noji×Jumpei_20211208/決起集会レポート
強くて、優しくて、やんちゃなところが共通点のふたりのアスリートが、東京パラが終わった3ヶ月後に、これからの子どもたち、地域の人々へのアプローチを考えるために集まった。
(コラボしようと話し合う作戦会議に立ち会うことができ、ファンとしてなにより幸せ・・)
東京パラのトライアスロンに出場した木村潤平選手は、社会福祉法人ひまわり福祉会がサポートするトライアスリート。一般社団法人Challenge Active Foundation代表理事として団体の活動も始めたところ。水泳選手だったころ、2004年アテネパラリンピックへ向かう取材で知り、それからずっと追い続けている。2013年からトライアスロンに挑戦、16年まで水泳とトライアスロンを同時に行い、現在はトライアスロンに専念している。
野島弘さんは1998年長野、2006年トリノでの冬季パラリンピック・アルペンチェアスキーの日本代表。私の取材はトリノへ向かうところからで、長野後の冬のパラリンピックの状況を知る貴重な取材先。現在の主力たちの先輩であって、彼らの心の支えとしても大事なポジションにいる。
現在は、障害のあるなしによらない子供たちと一緒に遊んだり、学んだり、挑戦をともにすることでスポーツの楽しさを伝えている。一般社団法人ZEN代表。
パラスポーツ応援イベント「パラトラトーク」が始まり
ふたりとは取材先として20年近いつきあい。同時に2013年からの横浜での「パラトラトーク」に毎年出演してもらっている。
パラトラトークは、NPOメディア・パラフォトとパラアスリート、パラスポーツファンのコラボによる地域のパラスポーツ応援イベントだ。
世界トライアスロンシリーズの開催地は横浜。オリンピック・パラリンピックのトライアスリートが横浜山下公園特設会場に集まる。パラトラトークは「世界中から集まるパラトライアスリートを応援しよう!」と、国内外の選手を会場付近の特設スタジオに招いて公開インタビューを行ったのが始まり(2013年)。
パラアスリートの多様な人柄や活動の魅力を開催都市の市民や観光で訪れる人々に伝え親しんでもらう。パラスポーツの交流と街づくりを掲げたイベントにふたりを始めとするアスリートが協力してくれとても心強かった。
パラトラトークはつねにパラスポーツファンによる小さな発信にすぎないが、東京パラへの注目の高まり、大会・競技レベルの成長の影響で徐々に変化した。
当初は、地元市民メディアが集まってのLive配信と競技取材だったのが、2018年からは、IPC国際パラリンピック委員会とWOWOWが共同制作するパラリンピックドキュメンタリーWHO I AMの上映会、WHO I AMのチーフプロデューサー太田慎也さんを迎えたトークイベント、ニュースキャスターの堀潤氏がリードする地域の子どもたちとのワークショップ・子どもカメラマン、ヒーロー・インタビュー、人気のパラアスリートを迎えたおためし体験会など、より市民を巻き込んだ交流へとシフトしていった。
WHO I AM上映会はヨコハマ・フットボール映画祭プロデューサーの福島成人さんの技術協力、オンライントークイベントは横浜コミュニティデザインラボの杉浦裕樹さんなどNPOのコラボ配信にもなった。
こうして続けてこれたことは当事者であるアスリートが地域での普及に協力してくれたことが大きかったと思う。noji×Jumpeiはそんなコラボの実績を踏まえていることを特筆しておきたい。
そして、今回のミーティングの直接のキッカケになったのは、ちょうど1ヶ月前、WHO I AMイベント(WOWOW主催)、ノーバリアゲームズだった。
コロナ禍でやっと開催にこぎつけた第2回に、太田プロデューサーは、1回目(日比谷音楽堂で2019年6月に開催)レギュラーの野島さんに加え、木村選手を呼んだことで、2人は再会した。
結局、ノーバリアゲームズもパラトラトークも(規模は違うけど)パラリンピアンが一般のファン、子どもたちと触れあえるってところがかぎで、魅力になっている。そして、そのことは世界中のパラアスリートの願いなんじゃないかな?ってことをいつも強く感じる。
だから、二人がさらに力を合わせるのって、すごく自然だし効率がいいと思う。
来年、いよいよnoji×Jumpeiの想いを託した企画を展開するとのことで、ほぼ合意した。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?