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42 ご両親に挨拶とかしなくていいの?
そろそろ結婚してから一年が経つな。結婚記念日は何をしようかな。などと思っていた頃、珍しく母から電話があった。普段、電話などかけてくる事はないのにどうしたのだろうかと、電話に出ると、開口一番にこう言われた。
「最近帰ってこないけど、どうしてるの?」
少し心配したような母の声に、ハルキはハッとした。
「あ、そうだ。結婚した!」
長い沈黙があった。あまりに長いので、ハルキは通信状況が悪くて電話が切れたのだろうか、と思ったほどだった。
「はあ?!あんた何言ってんの?!相手はどこの誰?!付き合ってる人がいるとかも何も聞いてないんだけど???相手のご家族にご挨拶とかは?!」
堰を切ったように早口で問い詰められて、ハルキはちょっと驚いたが、大した問題ではなかったため落ち着いて答えた。
「フォルクハルトは家族と絶縁してるから、挨拶とかはないし大丈夫だ。」
「フォル………???どこの人なの?!国際結婚?!ハルキ英語も出来ないのに大丈夫なの?!」
さらに捲し立てる母は随分と慌てているようだが、これもなんら問題がないため、ハルキは落ち着いて答えた。
「日本語ペラペラだから大丈夫だ。」
「もう!そういう大事な事うっかり言い忘れるのお父さんとそっくり!どこから何を聞いたらいいかわかんないわ!とにかく、一度その人に会わせなさい!」
「と言われたから、私の両親と会ってほしい」
ハルキから説明を聞いたフォルクハルトは呆然とした。
「待て、今の今まで結婚した事話してなかったのか?」
「結婚できる事にうかれて、うっかり忘れていた」
「特に挨拶にも行かなかったがいいんだろうかとは思っていたが、まさか何も話してなかったとは思わなかったぞ」
ハルキは「ちょっと失敗しちゃったな」といった様子でエヘヘと笑っている。フォルクハルトの表情は絶望へと変わって行く。
「で、俺は結婚前に何の挨拶にも来なかった非常識なクソ男としてハルキの両親に会わなければならない訳だな?」
「それは、私が完全に悪いから、ちゃんと両親には説明しておく」
フォルクハルトは深い深いため息をついた。
「大丈夫、大丈夫!そういうの適当な家だから!」
ハルキはなんとかフォルクハルトを元気付けようとしたが、フォルクハルトは「そんなわけあるか?」と言っただけだった。
「そういば家族構成も聞いた事がなかったな。弟がいた話は聞いたが、他に兄弟は?」
「いない」
フォルクハルトは頭を抱える。
「大事な一人娘を…大丈夫なのか本当に…」
「フォルクハルト見たら、みんなビビるから大丈夫だろ」
「それは、大丈夫とは言わない。せめてスーツを着て菓子折り持って行くか…」
スーツを着て菓子折りを持ったフォルクハルトを見て、ハルキは「そんな改まらなくてもいいのに」と言った。ハルキは普段着だ。
「お前は実家に帰るだけだろうが、俺は好感度マイナスに振り切ってる状態からのスタートなんだぞ。お前のせいで。」
「大丈夫だって言ってるのに」
「ハルキは何を持ってるんだ?」
何か荷物を持ってるハルキに聞くと「将棋だ。随分長い事借りたままだったからな」とのことだった。
ハルキの実家は郊外の戸建てが並ぶ住宅地の中にあった。街の中心部とは違って、高い建物はなく、緑も多い。
「自分家のインターホンを鳴らすのは変な感じだな」
ハルキはインターホンを押して両親が出てくるのを待った。
「ただいまー。フォルクハルト連れてきたぞ」
玄関から出てきたハルキの両親が、自分を見た瞬間に顔面蒼白になっている事にフォルクハルトは気づいた。大事な一人娘が、顔に傷のある、いかつい男を連れてきたら、そんな顔にもなるだろう。堅気かどうかすら怪しいと思われているかもしれない。が、少しすると母親の方が何かに気づいたらしく、父親に何か耳打ちした。父親の方も何かに合点がいったらしくハッとして、それから二人は安堵した表情になった。
