參天台五台山記読記007
廿七日(丁未)
天晴。巳時出船。依有北風。以艫進船。未時著明州黃石山。山石并土。其色如紅。大海水大濁最黃。從此島得順風一日至明州(云云)。北見北界山,有人家。依南風吹,去黃石山,廻船著小均山。黃石西南山也。有四浦,多人家。一浦有十一家。此中二宇瓦[卄/(亡@口)/月]大家。餘皆萓屋。十有餘頭羊。或白或黑斑也。小均山東南有桑子山。有人家。灣海五六町。桑子山南隔(【考】隔雲閣本作渟原本亦似渟)海數里。有大均山有二十四澳。(【考】澳,松、閣、學三本作灣,非也)各人家多多也。大均山西畔,有隨稍山。有港無人家。小均山頂(【考】頂松學)(兩本作埃)有清水。法師等以瓶三口取水來。獻佛閼伽。諸僧飲之。
ノート:
天気に恵まれた晴れわたる一日である。巳時(午前9時11時)頃出発し、未時(午後1時3時)頃に黄石山に到着する。北風が逆風となるため、船の櫂を漕いで進む。黄石山は多分大洋山の東南に位置する現在の黄沢山のことだと思われる。この山の石や土は真っ赤で、近くの海水も黄色く濁っている。追い風の日なら、1日で明州(寧波)にまで到着できるほど近い距離にある。
黄石山の北側には、北界山が見える。当時はこの北界山にも人が定住していたようだ。
その後、南風に転じたため、黄石山を離れ、その西南にある小均山まで船を漕ぐ。小均山は現在では小衢山と表記されている。この島は、まるで水に飛び込もうとするカエルの形になっている。小均山には4つの浦があり、そこには多くの民家が建っている。
小均山は黄沢山の西方に位置しており、その浦の1つには11軒の家屋がある。そのうち2軒は瓦葺きだが、他は茅葺きの家だという。大海原のなかにある限られた土地に、瓦屋が築かれているのは、対外貿易で財力的に潤っていることを示しているのかもしれない。また、その浦では十数匹の羊も飼育されており、海商生活の支えとなっているようだ。
また、小均山の東南には桑子山があり、そこにも人家が存在するそうだ。現在ではこの島は双子山と表記されるようになり、正に小衢山の東南に位置していることが分かる。
さらに、桑子山から数里南の海上には大均山(現在の大衢山)があり、そこには24もの海湾が存在し、各所に多くの人家が建っていたそうだ。この大衢山には仏寺や教会もあり、観音様が普陀山に向かう前に3年間滞在したという伝説が残っている。そのため島には観音山があるが、現在では住民の3分の1がキリスト教徒になったと言われている。また、この地からは有名な岱塩が産出される。
大均山の西側には、隨稍山がある。港がある小さな無人島だったか。
また、小均山の山頂には貴重な清水があり、そこを訪れる法師たちは3本の瓶にその水を汲んで、閼伽(功徳水)として仏様に供えてから、全員で水を飲んだ。