29 信じてるから大丈夫
夜間は煌々と街を照らしていたネオン看板が息を潜め、昇ってきた太陽とは対照的に、所在なさそうな月は雲間から気持ちばかり顔を出しているが、この街にそれを見る者はいない。夜に蠢いていた者たちは身を潜め、明るくなり始めた街には遠方に通勤するサラリーマンや、学生がちらほらと姿を見せ始めていた。
D地区サテライトオフィスでは、トミタロウとフォルクハルトが使用後の備品のチェックをしていた。ハルキはメンテルームだ。
オフィスのドアが開いてヤマトが入ってくる。あれから、ヤマトは連日勤務時間より早く来てはハルキに絡んでいる。フォルクハルトはハルキから「喧嘩は禁止。こっちで適当に流すから、間に入ってくるな」と言われて憎々しげにそれを眺める事しか出来ずにいた。結婚指輪を見ても「へー…ていうか、逆になんで今までしてなかったの?」と言われただけで、効果は特になかった。既婚者と知った時点で「別にご飯くらいいいでしょ」と言った人間なので、それはなんとなく予想はしていた。見かねたミドリが「メンテルームに避難しときなよ」と言ってくれたので、ヤマトが来る時間にはハルキはメンテルームにいるようにしていた。ヤマトは、ハルキがいないと大抵はトミタロウに話しかけてくるのだが、今日は珍しくフォルクハルトに話しかけてきた。
「あ、ミュラーさん。そういえば昨日ミュラーさんを訪ねてきた子供がいたよ」
「子供?」
フォルクハルトは正直相手はしたくなかったが、なんとなく嫌な予感がして聞き返した。
「なんかミュラーさんの子だって言ってたけど」
(アルベルトめ…)
フォルクハルトは顔には出さずに、頭の中でアルベルトへの呪詛をはく。
「シフトが夜間だから、その時においでって伝えといたから」
「…はあ、どうも」
フォルクハルトは気のない返事をして、備品のチェックを続けた。その子供とやらは、今日は来なかったが、また明日辺り来るのかもしれない。
嫌な視線を感じてそちらを見ると、ヤマトがニヤニヤしていた。
「あんな大きなお子さんいらっしゃったんですね」
何も知らなければ、そう思われる事は仕方がない。しかし、その態度がフォルクハルトへの当てつけなのは間違いなかった。
「いや、俺の子供ではない」
フォルクハルトに淡々と否定されて、ヤマトは面白くない顔で「ふーん」と言った。
そこへ、ハルキがメンテルームから出てきた。「お疲れさま」
ハルキはヤマトを見て軽く挨拶をしただけだったが、ヤマトは水を得た魚のように快活になりハルキの方へ寄って行った。
「あ、ハルキちゃん!お疲れー。なんか昨日、ミュラーさんの子供が来てたんだよ」
「え、また?」
ハルキの反応にヤマトは怪訝な顔になる。
「また?」
「前も来てたけど、結局フォルクハルトの子ではなかったぞ」
ハルキに平然と対応されてヤマトは面白くなさそうに「そうなんだ」と返した。
「双子の兄の子だった」
続いたハルキの言葉に、ヤマトはフォルクハルトを見た。
「へええ…双子の…兄ねえ」
ヤマトがフォルクハルトを疑いの目でジロジロとみる。
「ハルキちゃんさあ…騙されてるんじゃないの?双子の兄とかそんな都合のいい話ある?」
フォルクハルトには聞こえないよう小声で言う。
「いや、本当に双子の兄がいて…」
「ふーん…ハルキちゃんがそう信じてるなら、そういう事にしとこうか」
ハルキは誤解を解こうと説明しようとしたが、ヤマトは話を聞くつもりはなさそうだった。
次の日、やってきたのは赤毛の少女だった。オフィスのインターホンが鳴って、フォルクハルトが入り口に向かう。ドアを開けた瞬間、フォルクハルトは後ろに飛び退いた。少女の手に光るものが見えたからだ。異変に気づい
たハルキとトミタロウが動く。
「刃物持ってるぞ!」
フォルクハルトの声に全員に緊張が走る。
少女は憎しみに満ちた眼光でフォルクハルトを睨みつけ、両手で果物ナイフを握りしめ刃先をこちらに向けていた。
「ママを誑かして逃げた癖に、今更何のつもりよ!!」
少女が叫ぶが、全く話が見えない。ハルキとトミタロウに至っては言語の壁で何を言っているのかすらわかっていない。二人は少女を囲むように対峙しながら、端末の同時翻訳機能をオンにした。
「待て、落ち着け、まず俺は君の父親ではない」
「嘘!写真で顔ぐらい知ってるんだからね!」
とにかく落ち着かせて、武器を取りあげなければならない。
少女の意識はフォルクハルトに集中している。トミタロウと目配せしながら、ハルキがジリジリと少女の後ろに回り込む。
「俺はフォルクハルトといって、君の父親の双子の弟だ。顔は同じだろうが別人だ」
フォルクハルトの説明は少女の怒りを加速させた。
「双子の弟なんて、誰がそんな嘘信じるのよ!!」
(信じろよ!!)
