参天台五台山記読記030
五日(甲申)
晴れる一日だった。卯時に、陳詠は役所に行き、水門を開けてもらうよう申し出た。役人が来て水門を開けてくれたので、船が出航できた。他にも30、40艘の船が同様に水門の開放を喜んでいた。
巳時に、水位が低下したため、川の下流で船を止めることにした。
申時になると水位が上がったので、再び航行を開始した。順風に助けられ、帆を上げて三江の一つ、錢塘江を通過した。
酉時になって、越州の西興泊に到着し、そこで一泊した。
七時には勤行を修了した。
六日(乙酉)
晴れる一日だった。卯時の一点に船が出発し、十里ほど進んで川口に入った。船頭、陳詠ら一行は主船司という役所に行き、杭州から発行された牒(公文書)を見せて、開門札(許し状)を受け取った。それで、古い閘門の基礎を使った定清門という水門を開けてもらい、船が水門を通過した。
また、十五里進んで、第二の水門である五雲門に到着した。主船に従い、閘門に入って水門を開け、船を通過させた後、綱手(引綱)を付けた。
巳時に、蕭山寺の前で船を停泊させ、寺院を遥拝した。山には石造りの九重塔があり、その上層には鶴の巣が作ってあった。
そして、官市務を通過した。(官市務は昔の中国の官署で、税収や貿易管理などを担当していた。)主市司(市場管理役)が輿に乗って船に訪れ、船の通行を許可してくれた。
また、駐揖亭を通過した。そこには高さ5、6丈ほどの五重塔が2基あり、覚苑寺と呼ばれていた。寺院を遥拝した。
五雲門からさらに五十里進むと、未時に錢清堰に到着した。ここでは、牛に引かせて船を陸地に引き上げる珍しい光景が見られた。右左には二頭ずつの牛が船を引き上げていた。船の人々は幅一町ほどの大河を、十艘の小舟でつながれた浮橋を渡った。
さらに三里進むと、山陰県に到着した。ここには大石橋があり、これまでに5つの大石橋を見てきた。
さらに二里進んで錢堰に着いた。ここから五十里進み、戌時に府の迎恩門に到着したが、水門が閉まっていたので、そこで一泊した。
七時には勤行を修了した。今日は百三十里を航行した。