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訃報に触れたとき

私がそれなりに歳を重ねて経験を積み、『お年頃』になったということなのだろうか。

知人や恩師や親族など、誰に対してもそうなのだが、その人がこの世から去られたということを知ると驚きを持って受け止めるも、直後にはあらゆる感情が極限まで抑制され、「そうか、亡くなられたか…」という言葉にしかならないことが多くなった。

加えて、故人を(断続的に)偲ぶ期間が長くなってきたように思う。
その人との付き合いが長いか否か、あるいは濃密だったか否かは関係なく、忘れた頃にその人のことを思い出し、各々に対する色々な思い出を一通り思い返したり、あるいは数少ない思い出を反芻したりするのだ。

私がその人のことを覚えている限り、少なくとも私の中でその人は存在し続けている。
そして、その人のことを覚えているということで、私が今ここに存在しているのだということを確認しているようにも思う。

一方で、私がこの世を去ったときに、私はこの世に残っている人々に何を以て覚えられ、存在することになるのだろうかと考えることがある。
そんなことを私が知る由もないが、知ることが出来たとしても、そんな恐ろしいことは知らない方が良さそうだ。

もっとも、私のことを誰がどのように覚えていようとも、私は私なのだから気にしたところで仕方がない。

いまの私に出来ることは、いつでも速やかに成仏出来るように、日々を悔い無く過ごすことなのだと思う。

その実践はなかなかに難しく、出来ているかどうかは、また別の話である。



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