1 アンチアルゴス・サテライトオフィス
第一印象はまつ毛の長い、綺麗な男の人だなと思った。黒い髪と目、そして顔立ちから、自分と同じ日系だろうと当たりをつける。頸の辺りは刈り上げられており、サイドに一部剃り込みがある。やや細身ではあるものの、その身体は引き締まった筋肉で覆われていた。社給のジャケットの前は開けていてタンクトップの襟ぐりからは金属質なサイバネ部分が見えており、少なくとも左肩から先はサイバネ補完されていることがわかった。遠くからブンブンと大きく手を振りながら笑顔でやってきたところから、人当たりが良さそうな人だと安堵した。
もう一人は背の高いコーカソイドの男性だった。まさに筋骨隆々といった風体で少し遅れて悠々と歩いてくる。あまり表情らしい表情は浮かべておらず、よく言えば沈着冷静、悪く言えば無愛想な印象だ。短い赤毛は前髪を全て上げて、右額から眉山にかけて古い傷跡があった。社給のジャケットを一番上までキッチリと閉じており、なんとなく几帳面な印象だ。
僕は、雨の中今しがた仕事を終えて帰ってきたであろう二人を、オフィスの入り口で待った。
「ようこそ、D地区サテライトオフィスへ。ま、入って」
笑顔で出迎えてくれた彼の声を聞いて自分が盛大な勘違いをしていた事に気づいた。この人は女性だ。胸筋だと思い込んでいたが、近くでよく見れば、僅かではあるがそれは女性の胸の膨らみだった。
「は、はい!」
勘違いしてしまった恥ずかしさと、初出勤の緊張で声が裏返る。
人間を襲う未知の生物が日本で最初に確認されてから15年。最初に確認された個体に大量の目玉がついていた事から「アルゴス」と名付けられ、その生息区域は既にアジア全域に広まっている。それに対抗すべく多国籍軍は治安部隊を編成。民間の傭兵部隊と連携し、駆除に乗り出したのであった。
ここは、あまたある民間の傭兵部隊の一つアンチアルゴスのD区画担当サテライトオフィス。二人と、そして僕はアルゴスの駆除を行う末端の隊員だ。
時間は少し遡る。
「今日は暇だな」
雨はじっとりと街を濡らす。重苦しい雲がただでさえ狭い空を覆い、街の陰鬱とした空気を押し込める。オフィスの窓から路を見下ろすと、傘をさす人々が足早に駆けていくところだった。ハルキは自身の金属質な左手に視線を戻し握ったり開いたりして、関節の可動域を確認する。
左肩から脇腹にかけてサイバネティクスで置き換えられた彼女の身体は、生身と遜色ない動作が可能だが重くはあった。雨の日はより重く感じる。重量は変わらない。気分の問題だ。
「そうだな」
フォルクハルトはAI相手にホログラム将棋に興じていた。現在、オフィスにいるのは二人だけだ。ここは、アンチアルゴスのD区画担当サテライトオフィス。
「この将棋ってゲームは面白いな。ハルキはできるのか?」
「できない。将棋崩しならできるが」
「将棋崩し?」
フォルクハルトはハルキに視線を向ける。
「ホログラムでは無理だ。実家に戻れば物理のがどこかにあったかもしれない」
「どういうゲームだ?」
ハルキが説明しようとしたとき、ハンドヘルド端末が振動し天井のスピーカーからアナウンスが流れた。
『D18地区に小型アルゴス2体。至急対応お願いします。通報があった座標を送ります。
近隣に他の個体がいる可能性があります。
注意してください。
住民退避完了次第、再度連絡します。』
「了解」
二人は応答すると、インカムと拳銃を装備した。ハルキが棚からアタッシュケースを取り出して机の上で広げる。
中には緑色の透明なアンプルが5つ入っていた。
「Kアミド確認、残数5」
「残数5確認」
二人で指差し確認を行い、アタッシュケースを閉じる。
「行くぞ、ハルキ」
「ああ」
アルゴスは集まって巣を作る等するが、基本的に知能は低く、外装は脆い。普段はゴミ漁りに終始しているが、時折人を襲うこともあり、人々は遭遇しない事を祈って生活していた。ここまでなら、他の害獣と変わりない。問題は破壊しても増殖し増え続ける事だ。アルゴスの活動を止めるには、アルゴス分解用の薬品弾ケリュケイオアミド略称Kアミドが必要だ。通常、アンプル射出専用の拳銃で投与する。人体に害のある薬品であるため、周辺住民は安全な場所に避難する必要がある。住民避難は警察がやってくれる。
住民避難完了の連絡は、現場に着く頃に届いた。
一体は監視カメラ映像からマーカーがついており、座標地点に着くとすぐに見つかった。ゴミ捨て場の傍だ。猫ほどの大きさで端的にいえば肉塊に目玉と指のようなものが無数に生えている。あのサイズならアンプルは一本でいける。ハルキは手早くアンプルを拳銃に装填し、フォルクハルトに渡した。続いて自分の拳銃にもアンプルを装填する。
