動くお城とのお別れ
車を売ることにした。
車と言えば、免許をとったあと、学校を卒業して地元に帰ってからは、かなり長いこと家族共有の中古車にお世話になった。
ただ、共有の車ってやはり相当不便だし、お互いに文句も出たりして非常にややこしかった。
そんな私の、初めての新車。初めての自己名義の車。私だけのお城。
内装を好みに整えた。行ったこともない車屋さんに度々顔を出すようになった。
うれしかった。誇らしかった。
その車を売ることにした。
理由は簡単で、在宅が増えてあまり使わなくなったこと。
そして何より、運転自体も苦手になってしまったからだ。
運転することが怖くなってしまった。
それをなかなか克服できなかった。
車が苦手になるまで、私の動く城は、いろんなところへ私を運んでくれた。
仕事先。友達の家。桜の綺麗な公園。元彼の家の近所まで。
元々遠出をするタイプではなかったので、行く場所は限られていた。それでも私の行動範囲やなけなしの社会性をせっせと広げ、構築してくれたのはこの車だ。
様子が変わってきたのは、親の病気が分かってからだ。
若年性認知症。
定年して、ようやくこれからゆっくりできるねって雰囲気になっていたころの話だ。
そのあたりの詳細は割愛するが、私の動く城は少しずつ、仕事先と、病院とを行ったり来たりするだけの生活になっていく。
そして幼いころからよく知っている人の様子が変わっていってしまうのを傍で見守ることは、並大抵のことではないのだと、徐々に実感をし始めた。
介護生活のなかで徐々に疲弊していく私を乗せて、動く城は同じ道を何度も何度も走ってくれた。
状態の悪くなってきた親は、ほっておくと家の鍵を壊して外に出てしまうし、挙句おかしなことをしてトラブルになり警察を呼ばれることがふえたので、運転が徐々にしんどくなってきた状況をおして、ドライブだと言って後部座席に乗せ、私は近所を何周もした。途中でジュースを買ったりして色んなことをごまかして。楽しくもないのに、大げさに話をした。
ただ、途中、胸に突き上げるような苦しさで、何度も何度も逃げ出したいような気持ちに駆られてしまう。非常に不快な感覚。
それでも、私の動く城とその中にかくまわれている病気の親を置いていくわけにはいかない。
認知症はなかなかに希望の少ない病だ。
今でこそ、病気の原因物質であるアミロイドβに直接作用するような薬が承認されたが、私たちが心底困っている渦中ではまだ「なんかいい薬の治験が始まるかも」とかいう噂がある位の段階で、あまりにも現実的ではない種類の希望の光だった。
こういった現実的ではない希望はただの祈りとしてしか用いることができない。たくさんたくさん祈ったけど、結果は無残だった。
そんなこんなで、私と私の動く城の間には少しづつ「不安、恐怖、居心地の悪さ」が漂うようになってしまった。
親は容体が悪くなるにつれ病院や施設を何度も変わった。その都度、どんどん家から遠くなってしまう。
運転がつらい。薬を飲んだってつらい。慣れない。こわい。
その強い不快感を無理やり押さえつけ、少しの距離でも何度も何度も休憩しながら乗った。路肩に止めてシートを倒し横になる。「もう大丈夫‘かもしれない‘」そのような心持ちになればどうにか再出発する。
ある日は親の病状が悪く、病院帰りに泣きながら乗った。つらいのでどこかの駐車場に車を寄せた。米津玄師さんのlemonがカーラジオから流れていた。
私の動く城が変わってしまったのではない。私とその家族があまりにも変わってしまったのだ。
それから数年経つ。
親は死に、私と動く城は残った。
だけど、私はもうお城のコックピットに入ることがつらくて、動かすことがつらくて。
売ることにした。
いい思い出も沢山あるはずなのだけど、やっぱりどうしても、一番に思い出すのは悲しくてつらくて苦しい記憶だ。
初めての城なのに。私の初めての。
売ることを決めてからは、あっという間だった。
そして、どこかほっとする気持ちもあった。「克服しないといけない」という無意識の圧迫感から逃れられるからかもしれない。
だけど見積もりのために沢山の営業の方が来て、「これはいい城ですね」といってもらえると、やっぱりうれしかった。
そうでしょう。綺麗に乗ってきたんだもの。
嬉しくてね、買ってすぐに座席に全部カバーを付けたんですよ。汚さないように。足元には可愛いマットも敷いてね。
事故もしてませんよ。大きな傷もないでしょう。大事に乗ってきたんですよ。
だけど私は、もう乗れない。
動く城にとって、一番大事な「動かすこと」を、もうずっとしてあげられていない。
上手く付き合ってあげられなくてごめんね。
手放す直前、ふっと、この車を買った日のことを思い出した。
私とまだ元気だった父と母で車屋さんに見に行って、色々見せてもらって、グレードとかオプションとか、あーでもないこーでもないと色々話していた、あまりにも普通の日常。
その証みたいなこの車が、もういなくなるんだって思うと、乗らないくせに、苦手なくせに、どうしようもなく悲しくなった。
こうやって、自分の平和な日常のいろんな場面に立ち会ってくれたものや人が、少しずつ消えていくなあと思って。とても寂しくなったのでした。
そういえば最後の最後、私の城は、バッテリーが上がってしまったよそのお城を助けて去っていきました。かっこいいやつでしょう。
次の城主に、沢山走らせてもらってね。
ごめんね。そしてありがとう。