それは気掛かりではあったが、とにかく初動が肝心である。フォルクハルトは、腰を九十度に曲げた最敬礼で、まずは謝罪の言葉を述べた。
「ご挨拶が遅くなり、大変申し訳ございませんでした。フォルクハルト・ミュラーと申します。まさか、全く話していなかったとは思わず…本当に、本当に申し訳ございません」
「ずっと一緒に同じチームで働いてきたフォルクハルトだ。前に話してただろ。」
ハルキは気楽にいつもの調子で紹介する。
「あ、ああ!前に話してた職場の人ね!」
「帰ってくるたびに、嬉しそうに話していた射撃がとても上手いというあの人だな!」
ハルキの母と父は、なんとなくわざとらしく驚いて見せた。
「ここでは何ですから、どうぞ中へ」
ハルキの母に招かれて、フォルクハルトは「お邪魔します」と家に上がった。
ハルキは家の中を少し見てから「ひこまろは?」と言った。聞いたことのない名前にフォルクハルトは若干警戒した。ハルキから伝えられていない情報だ。
「話終わるまではと思ってケージに入れてるわよ」
「そうか。じゃあ後で会いに行こう」
ハルキの母との会話からペットであろうと判断する。ペットなら、特に問題はないだろう。
家に入るとハルキはリビングの小さな仏壇へ向かい手を合わせた。「ただいま」と小さな声で呟く。それから顔を上げて「弟のカズキだ」と幼い少年の遺影を示した。10歳ぐらいだろうか、ハルキと似た少年は、時が止まったまま、そこで笑っていた。
フォルクハルトも手を合わせる。
「はじめまして。フォルクハルト・ミュラーです」
ハルキの父が後ろから遺影を見つめて少し笑った。
「カズキは拗ねているかもしれんな。お姉ちゃんっ子だったし」
「えー?」
「ミドリちゃんと遊んでる時も「お姉ちゃん取られた」って拗ねてたものね」
ハルキは困ったような顔をしていたが、ハルキの母は楽しそうにそう言った。
フォルクハルトは、ハルキに「すぐ拗ねるところが弟っぽい」と言われた事を思い出す。大好きな姉が結婚相手を連れてきたら、それは拗ねるだろう。本来は祝わなければならないという気持ちと板挟みになって複雑だろうと思う。同時に、この少年は家族の中でずっと生きているのだなと思う。一人だけ時が止まった少年のまま。
「まあ、座ってください」
ハルキの父に促されて、フォルクハルトとハルキはダイニングの椅子に座った。
菓子折りを渡して、お茶が運ばれてくると四人は一息ついた。
「父のトシヒコです」
「母のタカコです」
「改めまして、フォルクハルト・ミュラーです。ハルキさんとは何年も同じチームで支え合ってきました。明るい彼女に惹かれて、人生を共に歩んで行きたいと思い、二人で話し合い結婚する運びとなりました。が、ご挨拶もご報告も遅くなり誠に申し訳ありませんでした。」
「それはハルキが忘れていたのが原因なので気にしないでください。すみません、こんな娘で」
顔を上げると、ハルキの父はどこか嬉しそうで、母の方は笑いを堪えているような気配があった。
ハルキは珍しい物でも見るような顔でフォルクハルトを見ていた。
「すごいな。一生懸命考えて来たのか。それもスラスラと…詐欺師みたいだな!」
「すみません!こんな娘で!」
ハルキの後ろから刺しにきたとしか思えない発言に、ハルキの母が間髪入れずに謝罪する。
「でも母さんも最初「ロマンス詐欺に引っかかったんじゃないか」と心配していただろう」
「お父さん!それ今言うことじゃないの!すみません!あまりにも急だったので、パニックになってしまって…ハルキが職場の人だって言ってくれていれば、そんな勘違いはなかったのに」
ハルキの父はのほほんとした調子でとんでもない事を言う。なるほど、ハルキは父親に似たらしい。フォルクハルトは、ハルキを見た。
「あれ?言ってなかったか?」
「聞いてません!」
