31 フォーリンラブ・ウィズ

風邪で休んだ次の日あたりから、フォルクハルトの様子が何かおかしい事にトミタロウは気づいた。
フォルクハルトがハルキと視線を合わせようとしないのだ。
トミタロウは、最初は喧嘩でもしたのかと思って見ていたが、ハルキの方はいつも通りだし、よく観察してみると、ぼーっとハルキを眺めている時もあるので、どうも違う様だと思った。簡単にまとめると、おかしな点は以下の通りだ。
手が触れた瞬間ビクリとして離れる。
ハルキと一瞬は目が合うが、その後すぐに目を逸らす。なんなら頬も少し赤みがかっている。
距離も変にとりがちで挙動不審。
ハルキが見ていないところで、見つめている時間がやたら長い。
トミタロウはこっそりとメンテルームに入るとミドリに報告した。
「なんかフォルトさんが恋する中学生みたいな反応してます。」
ミドリは怪訝な顔をした後、メンテルームのドアを少し開けて、オフィス内を覗いた。
ちょうどハルキに話しかけられて、フォルクハルトが妙にあたふたしている所だった。
「ほんとだ。きょうび、中学生でもあんな奴おらんやろ」
「確かに」
トミタロウは「ミドリさん動揺し過ぎてうっかり関西弁になってるな」と思いながら頷いた。
「30過ぎのおっさんの行動じゃないわ。きっも」
「ミドリさん、フォルトさんには本当に辛辣ですよね」

夜、ハルキがダイニングで風呂上がりのアイスを食べていると、シャワーを終えたフォルクハルトが神妙な面持ちで風呂場から出てきた。
「なにか変だから病院に行った方がいいのかもしれん」
「風邪治りきってないのか?」
ハルキはアイスを食べる手を止めて、フォルクハルトを心配そうに見つめた。
「いや、風邪ではない。動悸がしたり呼吸が苦しくなる事がある」
「え、大変だ。運動した後とかか?」
「いや…運動はそうでもないんだが…」
フォルクハルトは床を見たまま暫く考え込んだ。ハルキは首を傾げてフォルクハルトの言葉を待つ。
「ハルキを見てる時のような気がする」
「は?」
ハルキは話が見えずに聞き返したが、フォルクハルトは真剣な面持ちで床を見たまま、どう説明すればいいのかと考え込んでいた。
ハルキは、フォルクハルトを暫く観察していた。受け取り様によっては遠回しな愛の告白に聞こえなくもないが、この男に限ってそんな訳もないだろう。表情からしても真剣に悩んでいる顔だ。そういえば最近、少し様子がおかしかった様にも思う。あまり目が合わないし、妙によそよそしいというか、変に距離を取られている様に感じる時もあった。
「うまく説明できないんだが…」と言って、フォルクハルトが説明した内容は、要約すると、だいたい以下の様な話だった。

最近何かがおかしい。
ハルキに笑いかけられると心拍に異常をきたす感じがする。
触れ合った瞬間に動悸がするので、なんとなく少し避けてしまう。
すごく変な感じだ。
でも、気付くと目で追っているし、ハルキの事を考えると胸が苦しくて息が詰まる。
ハルキの仕草が、声が、表情が、全てで頭がぐるぐるして何か落ち着かなくなる。

ハルキはフォルクハルトの説明を最初は呆然として聞いていたが、次第に笑いが込み上げてきて、遂には耐えきれずに声を出して笑い出した。
「ぶわっはっはっはっ…ひーおかしい…」
「???」
腹を抱えて笑っているハルキに、フォルクハルトは「そんなにおかしな事を言っただろうか」と困惑した。
「心配しなくても病気じゃないし、それは病院では治せないヤツだ」
ハルキは笑いながら、そう続けた。まだ、くぷぷと笑っている。
「いや、30過ぎてそれがわからないヤツとかいるかぁ?そこまで天然だと思わなかったなあ」
「?????」
頭に大量の疑問符を浮かべるフォルクハルトを見て、ハルキはまた声を上げて大笑いした。
「病気じゃないとすると、これは…何なんだ?」
途方に暮れているフォルクハルトに、ハルキは笑いながら「さあな」と、とぼける。
「もういい、寝る」
フォルクハルトは笑い転げているハルキを一瞬睨みつけると、そう言って寝室へ向かった。寝室のドアをピシャリと閉められて、ハルキは揶揄いすぎたと少し後悔した。

