ばんえい競馬、能力テストの蹴り問題について 2 馬と人間の関わり
前回はばんえい競馬能力テスト中の蹴り問題について書きました。「蹴る」という行為のみにフォーカスされることへの違和感、大きい馬と人間が対峙することの危険性等を記しました。4、5人くらいの方に読んでもらえたら嬉しいな、くらいの気持ちで書きましたが多くの方にご覧頂いた様で、ありがたい限りです。
そしてコメント、反応の中で、美化しすぎではないか?という言葉を頂きました。
自分としては美化して書いた気持ちはありません。しかし、その言葉から大きなことに気が付きました。それは、ばんえい競馬は「美化できない世界」だということです。
人間が馬に向かって叫び、鞭を打つ。馬は数百キロ、時に1トンのソリをつけて砂の坂を上がっていく。この現代に、あまりに生々しく、痛い光景です。人間の価値観から見ると美化できるものは何一つ無いようにも見えます。
だからこそ、今回は馬と人間の関係、仕事について触れたいと思います。「蹴る」問題とは直接関係はないかもしれません。しかし、知って欲しい事柄だと思い、記すことにしました。
私がばんえい競馬に初めて入ったのは2013年1月のことでした。夜明け前の気温はマイナス25度。肌が痛み、息が瞬時に凍ります。そんな中で馬のソリひき(朝調教)が行われていました。馬たちの暑い汗は蒸気になり、煙のように漂い、やがて体毛と共に凍りつき、人間がそれをガリガリと削ぎ落とします。
私はこの光景に圧倒され、そして競馬場内で長年馬を生産されている戸田富次さんという方と出会いました。オムツが取れるか取れないかの頃から馬の背中に乗って遊んでいたという戸田さんは、北海道における開拓、馬と人間の関係の生き地引であり、拙作のドキュメンタリー映画「馬ありて」においても、とても重要な人物です。
2013年当時80歳だった戸田さんの魅力に惹かれ私は北海道帯広市に通い始めました。車が普及する以前の北海道における馬と人間の関わりを、戸田さんは様々に語ってくれました。
「トラクターも 馬車も並びて 高々と
積みきしビートを 土場におろす」
これは戸田さんが1960年に詠んだ短歌です。まだ北海道にトラクターが普及し始めた頃で、馬もトラクターと同じほど(2t車くらいの大きさ)のビート(砂糖の原料)を荷台に積んで工場へ運んでいた風景を、戸田さんはうたいました。
北海道(だけに限った話ではありませんが)において車やトラックが主な運搬手段になったのは、50年ほど前の話であり、それまでは馬が人間と共に働き、物を運び、田畑を耕していました。
戸田さんの父親は馬を使った運搬業をされていました。駅からビールなどの商品を積んでお店に運んでいたといいます。戸田さん自身もそうした仕事のほか馬と共に山に入り、伐採した木を運ぶ馬搬(ばはん)をされていました。
馬がソリを引くような形で丸太を数本取り付け、声と1本の手綱だけで馬を御します。
「おお」と言えば馬は前に歩き始めます。
「はい」と言えば馬は止まります。
「バイキ」と言えば馬は後退します。(「バック」がなまってこのような言い方になったようです)
「ちょい」と言えば30cm〜1mほど前に出ます。
「まわれ」と言えば手綱を引いた方向にまわります。
丸太は水分を多く含み、数百キロはゆうにあります。それを何本も馬で運ぶ、かなり危険な仕事です。馬と人間が互いに理解し信頼し合い、身を委ねなければ到底成立しえない仕事だとも言えます。
昔は馬と共に生きるということは、馬と共に仕事をするということでした。そこにコミュニケーションエラーがあれば、重大な事故に繋がります。前回の繰り返しになりますが、命懸けの仕事です。馬がそこまで仕事を覚えるために、人間も全身でぶつからなければいけません。人間の子育てと同じで、生半可なものではありません。愛情も家族同様(もしくはそれ以上に)全力で注ぎました。
「馬は非常に価値があるものだった。人間の命より馬の方が大事って言われるくらい」と戸田さんは語ります。
エンジンの動力が普及し、馬と人間の仕事は減っていきます。今ではばんえい競馬のみが北海道における馬と人間の関わりを端的に表し、想起させるものになりました。
馬と人間の関係、その生々しさ、体温、においは体験した者でないとわからないといいます。その中には、馬の生、死を見おくる体験もあります。ばんえい競馬のレースが表すものは、そうした馬と人間の営みのごく一部分だと思います。
もっというと、マイナス25度の風景も、牧場で馬が生まれるのも、約30の厩舎が競馬場の横に集まり、500頭以上の馬が人間と共に生活していることも、ばんえい競馬に関わった仕事をしている1000人以上の人も、すべてがばんえい競馬なのだと思っています。
ばんえいとは「挽曳(ばんえい)」と書きます。どちらも「ひく」と読みます。その起源は、農家の馬自慢、力比べから始まりました。原野を馬と共に切り拓いた開拓者の苦労や情熱が、ばんえい競馬には宿っています。アイヌの人たちがいた地への開拓の是非は、この場では言及しませんが、それも含め「昔みたいに、畑で使ってたほうが馬は楽だった。人間ほど悪い動物はいない」と戸田さんは語りました。それはもちろん、馬たちに過酷な運命を強いている現状に対する嘆きでもあります。
情報に溢れた昨今では、物事を単純化することが求められている様にも思います。しかし、一つの物事の中にも、本当に様々な人の複雑な気持ちや葛藤、営みがあることを知って欲しく、ここに記しました。それは単純に美化できない世界です。だからこそ、私は惹かれます。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。次回は能力テストについて書こうかと思います。
(なお、馬搬の写真は2015年岩手県遠野市にて、見方芳勝さんの仕事の様子です)
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