フォルクハルトは心の中で大いに叫んだ。この手の話になると毎回これだ。ヤマトの反応はもちろん、アルベルトの二股に気づいて怒鳴り込んできた奴も、アルベルトに酷い捨てられ方をして泣き喚いてきた奴もみんなそうだ。アルベルトの二股がバレそうになって「あれはフォルクハルトだよ」などとアルベルトが誤魔化そうとした為に、変な修羅場に巻き込まれた事もあった。基本的に原因はアルベルトだが、それにしたって双子だと説明すると初手で嘘つき呼ばわりされるのはうんざりだった。その癖アルベルトの嘘は案外みんな信じるのだ。
少女の注意が完全にフォルクハルトに向いたタイミングを狙って、ハルキが動いた。
素早やく少女を羽交締めにする。続いてトミタロウが少女の手からナイフを取り上げた。
驚いている少女にトミタロウが話しかける。
「まずは落ち着いてください。お話は伺います。」
メンテルームから様子を伺っていたミドリも顔を出す。安全が確保された事を確認すると、メンテルームから出てきた。
「話は概ね聞かせてもらったわ。大丈夫、私達はあなたの味方よ。」
「え?」
少女は困惑していたが、フォルクハルトも同じくらい困惑していた。
(それはカワトは俺の味方ではないという事か?「私達」って、俺の味方はいないのか?)
少女はとりあえず落ち着きを取り戻し、メンテルームでミドリとトミタロウが話を聞く事になった。
ハルキはオフィスでフォルクハルトの隣に座っていた。フォルクハルトは憔悴した様子でブツブツ言っている。
「何人いるんだ…アルベルト、あいつどれだけ…」
「アルベルトはモテたのか?」
ハルキに聞かれて、嫌な事実を思い出す。
「俺が知る限りでも最大5人と同時に付き合っていた上に、彼女が途切れることはなかった。」
あの時期にできた子供が来たら渡航記録では証明しようがない。
「人心掌握が異様に上手いんだ。表向きは人当たりのいい優等生で、友人も多かった。」
「…そうなのか」
ハルキは、確かに爽やかな笑顔で第一印象として愛想はとても良かった事を思い出す。
「もしかすると、もう何人か来るかもしれない…」
「何人来ても、私はフォルクハルトを信じてるから大丈夫だぞ」
ぐったりしたフォルクハルトの背中をポンポンと叩いて、ハルキは彼を慰めた。
しばらくして、トミタロウがメンテルームから出てきた。
「だいたいわかりました」
少女の名前はマリカ・オットー。母はエリーザ・オットーというハイスクールの教師で、共に日本に来たという事だった。
「エリーザ・オットー?どこかで聞いた名だな…」
「あれ?お知り合いですか?」
トミタロウに聞かれて、フォルクハルトは思い出そうと記憶を辿る。ハイスクールの教師。そういえば、通っていたハイスクールにそんな名前の教師がいた。そうだ、やたらお菓子をくれたから覚えている。
「俺とアルベルトが通っていたハイスクールにいた教師だ。あいつ、教師にまで手を出してたのか…知らなかった。愛想が悪い俺にも妙に優しいと思っていたらそういう事だったのか…」
「マリカさんの年齢的に、そういう関係になったのは卒業後かもしれませんね。母親は今回初めて日本に来たという事らしいので、前回と同じく渡航記録で説得可能だと思います。」
トミタロウの説明にフォルクハルトはホッとした。
「しかしなんでまた、ここに来たんだ?」
前回は探偵に調べさせて来たと言っていたが、少女の様子から今回はそういう風でもなさそうだ。
「何ヶ月か前にアルベルトさんからメッセージが届いたそうです。「ここで働いているから逢いにおいで」と」
フォルクハルトはため息をつく。
「それで「今更なんのつもり」か。母親の方はどうしてるんだ?一緒に日本に来たんだろう?」
「あー、どうせ母親を騙そうとしてるだけだから母親が会う前にアルベルトを殺そうと思ったみたいです。」
「アグレッシブすぎるだろ」
危うく人違いで殺されるところだった。
「で、俺が双子の弟だって事は納得してくれたのか?」
「それについては、まだ特に話してません」
淡々と告げるトミタロウに、フォルクハルトは急に不安になった。
「…トミタロウは、俺の味方だよな?」
トミタロウは一瞬何か考えた後に「まあ、こういう時は、まず相手の話を聞いて懐に入るところからなんで」と応えた後、メンテルームに戻っていった。ハルキは何も言わずにフォルクハルトの背中をポンポンと叩いた。