フォルクハルトはベッドに入ると壁の方を向いて横になった。
こちらは真剣に悩んでいるというのに、大笑いした挙句、何か知っているくせに教えてくれない。とりあえず、わからない自分がおかしいらしいという事だけは分かった。そうは言っても、わからないものはわからないのだから仕方がない。
寝室のドアが開いてハルキが入ってきた。足音で、こちらのベッドの方まで来た事はわかる。
ベッドが軋む。ハルキがベッドに乗ったのだ。また動悸が始まる。
「フォルクハルト…ごめん…揶揄いすぎた」
ハルキの反省したらしく弱々しい声に、胸が締め付けられる。苦しい。ハルキは、いったいどんな顔をしているのだろうか。
「こっちに来るな」
苦しさに耐えきれず冷たく言い放つと、ハルキは何も言わずにベッドを降りていった。
言いようのない寂しさに胃が縮む。
こんな事がしたい訳じゃない。
ハルキの様子が気になって、ハルキのベッドの方を見ると、ハルキは自分のベッドに座って、少しムッとした顔でこちらを見ていた。目が合ってしまい、慌てて壁に向き直る。鼓動が速くなる。息ができない。ハルキの事が嫌で遠ざけた訳ではない。何か言わなければ。焦れば焦るほど言葉は出てこない。
「その…だから…苦しいんだ。」
ハルキは何も言わない。
「どうしてこんな事になっているのか、わからん。前はこんな事なかった…」
黙っているハルキの様子は気になるが、また目が合うのが怖くて見ることができない。自分のベッドが軋む音がして心臓が止まる。
何を言えばいいか必死に考えていたため全く気づかなかったが、ハルキがこちらに来ている。
「続けて」
近くで優しいハルキの声がして、思考も止まる。これ以上何を言えばいいのか。
「普通は…これが何なのか分かるんだな。俺はわからん。……知ってるなら教えて欲しい」
少し沈黙があってから、ハルキの声がした。
「本当に今まで生きていて、一度もなかったのか?」
「ない。こんなことは初めてだ」
また沈黙があって、ハルキの「うーん」という考え込む様な声が聞こえる。
「私もフォルクハルトに対して、そういう風になってた時があるぞ。今も、稀にそうなる。」
「え?」
フォルクハルトは寝たまま振り返り、ベッドに腰掛けたハルキと目が合った。慌てて視線を逸らす。視線は合わせられないまま、ゆっくりと起き上がり、ベッドに置かれたハルキの手を見る。
「でも…俺はその……そんな状態でも、そばにいて欲しいとか…触れていたいとか…思ってしまって…」
「私も同じだ」
言われて、フォルクハルトは少しずつ視線を上げる。手から腕、肩、首…ハルキは目を細めて少し口角を上げ、愛しむようにフォルクハルトを見つめていた。
「同じ…」
フォルクハルトはハルキの言った事を繰り返し、ようやくハルキを見つめ返す事ができた。
体を寄せて、恐る恐るハルキの手に自分の手を重ねようと手を伸ばす。手が震える。ずっと普通にやってきた事のはずなのに、今初めて触れる様な緊張感があった。
触れた手から伝わるハルキの体温に、全身が震えた。もっと欲しい。
「ハルキ…」
「どうした?」
聞き返されて、自分の口から無意識に彼女の名が出てしまった事に戸惑う。
「あ…その…名前を呼びたくなっただけだ…」
取り繕ったが、本心は違うところにあった事をフォルクハルトは知っていた。ハルキは少し驚いた顔をした後、また目を細める。
「うれしい…フォルクハルト…愛してる」
もっと欲しい。
ハルキが自分に向けている感情が愛だとして、自分の中にあるモノは何だろう。まだ、何か違う気がする。
「俺のこの感情はなんだ。愛と呼ぶには独善的すぎる。」
ただ、己がハルキを求めているだけだ。
ハルキは少し笑う。
「恋…じゃないか?」
「恋????」
「相手を求め、欲し、恋焦がれているのだろう?」
ハルキの方から体を寄せてくる。猫がするように、体を擦り付けられてドキリとした。
「なぁにが「通常期待されるような気持ちは、そこにない」だ」
ハルキは意地悪く言うと、フォルクハルトの胸の中から睨め上げる。
「いや、あの時は本当にこんな気持ちになった事はなくて…」
腕の中にハルキがいる。もっと欲しい。触れていたい。抱きしめたい。繋がりたい。
ハルキが顔を寄せて目を閉じる。フォルクハルトは、求めに応じて唇を重ねハルキを抱きしめた。止まれない。キスから首筋に舌を這わせる。
「待て」
ハルキがフォルクハルトを引き剥がす。
「?」
そういう雰囲気だと思ったが、もしかして駄目だったのかとフォルクハルトは不安になる。
「こういう事には明確な合意形成が必要だったんじゃないのか?」
ハルキに少し不満気に言われて、自分が過去に言った事を思い出す。
「あ…」
「認識に齟齬があるとお互いに不利益を被る事になる。だろ?」
ハルキはニヤリとして、そう続けた。これも自分が過去に言った事だ。ハルキは、フォルクハルトに「何をしたいのか言え」と要求している。
「………………しても…いいだろうか…」
その程度の事と思っていたが、いざ声にしようとすると思っていたよりも難しかった。
「はっきり言ってもらわないと困るなあ」
ハルキはニヤニヤしている。どう見ても揶揄っている。
「……………っ」
「ん?」
悪戯っぽく、誘うようにこちらを見るハルキも全部欲しい。
「セックスしても…いいだろうか…」
ようやく言えたフォルクハルトに、ハルキは満足気に、それでいて優しく微笑んだ。
「もちろん。よろこんで。」
ハルキはフォルクハルトの首に腕を回して、彼の全てを受け入れた。