キョトンとしているハルキに、ハルキの母が言い返す。
「まあ、顔を見たらわかったがな」
「お父さん!」
ハルキの父の言葉に、ハルキの母は非難の声を上げた。何か言ってはいけない事だったらしい。ハルキが首を傾げる。
「あれ?会ったことないよな?写真とかも別に見せた事ないと思うんだが」
ハルキの母は一人であたふたとしていた。
「だいぶ前に、母さんと二人でこっそり見に行ったんだ。ハルキがあんまり嬉しそうに話すから、どんな人だか見に行こうって」
「ええ!?そんな事してたのか?!」
これにはフォルクハルトも眉根を寄せた。過去にハルキといる所を見られていたという事らしい。玄関で見せた反応の正体はこれだったのかと腑に落ちる。
「うん。あの時は「完全に脈なしだな」と二人で肩を落として帰って来たんだが…うん。よかったよかった。」
ハルキの父はニコニコと満足そうに笑っていた。
フォルクハルトは、色々と想定外ではあったが、とりあえず好印象なようで安心した。
「しかし、本当にハルキでいいんですか?こんな言い方をするのも何ですが、見ての通り半分はサイバネですし、何かとご苦労をおかけする事になると思いますが」
「ミドリがいるから大丈夫だぞ」
すぐに返したハルキに続いて、フォルクハルトも真面目な顔で答えた。
「彼女が言うようにカワトさんもいますし、何より私はそれも含めてハルキさんを大切に思っています。」
「元々サイバネの方にしか興味なかったしな」
余計な事を言うハルキに、フォルクハルトは若干顔を引き攣らせた。ハルキが何がしたいのかがわからない。親に対する印象を悪くしたいのか、何も考えていないのか…
(これは何も考えてないやつだな…)
フォルクハルトは心の中で嘆息した。
ハルキの両親は顔を見合わせて微笑みを交わす。
「安心しました」
「ハルキをよろしくお願いします」
思ったよりも、あっさり事が済んで、拍子抜けする。
「え…は、はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「な?だから、大丈夫だって言っただろ?さ、ひこまろに会いに行こうっと」
ハルキは立ち上がって「ひこまろー」と呼びながら奥の部屋を覗き込む。
「ひこまろとは?」
フォルクハルトがハルキの母に聞くと、彼女は「ああ」と言った。
「猫です。猫、大丈夫ですか?」
「私は大丈夫ですが…」
フォルクハルトが答えかけたところに、ハルキが黒猫を抱えて部屋から出てくる。
黒猫はフォルクハルトを見るとシャー!と毛を逆立てた。
「猫の方からは嫌われるんです」
「あれ?どうしたんだ?ひこまろ怒ってるな。だめ?フォルクハルト嫌い?」
猫撫で声でひこまろに話しかけるハルキだが、ひこまろはシャーシャーと威嚇している。
「そっかぁ…でかくて怖いもんな。仕方ないな」
ハルキはうんうんと頷いて部屋に戻っていった。
フォルクハルトは言葉をなくした。この状況はどうすればよいのか。
ハルキが、ひょこっと顔を出す。
「そうだ、将棋持って帰って来たし、父さんとフォルクハルトで指したらどうだ?私は向こうでひこまろと遊ぶから」
そして部屋に戻って行く。
「え…」
置いて行かれたフォルクハルトを見て、ハルキの母はまた「すみません。こんな娘で」と言った。
「お、将棋できるのか!やろうやろう!」
ハルキの父の方は、乗り気になったらしく将棋を出して駒を並べ始める。
ハルキの母はハルキを追いかけて、部屋に入っていった。壁越しに声が聞こえてくる。
「ハルキ、そういえば苗字はどうしたの?」
「変えていない。名前が変わると手続きが面倒だし、子供の予定もないし」
「そう…」
「ほら、ひこまろ!おやつだぞー」
フォルクハルトは、ハルキの父と将棋の駒を並べながら、その声を聞いていた。
「案外あっさり済んでホッとしましたか?」
ハルキの父に聞かれて、フォルクハルトは「はあ」と気の抜けた返事をした。
「ハルキはかわいいでしょ?」
