【日記】私は君の母親じゃないので
友達と電話した。
深夜3時に「やばいくらい落ち込んでいる」とメッセージが来たので、これを放っておいたらもしかして私は罪人となるのか?と思った。
おかげでとんでもない寝不足になってしまった。
この人は前の職場で一緒だった人だ。
仮にNとする。
Nは私が今まで会ったことのある人の中で、最もものの考え方が変わっている。
(最大限オブラートに包むとこういう表現になる)
例えば…
私は前の職場に定期的にもらいものの野菜を差し入れに行っている。
普段、野菜を主に持って帰るのは子供がたくさんいるIさんだ。
だがある日、Nに元気がなかったので、「この野菜はNが持って帰りなさいね、野菜食べて元気出してね」とNに野菜を渡した。念のため言っておくとNは野菜が好きだ。
あとで話を聞くと、その後、Nは上司に「○○さん(私のこと)に野菜をもらったんですよ」と報告した。すると、上司は「じゃあいつもどおりIさんにあげなさい」と言い渡したという。
Nは「自分がもらったのだ」ということを言えず、結局野菜はIさんに渡った。そしてNは大層落ち込み、上司の悪口を私に言ってくる、という始末。
なので、私は「じゃあ次は、上司に報告せず勝手に持って帰れば?」とNに伝えたが、Nは「えぇ…報告はしないと駄目でしょ(ドン引き)」みたいな反応だった。
Nは非常に真面目で、おそらく嘘や抜け駆け、手抜きといった概念がわからないのだと思う。
他にもいくつかエピソードがあり、総じて「世の中(大きすぎか?じゃあ自分が属しているコミュニティ、と言い換えてもいい)は秩序立った綺麗事だけで動いているわけではない」ということがわかっていない気がする。
あとは「その場で最も優先されるべきことは何か」を察することができないみたいだ。まあ私もできない。
私がNと知り合ったのは1年前くらいだが、おそらく今までも散々苦労してきたはずだ。
その生真面目さと自信のなさと…〇〇の低さ(書くのが憚られる)ゆえに常に傷つき、ストレスを抱え、精神状態がめちゃくちゃになっている。
だが、私はNにいい影響を与えよう!などとは思っていない。というか、与えられない。
私はNの親ではない。Nがどうなろうと責任を持つことはできない。
(本当は親でさえも、他人たる自分の子に責任を持つことはできない)
ただ、自信がないところや傷つきたくないところなど、私に似ているというか思い当たる節がありすぎて、つい話してしまうのだ。
あと……おもしろい。ああ、こういう考え方をする人もいるのだな、と感心する。
Nが幸せになってほしいと思う。でも幸せにするのは私じゃない。Nだ。
ひとまずNには病院に行ってほしいと思う。でも行かない。「一度病院にかかってみては?」とすすめている(唯一のアドバイスだ。他にアドバイスはしたことがない。求めていない相手にアドバイスはよくない)が、全然行かない。
病院に行くのはかなり億劫だし、行ったところで何が好転するのかと思っているらしい。私がもしNの母親だったら引きずっていくところだが、それはしない。関係ないので。
結局、私がやることといえば、Nが話したいと言ってきたときに多少話し相手になって、「へぇ、Nってこういう考え方なんだな」とおもしろく思うことだけだ。
そうなると、友達って何なんだろうな、とも思う。
友達という概念については、後日また考えよう。
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