パシュッと小さな音がして、フォルクハルトの放ったアンプル弾はアルゴスに命中した。
「もう一体の情報が来ないな。見失ったのか?」
ハルキは周囲を警戒しながらぼやく。
「かもな」
フォルクハルトは次のアンプルを装填して、分解されていくアルゴスの奥を見やった。大抵は近くにいる。
「今日は…生ゴミの日だったか?」
フォルクハルトの問いにハルキは嫌な予感がした。
「…そうだな」
経験上、生ゴミの日の第一報は当てにならない。
ゴミコンテナがガタガタと揺れた。中から手のない腕のようなものが一本生えてきた。
おろろろろろろろろ
口のようなものから声とは言い難い鳴き声がした。
二人同時に腕のようなものに向かって射出して、物陰に入り次のアンプルを装填する。
アルゴスは叫び声と共にコンテナから這い出し、クマほどの姿を現した。
「大型じゃねぇか!」
フォルクハルトは叫びと共にアンプル弾射出。
「足りるかこれ?」
「わからん。応援呼んどけ!」
フォルクハルトはアルゴスから目を離さずに、空になった拳銃をハルキに渡す。
ハルキは自分の持っていた拳銃をフォルクハルトの物と交換し、端末から通報した。
「D18地区、一体クリア。残り一体が大型化している。Kアミドを使い切った。応援を要請」
『了解』
アルゴスの動きは鈍くなっている。二人は通常の拳銃に持ち替えて構えて待った。
大型はアンプル4本で活動停止できる。ただし、それは計算上のギリギリの量だ。徐々に分解が進み縮んでいくが、完全に消滅するまでは油断ならない。
アルゴスの巨体に似合わぬ小さな目が辺りをキョロキョロと心許ない様子で見回している。その目も力を失い解けていく。完全に消失した後には、空のアンプル弾が5つ転がっているだけだった。
二人は胸を撫で下ろすと、背中合わせで周辺を警戒しながらアンプル弾のところまで行き、それを回収した。そして、アタッシュケース内の使用済みボックスへ入れる。
「D18地区、大型アルゴス一体クリア。周辺確認後オフィスへ戻る」
オフィスに着く頃、ハルキの端末が振動した。所長からの連絡だ。
『お疲れさん。大事ないか?』
「はい。ギリギリでしたが、問題はありません。」
所長は「ギリギリかぁー」と笑ってから、話を続けた。
『前に言ってたサイキックのサポートだけど、ちょうどいい新人がいたから君らのチームに配属したよ。』
「ありがとうございます。」
『同じ日系だし、仲良くしてあげて。ワタナベ トミタロウくん。もうオフィスについてると思う』
「承知しました」
『あと、これで歓迎会でもしてあげて』
所長の声と同時にキュイーンとトークンが振り込まれる音がした。
「ありがとうございます!」
所長は「それじゃ、よろしくー」と言うと音声を切った。
「なんだって?」
フォルクハルトに問われ、ハルキは嬉しそうに答えた。
「新人が来てるらしい」
「ああ…あれか」
オフィスの入り口に、誰か立っている。少し小柄な青年だ。
(小柄と言っても私よりは少しでかいか)
ハルキは認識を改めた。普段隣にいるのが185cm筋骨隆々の男だから感覚がおかしくなっているだけで、日系の青年としては標準的な体型と言えた。手を振ると、青年はペコリと頭を下げた。
「そうだ、ミドリも呼ばないとな」
ハルキはもう一人のチームメンバーを思い出して彼女に連絡を入れた。
とりあえず新人をオフィスに入れて、三人でテーブルを囲む。
「ワタナベ トミタロウです。サイキックです。まだわからない事だらけでご迷惑をおかけする事もあると思いますが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。」
トミタロウは改まった様子で、座ったままお辞儀した。
「フォルクハルト・ミュラーだ。基本的に前衛、チームリーダーだ。今までは、ハルキと二人だったからリーダーというほどのことはしていないが」
「ヤマガミ ハルキだ。前衛兼フォルクハルトのサポートをしている。まあ、今後はサポートの方は君にお願いしようと思っている。よろしく。あと、もう一人私の医療メンテ担当のカワト ミドリがいる。もう少ししたら来るはずだ」
トミタロウは少し意外そうな顔をした。
「お二人はファーストネームで呼び合ってるし、仲がよいんですね。」
「ミドリはともかく、こいつとは別に良くはない」
と、ハルキはフォルクハルトを指差した。
「待て、ハルキはファミリーネームじゃねぇのか?」
フォルクハルトが投げた疑問にハルキは「はあ?」と言って眉間に皺を寄せた。
「ファーストネームだか?」
フォルクハルトの眉間にも皺が寄る。
「どういう事だ?」
