16 落とし所の探り方
フォルクハルトはハルキが自分のベッドに入ってこようとしている気配に「またか」と思った。求められるので応えてきたが連続で7日目となるとさすがに「もういいだろ」という気持ちの方が強くなる。リスクが高いのはハルキだというのに、なぜそんなに積極的なのか。まったく理解できない。
寝たふりをしてやり過ごそう。
ベッドの中央から動かなければ、入る場所もあるまいと思ったが、ハルキは体を密着させて無理やりベッドに納まった。ハルキのささやかな胸の膨らみが腕に当たっている。指先に触れているのは、おそらく内腿。
動くと起きている事がバレるだろうか。寝返りを打って体を離す事はできるだろうが、そうするとベッド上の彼女領域が広がった上で、結局体を擦り寄せてくるのだろうと予測がついた。このまま動かずにやり過ごす方が無難か。
「フォルクハルト?寝てるのか?」
ハルキが囁く様に聞いてきたが、聞こえていないふりをする。
しばらくすると、ハルキの手が服の中に入ってきた。何故か大胸筋を撫でている。これも正直毎回意味がわからない。反応がない事を確認する様に少し手が止まる。それから、撫でる手は次第に腹部へと降りてきた。
フォルクハルトは耐えきれず、目を見開き勢いよく起き上がった。
「寝てる人間の体をまさぐるな!!」
寝ていると思い込んでいたハルキは横になったまま驚いて暫し唖然としたあと、小さな声で「だって…さみしい…」と言った。
「許可を取れ!人権意識を持て!夫婦間でも準強制猥褻は成立するからな!」
フォルクハルトに怒られて、ハルキはしょんぼりした。
その直後ハッとして起き上がる。許可を取ればいいということか!
「セックスしよう!」
「今日はしない!」
即座に拒否され、ハルキは項垂れた。
「そんなあ…」
「毎日毎日いい加減にしろ!リスクがあるのはお前の方だろうが!100%の避妊はない!回数が増えれば当然可能性が上がるのになんでお前は…」
フォルクハルトがここまで言ったところで、ハルキはスッと真顔になった。フォルクハルトの目を、曇りなき瞳でまっすぐに見つめる。
「すごく気持ちよかったから」
フォルクハルトはハルキのあまりに真剣な面持ちに「何言ってんだコイツ」と思った。
一瞬の静寂ののち正気を取り戻す。
「欲望で動くな!リスク管理をしろ!なんで俺がこんな事言わなきゃならんのだ…」
フォルクハルトは、ひとしきり叫んで頭を抱えたあと、ふと、ある事が気になった。
「ハルキは基礎体温とか記録してるのか?」
「?そこまではしてない」
首を横に振る。
「避妊するなら、ちゃんと計測して排卵期を避けるべきでは?」
「?」
ハルキは小首をかしげた。
「そういえば、ミドリにもそんな事を言われたような?」
「カワトに言われてるならちゃんとやれよ」
ハルキは明らかに嫌そうな顔をした。
「うえーめんどくさいー」
「お前…人にパイプカットさせといて酷すぎないか?自分で管理しないなら、お前の要求には今後応じない事にするぞ。」
「体温計も持っていないし…」
「買ってこい」
「でも忘れてしまうからなあー」
「端末にリマインドセットしとけ」
ハルキは「うーん」と考え込んだあと、こう言った。
「あ、フォルクハルトが毎朝キスしてくれるなら、できると思うぞ。」
「何故俺の負担を増やそうとする?」
ハルキの斜め上の提案は一旦棚上げして、フォルクハルトは、話を進めた。
「わかった、まずは上限を決めよう」
「じょうげん?」
ハルキはまた首を傾げて「うーん」と考え込んだ。フォルクハルトは「またしらばっくれようとしてるな」と思いながら、とにかく話を進める。
「月一回にしよう」
フォルクハルトの提案にハルキは驚愕した。
「え…少なすぎる。せめて週2」
「月2だ」
「んー週1」
「月2だ」
フォルクハルトは引き下がらない。
「こういう時は、ミドリに聞いてみよう!」
「やめろ!バカか!!頼むからカワトに全部伝えるのやめろ!…わかった月3だ」
フォルクハルトは譲歩したが、ハルキは不満気に「えー」と口を尖らせた。
「えーじゃない。実質週1みたいなもんだ。毎月できない期間が1週間くらいあるだろ」
確かに生理期間はできない。
「わかった。じゃ月3で」
ハルキとの合意を取り付け、フォルクハルトはホッとした。これで毎日の要求から解放される。
「…でも」
ハルキが何か言いかけたので、そちらを見ると上目遣いでこちらを見ていた。
「ひっついて寝るだけとかならいいよな?」
