【日記】勝ち負けのある世界
今日疑問に思ったことがある。
私の基本スタンスとして「自分がどう見られるかが大事で、出会った人を不快にさせないようにしたい(相手を不快にさせることで自分の評価が下がるのを避けたい)」というのがある、と今まで思ってきたが
自分がどう見られるかが大事なら、なぜ容姿に配慮しない?
容姿が他人に与える影響はわかっているつもりだ。
人間は結局ビジュアルの生き物だ。容姿がいいほど相手に好印象を与える。
それなのに容姿に配慮しないのは、「自分がどう見られるか」さえもどうでもいいのではないか。
「他人に良い印象を与えたい」のではなく、ただ只管に「自分が攻撃対象となるのを避けたい」というのが本当のところなのだ。
他人を不快にさせると、それだけ攻撃される確率が高くなる。
攻撃対象となるのを避けたい。それはたしかにそうだ。私は1mmも傷つきたくないと思っている。争いたくもない。
勝ち負けのあるゲームが好きじゃない。スポーツのワールドカップも、ニュースで「○○(国名)vs△△(国名)!今夜決戦!」というのを見かけるたび「あー、どっちかは負けるんだな」と思う。
何かで勝った記憶がないからかもしれない。何にしても勝てるビジョンが見えない。弱いから、勝てないから、降伏するから攻撃しないでくれ、というのはある気がする。
すぐ他人を分析したがるのも、自分は土俵の外にいるという認識を自分自身に植え付けたいからかもしれない。俯瞰で見てますよアピールだ。
こういうふうに思うということは、私は勝ち負けのある世界を選択して生きているということだ。勝ち負けがある、と思っているからこういう発想になる。
ずいぶん中途半端なことだ。
勝ち負けがあると認識していながら、あらゆる勝負を放棄する。
何かで勝った記憶がない、とさっき書いたが、半分本当で半分嘘だ。
正確に言うと、社会人になってから勝った記憶がない。社会にうまく適合できずあらゆることに負けた。
成功体験がない、ともいえる。
そしてここまで書いていて思ったが、私はどういう基準で勝ち負けを判断しているのか。売上が社内で一番だったら勝ちか?年収が同年代平均よりも多かったら勝ちか?結婚したら勝ちか?不動産を買ったら勝ちか?
私は上記のような社会的成功がなければ勝ってないんだろう、と薄ぼんやり思っているだけで、明確な判断基準を自分の中に持っていない。だからずっと負けだ負けだ、とひとりごちているのだ。
私に必要なのは「攻撃されないよう怯えて暮らすこと」ではなく「何を勝ちで何を負けだと思っているのか明確にすること」なのかもしれない。
……本当か?
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