映画をつくり、自然に仕えるー映画「山歌」のステイトメント(笹谷遼平)
「歌(うた)う」の語源は、「訴う(うったう)」だという説がある。何かを伝えるという意味にも変えられる。言葉や文字だけでは伝えられないこと、それが歌なのかもしれない。
映画も、歴史は浅くとも視覚的な歌だと思う。サンカ(※)の娘・ハナが本編のなかで口ずさんだ歌は「春駒」という。繭の豊作を祝うめでたい歌であり、かつて、サンカや旅芸人は村々の養蚕農家の玄関口に立ちこうした祝い歌を歌った。村人が歌うのではなく、村外の来訪者が歌うからこそ喜ばれ、価値があった。
私がサンカと出会ったのは、十年ほど前、友人宅の本棚だった。今となっては本のタイトルも思い出せない。ただ「日本のジプシー」だと友人は言っていた。
旅から旅へ。漂泊を続けた流浪の民サンカ。その存在はある程度の人が認知していたし、昭和20年代までは実際に目撃した人も多かった。しかしその実態を知る人は少なかった。だからか、サンカは清濁併せ呑むがごとく様々に人々の想像をかき立てた。
ある人は犯罪者組織サンカをモチーフにしたエログロナンセンスな猟奇小説を書き、ある人は素朴な山の生活を淡々と書いた。そうしてサンカという小説、漫画、映画、ノンフィクションの一分野が確立されていった。が、私はそういったジャンルの歴史に惹かれたわけではなかった。
2014年、別の記録映画の撮影で私は岩手県遠野の山中に来ていた。何気ない朝の一人散歩だったが、突如背筋が寒くなった。見渡す限りの深い木々の美しさに、えもいわれぬ恐怖心を抱き、人外のちからを感じたのだった。京都の郊外の住宅地育ちの私にははじめての経験であり、それは自然に対する畏怖心だと直観した。同時に、人間が自然をコントロールして当たり前だという考えが自身の根底に、アスファルトのようにへばりついていることも痛感した。
その時、ふと山中で漂泊の旅を続けたサンカのことを思い出した。自然の一部として生きてきた人々の目には一体何が見えていたのだろうか。現代人とは決定的に違うはずだ。では何が違うのか。どんな身体能力、作法をもって自然と関係していたのか。様々な思いが去来した。
サンカを撮りたい。サンカの世界、山の世界の深淵に触れたい。しかしサンカはもういない。ならば書き、撮るしかない。劇映画門外漢の私はシナリオを書き始めた。習作を含め十本ほどシナリオを書いた。モチーフはすべてサンカである。こだわりというより、妄執かもしれない。
そして2018年、シナリオ「山歌(サンカ)」(旧題「黄金」)を書き伊参スタジオ映画祭へ応募した。3度目の挑戦だった。この映画祭ではシナリオ大賞(中編の部、短編の部)を受賞したシナリオ作品は、著者の手によって賞金とともに映画化される「ならわし」があり、大賞の受賞は「映画を撮る」こととほぼ同じ意味をもってくる。そしてありがたく、幸運なことに、大賞を頂いたのだ。つまり、映画作りがはじまった。
本作の撮影は2019年7月20日から2週間、群馬県中之条町の山中でおこなった。ようやくの思いでこぎつけた撮影であったが、連日の悪天候に泣き、川の増水に落胆した。夜の豪雨はセットを壊し、撮影中の突然の暴風雨はスタッフ、キャスト、機材のすべてを飲み込む勢いだった。雨は衰える気配を見せず盛り、鉄砲水のように増水する川を背に、皆泥だらけでロープをつたい岸にあがり脱出した。まさに「ほうほうのてい」を体現していた。そんな状況のなか、もちろんシナリオに書かれている全てを撮影することは不可能だった。毎夜、断腸の思いでシーンを削り、書き換えた。
うつり気な天をにらむ。この年は梅雨明けがずれ込んでいた。この時期に撮影を設定した自分を悔いた。しかし、心のどこかで今の状況に対し「我が意を得たり」と高揚している自分もいた。まるでずっと昔から自然の混沌にもまれることを望んでいたかのように。
「自然は常に完全なり。彼女は一つの誤謬をも作らず」というロダンの言葉を思いだす。思想家・柳宗悦もこの言葉を好んで引用した。(「宗教家としてのロダン」『白樺』第一巻第八号、1910)
「悪」天候といっても人間が見、人間が都合のいいように価値をつけた言葉である。人間には残酷に見えても、自然に悪意はない。地震も津波も台風も、自然にとっては呼吸のようなものなのかもしれない。に対し、近代の科学の課題は、いかに自然をコントロールし、いかに便利に西洋的な文明生活を送るか、である。
映画を見ることも、映画を作ることも、文明生活の申し子である。しかし、圧倒的な自然を目の前にしたときに、私は映画を作ることで自然に仕えたいという気持ちがおきた。スタッフ、キャスト、関わってくれたすべての人が200%以上の力を出し、この映画に、山の自然に臨み、もがいた。だからこそ、自然のなかで作らせてもらっている感覚、もっというと「作らされている」ような感覚を強くもつことができた。
自然は完全である。私たちは、知恵と労力を持ち寄り、自然に対応して生きるしかない。私はかつての人々が、村総出で自然と向き合い、自然の一部として農作物を作るいとなみの、ごく一端を体感した。
「山歌(サンカ)」。この映画は、主人公・則夫少年がサンカに成れない物語である。彼は(私たちは)、音にならない風の気配、水滴にならない指に残る湿度、香りにならない木々の呼吸、そして先人の足音を感じた。すべてに無数の命があり、人間もまた、根底で結び合っているように思えた。そうした山の歌(うったえ)を、この映画に託した。
笹谷遼平
※彼らは自分たちのことをサンカとは呼ばなかった。本作においては山と里の間に生きる世間師(せけんし)、転じて「ケンシ」と呼称している(五木寛之著「風の王国」を参考にした)。