フォルクハルトは困惑した。それはいったい何のためにするのだろうか。
「…毎日でなければ…構わんが…」
フォルクハルトの答えを聞いて、ハルキはニッと笑った。
「それで毎日キスしてくれるんだよな?」
棚上げした問題を蒸し返されて、フォルクハルトは一瞬答えに詰まった。
「…それで、ちゃんとやるんだな?」
「はい!」
ハルキはいい返事をした。
「わかった…」
フォルクハルトは仕方なく承諾した。
「で、結局、俺のベッドで寝るつもりなのか?」
話も終わり、それぞれのベッドで寝ると思っていたが、ハルキは左腕を外すとフォルクハルトのベッドに戻ってきた。
「ひっついて寝るのはいいんだろ?」
フォルクハルトは半ば呆れたが、面倒になって「好きにしろ」と言うと壁の方を向いて横になった。横になってからふと思い出す。
「少し気になっていたんだが、行為中のハルキの「や」は…yesかnoかどっちの意味なんだ?」
「…うん?」
ハルキはどう説明していいかわからず考え込んだ。
「可能性としては「いや」の「い」が省略された形か、「やめろ」が最後まで言えなかった辺りだが、そうなると意味はnoという事になる。」
「…う…」
「態度や様子から見るにnoでは無さそうだと判断したが、きちんと聞いた方がいいだろうと思った」
「う…えっと…説明が難しい…」
「そうか…ちなみにドイツ語だとJa(ヤー)はyesの意味になるので、ちょっと頭が混乱する部分もあってだな…」
ハルキは少し考えてから、キリッとして「うん。ドイツ語だ」と言った。
「…説明を放棄するな。英語もからっきしのお前がそんなところでドイツ語が出る訳ないだろう」
フォルクハルトは若干イラついた様子だった。
「そ、そんな事はない!簡単な単語ぐらいは…」
「じゃあ、noはドイツ語でなんで言うんだ?」
「…」
案の定答えられなかったハルキに「ほらな」と言い放つ。
「たぶん…嫌の「や」なんだが、嫌な訳じゃなくて…うーん…yesかと言われると…でもyesかなあ…」
ハルキの答えに、いまいちハッキリしないなと思いながらフォルクハルトは次の疑問を投げかける。
「そうするとnoのときはどう言うんだ?」
「本当に嫌だったら殴る」
これについては間をおかずに答えが返ってきた。
「殴る前に言語でコミュニケーションを取ろうという話をしているんだが?」
「……はい」
ハルキは反省しながら行為中のフォルクハルトについて思い出す。「待って」と言えば待つし、「ダメ」と言えばやめる。基本的に言葉通りに受け取ってくれている。
「とりあえず、「や」はyesでいいんだな?」
「ヤー」
フォルクハルトは目を瞬いて少し考えてから寝返りを打ってハルキの方に体を向けた。暗くてよく見えないが、ハルキには眉間に皺が寄っている様に見えた。
「……それは」
「yesだ」
ハルキの答えを聞いて、しばらくハルキの顔を見たあと、仰向けになり天井を仰ぐ。
「ハルキは…ドイツ語禁止だ」
「え?」
意味がわからず聞き返す。
「……俺を狂わせる気か」
フォルクハルトが何を言っているのか、ハルキにはよくわからなかった。
朝、ハルキが目覚めるとフォルクハルトは先に起きて朝食の準備をしていた。左腕を装着して着替えると、ウキウキしながらフォルクハルトの所へ向かう。
「おはよう!」
元気よく挨拶したハルキを一瞥して、フォルクハルトは「ああ、おはよう」と軽く返した。
ハルキはフォルクハルトの真正面に来るとニコニコしてフォルクハルトを見つめた。
フォルクハルトは、ハルキが何を期待しているのか察して、ハルキの前髪を上げて額にキスをした。そして、朝食の準備に戻る。
「口じゃないのか?」
ハルキは拍子抜けして立ち尽くした。
「朝の忙しい時にそんな事してられるか。キスはキスだ。あと、今日体温計買ってこいよ」
ハルキは、やや不満ではあったが、「これはこれでいいか」と納得して、一緒に朝食の準備を始めた。
設定資料(言語能力)
フォルクハルト
母語:ドイツ語
英語、日本語どちらもビジネスレベル
ハルキ
母語:日本語
英語 日常会話も怪しい。報告書を書かせても単語ミスが多いため、フォルクハルトに代わりに書いてもらっている(アンチアルゴスの報告書は英語で書くルールになっている)
ミドリ
母語:日本語
英語 ビジネスレベル、ドイツ語 日常会話程度
トミタロウ
母語:日本語
英語:日常会話程度 報告書は書ける、フランス語 大学で第二言語を取っていた