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骨髄ドナー登録までの道のり


2021年10月10日、骨髄ドナー登録をしました。

私は高校生で初めて献血をして以来、毎年1~2回の献血を続けてきました。
(個人的事情により成分献血が出来ない為、400ml全血での提供は年に2回までしかできません。)
さらに遡れば小学生の頃、アイバンクのお手伝いなどもしていたので、そういったボランティアに対する意識を自然と持つようになっていたのかもしれません。
(眼球を提供した後のご遺体と対面するのは、今思えば、子供心に相当なインパクトのある出来事だったと思います。)
社会人となり医薬業界で働きだしてから、骨髄バンクについても関心を持つようになりました。
しかし、どうしても登録までのあと一歩を踏み出すことができませんでした。

理由としては、
*知識が不十分であったためただ単純に怖かった
*マッチングした際に、仕事が激務であったため休むことができないと感じていた
*話し合うこともなく、両親がどう思うかを心配していた
*ドナーとなった場合の自分の身体へのダメージへの不安があった
…等など、ドナー登録それ自体よりも、実際に私がどなたかとマッチングした場合(患者さんにとってはこの上ない喜びの瞬間であるのに)、躊躇したりあるいは拒否したりする可能性が自分にあるためでした。

そして月日は流れ、いつしか私の関心も薄れていった頃、全世界が疫病に見舞われました。
たくさんの犠牲者を出しながら、人類は命の尊さを再確認し、今もなお闘っています。
新しい生活様式が求められ、自分自身と向き合う時間や機会を持つこととなり、風化しつつあった私の気持ちがまたむくりと起き上がりました。
このままではいつか来る最期の瞬間に後悔がひとつ増える、と。

そこからは勢いに乗って再度情報を収集し、自分の不安の芽をひとつずつ摘み取り、両親とも話し合い、骨髄バンク推進月間とのことで登録会なるイベントに行きました。
イベントスタッフの方と話をすることでさらに意思が固まったと同時に、迷いながらも延々と先送りにしてこんなに歳を取ってしまったことや勇気のなかった自分に対して、恥ずかしながら涙が止まりませんでした。
スタッフの方が「そんな風に考えてこうしてお話してくださった方は初めてよ」と、目に涙を浮かべて伝えてくださった時に、自分のへんてこりん(ひとからよく「変わってる」といわれてきたし、自分でも自覚しています)な思考回路に困惑しつつとても嬉しかったことを覚えています。

ドナー登録をしたからといって、そもそもマッチする方がいらっしゃらないかもしれないけれど、もしも、もしも、誰かの助けになりうることができる日が来たら、それまで自分が生きてきたことへの喜びが2倍にも3倍にもなるんじゃないかとどこか楽しみでさえある今日この頃です。

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