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第10話 エピローグ―手記を遺すにあたり
8月になると、毎年のことながらいろいろなことが思い出され、複雑な心境になる。もちろん全てが忌まわしい記憶というわけではない。様々な悲劇や苦労のなかに喜びもあった。しかし、愛着ある場所が失われたこと、家族と引き離されたこと、夫の受けた仕打ちなど、戦争がなければこんな思いをせずに済んだのにという悲しさ、悔しさを消し去ることはできない。今は樺太へ観光で行けるようだが、そこはもうかつての「樺太」ではなく、ロシアなのだ。変わり果てたその地に、行ってみたいという気にはどうもならない。
やはり、戦争は二度とあってはいけない。今の若い人たちに、私たちと同じ体験をして欲しくないのだ。やっと手に入れた平穏な暮らしを壊すようなことをしてはいけない。いつまでも平和な世の中が続くことを願ってやまない。
あまり振り返りたい記憶ではなかったため、この一連のことについては自分の胸に秘めていたが、小平の三船遭難慰霊碑を訪れ、心境の変化があった。慰霊碑では毎年8月下旬、砲撃事件のあった日前後に慰霊祭が行われ、事件について語り継がれている。当時を知る人たちが高齢化するなか、辛い記憶でも、こうして風化させないことが大事なのだと感じた。それで私も拙筆ながら、短い手記に引き揚げの記録をまとめることにした。夫の遺した遺産である4人の息子に、それを託す。
後日談になるが、松田リョウが他界し、札幌の家は取り壊され、土地は売却された。ほどなくして跡地には「HOPE」という名のアパートが建った。南名好の希望館を想起せざるを得ない。これは単なる偶然ではない―その後かつての我が家はどうなったか、とその場所を訪れた子、孫は、人が亡くなっても連綿と続く記憶があると感じたという。
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