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果たす役割があるならば、私が何者でも構わない

12年前の今日、私はFacebookにこんな記事を投稿していた。

「私が何者か?」なんて…そんな簡単にはわかんないよね。

私にできることは
私以外の人にでもできるのかもしれないけれど、
私に声をかけてくださる人がいる…
それが有難いよね、ご縁でもあるし。

私がやってることは
誰でもできて当然のことと思われるかもしれないけど、
じゃあみんなそれが出来てるの?やってるの?って話。

どんなに小さなことでも、
今自分が何らかの役割を果たしていることが大事。

人は誰かのために働いているときに
自分が存在していることを確認できる。
そこには自分の不安定さや不甲斐なさも含まれるのだけれども。
仕事をしているという事実…それこそが大切なことだと思うのです。

ま、お金になるかならないかって話はあるのだけれどもね…。

2012年10月17日付 Facebookへの投稿記事

『私はこうありたい』と考えることは大事だが、『私は何者か』を考えたところで、私がリアルタイムに自覚することはほぼ不可能だと思う。
なぜなら、それは私の周辺環境が作り上げるものであり、私の後についてくる『おまけ』のようなものだから。

公私を問わず、有形無形に関わらず、どんなに些細なことであったとしても、私の目の前に自身の果たすべき役割があるならば、それが私の生きる力になるのだと思う。

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