次の質問には「はい」とハッキリと答える。
ハルキの父は嬉しそうに笑った。
「親バカですがね。可愛くて仕方ないんですよ。だから、本当に幸せでいてほしい。辛い想いもしてきた子だから尚更です」
フォルクハルトは、「まあそうだろうな」と思った。
「ハルキはね。あなたの話をするようになってから明るくなりました。だから、ハルキが選んだ人なら、何も文句はないんです。」
「そうなんですか?」
フォルクハルトからすると、ハルキは会った時から、今の感じだったと思うので明るくなったと言われてもピンと来なかった。
「いろんな事があったから…ただ生きて元気でいてくれたらそれでいいんですがね」
そんな話をしているうちに、お互いに駒を並べ終える。
「先手どうぞ」
ハルキの父に言われて、フォルクハルトは一手目を指した。
四人で寿司を食べた後に、ハルキの父とフォルクハルトはもう一局指した。いい試合だったが、最終的にはハルキの父が勝った。ハルキの父は久しぶりに人と対局できたと上機嫌だった。ハルキはひこまろと遊んで満足し、ひこまろは最後までフォルクハルトを威嚇していた。
帰り道、ネクタイをとってシャツのボタンを外しながら、フォルクハルトは息を吐き出した。
「いい家族だな」
「そうか?」
ハルキは首を傾げた。本人からしたら、生まれた時からその環境で生きてきたのだから、当たり前なのだろう。
「ああ。ハルキといる時と同じで心地いい」
ハルキは「ふーん」と言っただけだった。
「でも、ひこまろに嫌われたのは残念だったな」
「猫はだいたいそうだ。何故か嫌われる」
ハルキはまた「ふーん」と言って、空を見上げた。
「あ、彩雲」
ハルキが指差した先に、虹色に染まった雲が浮かんでいた。フォルクハルトはポカンとその雲を眺めた。
「あんな雲があるんだな。初めて見た。」
「そうか?たまにあるぞ。吉兆の前触れだ。」
得意げに笑うハルキが微笑ましい。
「ハルキに言われなければ見落としていたな」
フォルクハルトはもう一度空を見上げて目を細めた。
腰に何か当たった気がして振り返ると、子供が走って行く足音が聞こえた気がした。見渡すが、それらしい影は見当たらない。子供に殴られたような感覚だったが、それにしても近づいてきた気配もなかった。
「どうした?」
ハルキに声をかけられて、フォルクハルトは首を傾げた。
「今、子供に殴られたような気がしたんだが…」
「え?」
ハルキも辺りを見回すが、道にも近くの公園にも人影らしいものはない。
「誰もいないぞ?」
「そうだな…気のせいか」
ハルキが「あ」と声を上げ、何かに気づいた。
「ここ、カズキとよく遊んでいた公園だ」
ブランコと砂場と鉄棒があるだけの小さな公園で、誰も座っていないブランコが風もないのに揺れていた。誰かが、そこにいるかのように。
「困った弟だな」
優しく笑ってブランコの方へ行こうとしたハルキを、フォルクハルトは引き止めた。
不思議そうにこちらを見たハルキをその場で抱きしめる。行かせてはいけない。
「いい加減、姉離れしろ」
フォルクハルトはハルキを抱きしめたまま、ブランコに向かってそう言った。
「行くな。俺が拗ねた方が面倒だぞ。」
キョトンとしているハルキには小声でそう告げる。
フッとハルキが鼻で笑った。
「子供か」
フォルクハルトにキスをせがまれて、ハルキはそれに応えた。少し長いキスの後、公園を見るとブランコは止まっていた。
ハルキは少しだけ名残惜しそうにブランコを眺めて、それから踵を返した。
「帰ろう」
ハルキがそう言ったのを聞いて、フォルクハルトは「ん」と頷いた。最後にブランコを一瞥する。義弟との和解には、まだ時間がかかりそうだ。
空を見上げると、先ほどの彩雲がまだ僅かばかり残っていた。
吉兆の前触れ。
二人の道に幸多からん事を。
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