それから少しして、ミドリとトミタロウがマリカを連れてメンテルームから出てきた。マリカは落ち着いたようではあったが、フォルクハルトを睨みつけているところを見ると、まだ彼のことを自分の父だと思い込んでいるようだった。
フォルクハルトとハルキのいるテーブルのところまできたところで、マリカはフォルクハルトの左手薬指に指輪がある事に気づいた。
「あ…」
マリカはワナワナと震え出す。フォルクハルトもその異変に気づいた。
「ママを騙して逃げた癖に、こんなところで結婚してるなんて!!」
大声で叫んだマリカにハルキもビクリとする。マリカはハルキの指に同じ指輪がある事に気づくとハルキの方に詰め寄ってきた。
「あなたもママと同じ!騙されてるのよ!この男は女を騙して、弄んで、飽きたら捨てる!そういう男なのよ!」
ハルキはその迫力に言葉もなく圧倒されていた。フォルクハルトの我慢が限界に達した。
「だから!話を聞け!」
机を叩いて立ち上がる。
「まず、第一に!俺はアルベルトではない!」
フォルクハルトは用意していた役所のデータを見せる。
「見ろ!双子の弟がいるだろ!それが俺だ!」
体格のいい大人の男に凄まれて、頭に血の上っていたマリカも流石に恐怖を覚える。
「次に渡航記録だ。俺は14年前から日本にいて、一度も日本から出ていない!よって、お前の父親ではない!Q.E.D.わかったか?!」
フォルクハルトに睨みつけてられて、マリカは怯えながらこう言った。
「マ…ママが話してたパパのイメージと全然違うから、別人なのはわかったわ」
フォルクハルトは顔を引き攣らせた。
「ちなみにパパはどんなイメージなんですか?」
トミタロウに聞かれてマリカは少し考えてから「爽やかな美形で春の風のように優しい笑顔の王子様みたいな人」と答えた。
フォルクハルトげんなりした。
「それは確かに違いますね」
「良かったじゃん。別人だってわかってもらえて」
特に感情もなさそうなトミタロウとミドリに言われ、フォルクハルトは拳を握りしめ、自分の腿を叩いた。
「くっそ…くっそ…顔は同じだろうがぁ…」
ハルキは何も言わずにフォルクハルトの背中をポンポンと叩いた。
その時、インターホンが鳴った。
トミタロウがドアを開けると、そこには華奢な女性が立っていた。
「すみません、オットーと申します。娘が…13歳くらいの女の子が来ていませんか?」
マリカの母親だ。マリカも入り口を見てそれに気づく。
「ママ!」
「マリカ!あなた勝手に一人で出ていったらダメじゃない!心配したのよ?」
女性---エリーザ・オットーはマリカの元に駆け寄ると、マリカを抱きしめた。
「ごめんなさい…」
素直に謝るマリカの頭を撫でて、顔を上げフォルクハルトに気づく。
「アルベルト………じゃなくてフォルクハルトね」
エリーザの反応に、フォルクハルトは眉間に皺を寄せてハルキの方を向いた。
「子供の頃からずっとこれだよ。みんな、一回アルベルトと間違えて俺だと分かるとガッカリするんだ」
ちょっと泣きそうになりながらハルキに訴える。ハルキはうんうんと頷いて、手を伸ばしてフォルクハルトの頭をよしよしと撫でてあげた。そんな二人を見て、エリーザは「ごめんなさいね」と困ったように笑ったあと、ため息をついた。
「やっぱりアルベルトの悪戯ね。あの子がそんなメッセージ送ってくるなんて変だと思ってたわ。みなさんご迷惑をおかけしました。」
言ってからフォルクハルトとハルキの指輪に気づく。
「あら、あなた達…」
エリーザはハイスクールの頃のフォルクハルトを思い出す。兄とは違い、無愛想で必要な事しか話さず、あまり人とは関わろうとしなかったあの青年が、遠い異国でまさか結婚していようとは夢にも思わなかった。表情の柔らかさから、ここで上手くやっているのだと分かる。
「そう…良かった。末長くお幸せにね」
きょとんとしているフォルクハルトとハルキにそう伝えて、エリーザはマリカを連れて帰っていった。
エリーザが帰った後、フォルクハルトは改めてハルキに謝罪した。
「面倒に巻き込んでしまって、すまない」
「フォルクハルトのせいじゃない。それに、私はフォルクハルトを信じてるから大丈夫だぞ」
ハルキは笑って、フォルクハルトの背中をポンポンと叩いた。
「そういえば、ハルキは俺の言うことを疑わないな…」
フォルクハルトに言われて、ハルキは得意気に微笑んだ。
「ああ、私はフォルクハルトが嘘をついたら分かるから」
フォルクハルトは目を瞬いた。
「………そうなのか」
不思議そうにしているフォルクハルトを見て、ハルキは楽しそうに笑った。