「…ご存知だとは思いますが、アジア系だと、ファミリーネームが先の場合があるんです。僕もワタナベがファミリーネームでトミタロウが所謂ファーストネームです」
トミタロウの説明にフォルクハルトは「ああ」と納得はしたようだった。
「ファミリーネームだと思ってたのか?初対面でファーストネーム呼び捨てにするから、腹が立って、こちらもファーストネーム呼び捨てにしたんだが」
「その時に言え!そうか…なんでいきなりファーストネームで呼んだのかと思ってたら…」
「何年も気づかない方がおかしいだろ!」
言い合いをしていると、オフィスのドアが開いてポニーテールの女性が「雨最悪」とブツクサ言いながら入ってきた。傘を傘立てに置くと、こちらを見て会釈する。
「どうもー、カワト ミドリです。ハルキの医療メンテやってます。」
「はじめまして、ワタナベ トミタロウです。よろしくお願いします。」
ミドリはテーブルの空いてる席に座ると「トミタロウならトミーだね」と微笑みかけた。
「で、この二人は何を言い争ってるの?」
「ミドリもハルキって呼んでるじゃねぇか」
「ミドリは、学生の頃からの友人だからだ!」
ミドリは内容を把握したあと、トミタロウに「ごめんね。いつもこんな感じなのよ」と軽い感じで謝った。フォルクハルトがハッとする。
「…もしかしてミドリもファーストネームか?」
ミドリは頷いた。
「そうか…すまなかった、今度からはカワトと呼ぶようにする」
「なんでミドリだけ?!」
「お前は俺のことファーストネームで呼んでるからいいだろ」
「私はミュラーて呼んでたからね」
フォルクハルトがさらに何かに気づいた顔をした。
「待て、まさか購買のハルキさんも?」
本社の購買のハルキさんは、武器防具などの発注、配達、在庫管理などをしている。5年前までは現場にいたが、今は引退している。フルネームはハルキ シゲオだ。
「あれはファミリーネームだ」
ハルキの示した真実にフォルクハルトは頭を抱えた。
「もう何もわからん」
頭を抱えるフォルクハルトの事は放っておいて、ハルキは話を進めた。
「そうだ。歓迎会をしないか?トミーはこの後時間あるか?」
「あ、はい!ありがとうごさいます!」
トミタロウは元気に答えたが、フォルクハルトは「歓迎会か…」と、あまり乗り気ではなさそうな反応をしていた。
「所長がお金くれたから、これで美味しいものでも食べよう」
ハルキが言うとフォルクハルトは即座に態度を変えた。
「やろう。歓迎会。そういうのはチーム作りにおいて大切だ」
ミドリはそれを呆れた顔で見ていた。
「ヤマガミさんの名前はどんな字を書くんですか?」
「ハルキでいい。山の上の遥かな希望だ」
「かっこいいですね!あ、その字なら女性ぽい感じします」
「トミタロウは?」
「ナベは浜辺とかの簡単なほうの字で、トミは点がないヤツです。タロウは普通のですね」
「へー」
勤務時間が終わって、四人は近所の居酒屋に移動した。今はまだ時間が早いからか、人はまばらだ。
「なんの話だ?」
「名前の漢字表記」
「ふーん」
フォルクハルトは、「全然わからん話だな」と思って唐揚げを口に運んだ。
「カワトさんは?」
「ミドリでいいよ。カワは大きい方の河で、ミドリは翡翠のスイ」
「わあ、キレイな字ですね」
フォルクハルトは「同じ文化圏だと、こういう時に会話がしやすいものなんだな」と三人を観察しながら、唐揚げを食べ進める。そして、美味しいご飯は最高だな。と満ち足りた気持ちになっていた。
「!唐揚げがない!フォルクハルト!貴様どういうつもりだ!」
突然ハルキが騒ぎ出す。
「食わんから要らんのかと思った」
「まあミュラーの前に置いといたら無くなるわよ」
「トミーの歓迎会なんだから、トミーの分くらい残せ!」
「追加で頼めばいいだろ」
「他もほとんど食い尽くしてるじゃないか!今からお前は食べるのは禁止だ!」
「なんでだよ」
「なんだやるのか?!」
「やらねぇよ」
ハルキとフォルクハルトが睨み合う。
「あ、あのお二人とも…」
「マトモに相手したら疲れるだけだから、放っときな」
オロオロしているトミタロウに助言すると、ミドリはビールぐびぐびと飲み干した。
追加注文を済ませたハルキは「まったく…」と言いながら飲みかけのビールに手を伸ばそうとする。
「ハルキはその辺にしときなさい」
ミドリがそれを制する。
「あんた、酒飲んだらすぐ寝ちゃうんだから。サイバネ重いし誰も運べないわよ」
「はーい…」
トミタロウは3人を眺めてこれからのことを考えた。
(仲悪いのかな…すごく不安だ…)
店の窓から外を見ると、雨はいつの間にか上がっていた。D地区の夜が更けていく。