ばんえい競馬能力テストの蹴り問題について 3 「イライラして蹴った」発言の誤報道
前回、前々回と書いているばんえい競馬の「蹴り」問題に関し、大変重要なことが新たに明らかになったので、ここに記します。多少、ややこしい話です。どうか最後までお付き合い頂ければ幸いです。なお、蹴った行為については前々回に記したので、ここでは割愛します。
今回の「蹴った」瞬間の映像が世に拡散され、多くの人がそれを目にし不快感を示し、大きな問題となりました。その火に油を注いだのが当騎手の「馬が言うことを聞かなくてイライラして蹴った」というコメントでした。この言葉が広く流布され、私も本人がそのようにコメントしたと認識していました。と共に、様々な局面で冷静な判断が求められる騎手がこんなことを軽はずみなことを言うものだろうか、なんと残念なコメントだろう、と感じていました。
その後の騎手からの公式コメントでは「決して馬に腹が立ち、イライラとして、という気持ちで取った行動ではないということをわかってもらいたいです。そして、競馬に携わるすべての人が、馬に愛情をもって接していることを理解していただきたいです」とあります。
前者と後者、同じ人物からの発言とは思えません。そして新たな事実が明らかになりました。
そもそも、「〜イライラして蹴った」という発言の発信源はJcastニュースというニュースサイトでした。4月21日にこの問題をいち早く報じ、そこには騎手ではなく、ばんえい競馬振興課の職員の発言が紹介されています。以下、このニュースから引用します。
「騎手の行為について、帯広市のばんえい振興課は4月21日、J-CASTニュースの取材にこう答えた。
「現場にいませんでしたので詳細は分かりませんが、騎手に事実確認したところ、馬が言うことを聞かなくてイライラして蹴ったと聞いています。ファンの方々の信用や信頼を失う行為だと認識しています。当日すぐに本人を呼んで、厳重注意しました。現在は、処分を検討しています」」(引用元)
つまり、一人歩きしている「イライラして蹴った」発言は、もとを正すとこの職員の伝聞なのでした。
そして5月7日の中日スポーツの報道によると、「〜イライラして蹴った」という発言そのものが根も葉もないことだと判明しました。以下、中日スポーツHPから引用します。
「騎手を電話で直撃した。騒動後、ほかに取材は一切受けていなかった。「ファンに不快な思いをさせた。本当に申し訳ない」。謝罪の言葉を重ねた同騎手も、言った覚えのない「イライラ~」というコメントには困惑していた。
ばんえい振興課によればJ社からの電話取材は21日午後3時半。記者が「イライラしてけったのか」と問うたのに対し「馬を起き上がらせようとして対処したもの」と答えたが、記者が発言したものを、あたかも騎手が話したかのように原稿化されたという。
同課ではJ社に抗議したが、受け入れられなかったという」(引用元 なお、引用中の騎手の名前は当方で削除いたしました。J社とはJcastニュース社のこと)
つまり、まとめると
1、 Jcastニュースは誤報道をしている可能性が高い。
2、 あたかも本人が言ったかのように世間に流布されたのは「イライラして蹴ったと聞いています」という伝聞の言葉だった。
まず、Jcastニュース社には、誠実な情報開示が求められます。記者と職員間の印象や感覚で、ここまでの相違点が出るのは、正常なこととは思えません。
ただ、事実確認をしたところで、ばんえい競馬振興課職員と同社記者のお互いの記憶違いが明示されるだけの可能性もあります。音声を記録していない限り、真実はこの両者にしかわかりません。
実際中日スポーツがJ社に対し事実確認をしたところ「ばんえい振興課への取材内容に基づき記事にしております。『イライラして蹴った』という記載につきましても、同課の担当者とのやり取りをもとに記事中に掲載しました。取材時点では、そのようなやり取りだったと認識しております」との文書が返ってきたそうです。
しかし仮に振興課の職員が「イライラして蹴った」という発言をしていなかったとしたら、本当に大問題で罪深いことです。その一言を見出しにすることで何が誘発されるかを想像してからこの記事を書くべきだったと思います。そしてこの言葉でかなりの人が振り回されたのは事実です。
ただ、このような「言った言わない」の解釈の齟齬は多少なりとも、報道や取材の世界には(あってはいけないのですが)ある事柄です。(私も前回の記事で紹介したばんえい馬生産者の戸田さんに「僕はそのようなことは言ってないよ」と言われるかもしれません。)取材者は、そのようなことがないように誠実に向かい合うしか方法はありません。そして取材者はさじ加減一つで物事の印象が大きく変わることを認識する必要があります。
また、私が恐ろしいと思うのは、伝聞の「イライラして蹴った」という言葉が一人歩きし、まるで騎手が直接発言したかのように、センセーショナルに、テレビのニュースの見出しになったことです。
これはネットリンチの誘発であり、こういう言葉を使えば視聴者は喜ぶだろうという情報発信者の「おごり」だとも思います。事実や、当事者がどんな思いを抱えているかは全く問題ではなく、発信者、視聴者の快楽、広告効果にのっとって報道されているということです。中日スポーツに書かれているように「報道のミスリード」そのものです。それを受け取る側にも、大いに問題があるように思います。
このことは、私も大いに恥じ入りました。前述したように「イライラして蹴った」という騎手の発言を受け入れていたからです。
今朝、たまたま戸田さんと電話で話をしました。騎手が蹴ったのは顔面というより顎の下で顔を上げさせるには合理的なポイントだったようで、やはり冷静な判断だったと。
何事においてもそうですが、体験している人間、現場にいる人間、当事者の認識に、部外者は到底追いつけません。私などは目を凝らして物事の輪郭をぼんやり見ることくらいが関の山です。そしてコロナ禍の情報社会では体験が著しく損なわれ、直情的な情報が喜ばれ、仮想敵を繰り返し再生産していきます。
蹴った瞬間、伝聞の情報の一部のみが切り取られ、生身の人間が鬼にされました。
この事実は重いです。去年の木村花さんの件も、同じ質を持っています。
私見ですが、情報と体験の深い溝を埋めるのは調査と想像だと思っています。なおかつ、厳密なノンフィクションはこの世にはありません。誰かの目を通して語られている時点で、ある程度の主観が滲み出るものです。それが魅力であったりもします。しかし、取材対象者に寄り添い、伝えることと、「あおる」ために喧伝することは全く違います。後者に対し、敏感でありたいと、自戒をこめて切に思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
「蹴った」ことの背景についてはこちらに記しました。
https://note.com/sasatanichez/n/n4d37fbf719c5
馬と人間の関係についてはこちらです。
https://note.com/sasatanichez/n/ndd558e5586a7
拙作「馬ありて」の予告編です。