こんなに満足感があるものなのか。今ならハルキが毎晩求めてきたのも理解できる。
「上限は月3回でいいのか?」
一緒に寝転んだまま傍らで悪戯っぽく微笑むハルキに、言葉を詰まらせる。自分のやってきた事が、ことごとく跳ね返ってくる。
「それに関しては、ハルキの体の事を考えての数字だ。…我慢できる」
「へぇ…我慢するんだぁ」
ハルキは、悪い顔でニヤリとしながら、フォルクハルトの脇腹を左の人差し指で上から下へなぞる。
「っ……」
それは「足りない」と白状したようなものだった。
「少し真面目な話。上限を無くす方法がある」
ハルキの声のトーンが下がる。
「一つ確認したい。私からサイバネが無くなっても、一緒にいてくれるか?」
フォルクハルトは何を聞かれているのか、よくわからなかった。サイバネのないハルキを想像できない。
「急に言われても…わからん」
ハルキは少し困った様な顔で笑って、怠い体をゆっくりと起こす。ハルキを支えてフォルクハルトも起き上がる。
「生体に置き換えれば、妊娠に関するリスクは格段に下がる。ただ、仕事における能力も下がる。私の今の実力はサイバネがあってのものだ。完全に生体になれば…お前についていけないだろう。」
生体補完に置き換えるという発想は、フォルクハルトにはなかった。ハルキの体でそんな事ができるのだという事すら知らなかった。生体補完が主流となった今、技術的に出来ないからその体なのだと思い込んでいた。
「あと…出産できる体になって妊娠したら、おそらく…産みたいと思ってしまうと思う。そうなった時に、フォルクハルトはそれを許容できるか?」
「それは…」
話が飛躍して頭がついていかない。正直、自分の子供なんて考えたこともなかった。考えてみれば当然の事なのに、妊娠の先にある事象について想像もしなかった。
「子供を一緒に育てられるか?」
「…わからない」
あんな脆くて弱い生き物を自分が育てる姿が思い浮かばない。
「子供を愛せるか?」
「それは…できる気がしない。」
ハルキの事すら愛せていないのに。
急な話に戸惑っているフォルクハルトがおかしかったのか、ハルキはくすりと微笑んだ。
「わかった。なら、我慢してもらおう」
「うん」
ハルキは素直に頷くフォルクハルトにしなだれかかると、緊張したその頬に優しく触れる。
「…でも…月4でもいいんじゃないかな…」
甘えるような声が艶のある唇から漏れる。フォルクハルトは頬に触れたハルキの手を握り、その蠱惑的な黒い瞳に吸い込まれる。ずるい。抗えない。また欲しくなってしまう。
「…そう…だな…」
上限は月4になった。

次の日、トミタロウはフォルクハルトの様子がまた変わった事に気づいた。挙動不審さはなくなり落ち着いた様子で、少しホッとする。図体のでかい恋する中学生に職場にいられては、やりにくくて仕方がなかったので、これは良かった。
少し二人の様子を見ていると、フォルクハルトがハルキにすこしはにかんで優しく微笑んでいた。トミタロウの全身から血の気が引いた。あれはどう考えても、想いを通わせあった恋人に向けるものだ。
(何があったの????)
トミタロウはその日、動揺からほとんど仕事が手につかなかった。

いいなと思ったら応援しよう!