ、同じ思いであることを知った。
これまで語ってきた社長の人物像には非情さ、高い集中力、恐怖心や共感力の欠如、人並み外れた行動力が当てはまるが、実はこれらの性格特性を持つ人を指す、ある言葉がある。それが「サイコパス」である。
サイコパスと聞いて、凶悪犯罪者とリンクする人も多いだろうが、彼らは上記に加え、より衝動的であり、無責任であり、暗い欲望を抱いてるので、社長に関しては近しい気質がある、という程度ではある。
特に社長は共感力が著しく低く感じた。指示や判断は、間違ってはいない。しかし実際にその指示で動くのはチェスの駒ではなく、感情のある人間である。そのことまで考えが及んでいない節が多くあった。数値から世の時流やニーズを汲み取る嗅覚はあったが、あくまで稼ぐための思考であり、ごく一般的な感覚とは大きな隔たりを感じた。
※ちなみに、オックスフォード感情神経科学センターの研究員が発表した「企業経営者にサイコパスが多い」という研究結果もある。
仕事柄多くの経営者と接する機会があったせいか、これは個人の感覚ではあるが、ある程度これは正だと思っている。優秀な経営者ほど、決断力、判断力を求められ、あらゆる面で常人より明確にシビアでもあるのだ。
逆に人情味溢れた飲食店を想像すると分かりやすいが、儲かっているイメージが湧かない人は多いのではないだろうか。さらに先ほどの研究結果によれば、サイコパス度が低い職業ベスト3は介護士、看護師、療法士とされている。どれも献身的な精神性が必要な点からも、考えとしては合っているように思われる。
つまり、周囲への共感力、想像力、感情を消せば消すほど、自分が受けるダメージも少なくっていく。誰かを足蹴にすることに躊躇しても、物言わぬ雑草を踏むことに抵抗が少ないように。固く、冷たく、折れない。これが鋼のメンタルの1つの答えである。
話しを冒頭まで遡って同じ言葉を繰り返すが、鋼のメンタルを望む人は、心が少なからず摩耗している。その1つの要因として、共感力の高さも挙げられる。つまり、世間一般的に優しい人が多い。
相手のことを想うからこそ悩み、傷つくのであり、求め望む鋼のメンタルとは真逆の精神構造をしている。だからこそ、根本的な性格から変容する必要があり、無理難題に等しいと思われるのだ。
しかし、その共感力の高さは本当にダメなことなのだろうか。少なくとも適当なおとこは、そんな社長を間近で見続けたうえで鋼のメンタルは不要と判断した。
当時は誤魔化し誤魔化しで何とか業務をこなしていたが、幾度と無くこの人とは合わないと感じ、結果、色々な要因が重なったタイミングで退職することとなった。駒となってお金を稼ぐより、誰かを思い遣り、周囲と手を取り、たまには愚痴話に花を咲かせ、人間らしく生きていきたかった。
ということで、ダラダラ書いてきたものとはまた別の、勝負の世界に生きる人種が持つタイプの鋼のメンタルもあるが、すでに3,500字を超えていたので、また別の機会にしよう。そうしよう。
最後に、漫画の世界で生きてきたのか、と思わせるほどのワードを放った例の社長は、178cm52kgのヒョロヒョロ体型で、全く喧嘩などしてきたことがない見た目なので安心して欲しい。
と書いてみたものの、それっぽい頭のネジが飛んでるタイプのキャラクターもよく漫画にいるので、逆にノンフィクション味を帯びて恐ろしい。かもしれない。