34 温泉に行こう
ハルキとミドリに、次の長期休暇も五人で旅行でも行こうと持ちかけられて、トミタロウは断固拒否した。
「イヤです!お断りです!!」
「なんだ急に。前は割と乗り気だったのに」
意外な反応にハルキは驚いていた。
「今!この状態で!このメンバーで行ったらどうなるかわかってるんですか?!」
「何が?」
ミドリは何をそんなに興奮しているのかと怪訝な顔でトミタロウを見ていた。
「ラブラブ夫婦二組に僕がひとりぼっちであぶれるだけじゃないですか!」
「トミーも彼女とか連れてきたらいいだろ」
無神経な提案をするハルキに、トミタロウはさらに声を荒げた。
「そんなものがいたら、なおさらお断りです!二人で楽しみますよ!あなたがたも、勝手に夫婦で楽しんでください!僕を巻き込まないで!!」
喚き立てるトミタロウに、ミドリとハルキは顔を見合わせた。この様子では、トミタロウは一緒に行く気はなさそうだ。
「じゃあ、トミー抜きで4人で旅行でも行こうか」
ミドリに言われてハルキは「そうだな」と同意する。
トミタロウはキョトンとした。
「え?いや…うん。それでいいはずなのに何か釈然としない」
結局、トミタロウ抜きで温泉旅館に行く事にした四人だったが、旅館に着くと何故かトミタロウがいた。
「なんだ、トミー。結局来たのか」
フォルクハルトに言われて、トミタロウは小さな声で呟いた。
「仲間外れは悲しい」
「よしよし。おばちゃん達が遊んであげるからね」
ハルキとミドリは、しょんぼりしているトミタロウの頭をよしよしと撫でてあげた。
「ああいうのモヤモヤしないですか?」
少し離れた所から、フォルクハルトが不満気な顔でショウゴに同意を求める。
「ん?別に?あ、ヤキモチ妬いちゃう感じですか?いやあ、新婚さんだなあ。言ってもトミタロウくんだし、大丈夫ですよ。」
ショウゴはのんびりと三人を眺めていた。
トミタロウはハルキの私服を見て、ふと気づく。
「そういえば、ハルキさん。なんか最近服の趣味変わりました?」
「え?」
「前はジャケットの中もTシャツとかタンクトップでしたよね。最近、ハイネックとか首があるタイプの服多いですよね」
今日もハイネックだ。
「え、あ、うん…」
ハルキは適当に相槌を打ったが、目が泳いでいた。何故か首元を隠すような仕草をしている。
後ろでフォルクハルトが額に手を当てて下を向くのがトミタロウの視界に入った。
(原因はフォルトさんか…)
トミタロウは、ややうんざりした気持ちで察した。
フォルクハルトの服の趣味とは考えにくい、そういうことを気にする人間ではない。となると、ハルキの仕草から考えても首元を隠したいという事。つまり、おそらくあの辺にキスマークをつけられているとか、そういった理由だろう。
(あんまり気づきたくなかったなあ…)
トミタロウは、なんとなく察してしまった自分を呪った。
「トミー、部屋どこ?私達は部屋隣だけど、別で取ってるから離れてるよね?」
ミドリに聞かれてトミタロウは気持ちを切り替える。
「たぶん一番上の階です。とりあえずチェックインしましょう」
チェックイン後にそれぞれ部屋の場所を確認して荷物を置くと、早速大浴場へ行こうという事になった。
「良かったな、フォルクハルト。大きいサイズの浴衣があって。」
部屋に入るとハルキはさっさと浴衣に着替えて、大浴場へ行く準備を済ませた。フォルクハルトは浴衣を広げて観察している。
「そうだな。これは、部屋から着ていくものなのか?」
「うん。その方が荷物少なくて済むだろ?着方はわかるか?」
ハルキに聞かれてフォルクハルトは難しそうな顔をした。
「…なんとなく」
「合わせが逆になると死装束になるから気をつけろよ」
「そう言われると、よくわからん」
観察してみたが、どちらの襟が前になるのか違いがあるようには見えなかった。ハルキに合わせればいいという事だろうとハルキを見ると「それなら教えるか」と言われた。
「とりあえず服を脱げ、下着はそのままでいい」
言われるまま服を脱ぐと、ハルキは「ほぅ」と息を吐いてフォルクハルトの体をうっとりと眺めた。
「おい、お前が見たいから脱がせたんじゃないだろうな」
フォルクハルトに冷めた目で見られて、ハルキは少し慌てた様子を見せた。
「ち、ちがう!まずは浴衣に袖を通してだな」
「うん」
袖を通したところで、ハルキは「うーん?」と考えた。自分の合わせを確認したが、向かい合わせだと左右がよくわからなくなったのか、一旦フォルクハルトの後ろに回って同じ方向を向く。体格差的に後ろからは無理だと判断して、フォルクハルトの正面に戻り背を向けた。自分の合わせをもう一度確認して、背を向けたままフォルクハルトの右手を自分の右手で、左手を自分の左手で取る。
「こうだ」
ハルキは、フォルクハルトの右手を自分の懐につっこんで、それから左手を前に持ってきた。
フォルクハルトは言葉をなくした。後ろから抱きつくような形になっている上に、右手はハルキの懐に入っている。
「わかるか?」
ハルキは気にした様子もなく首だけ振り返って聞いてくる。浴衣のせいか、いつもとは違った色気がある。ハルキにその気がない事は分かっているが、もしかして誘っているのだろうかと思ってしまうような事をしてくる時が一番困る。
「もっと、マシな教え方があるだろ…」
「え?これが一番わかりやすいだろ?」
フォルクハルトは、こちらの気持ちを分かってもらった方がいいなと思い、キョトンとしているハルキをそのまま抱きしめた。
「ハルキ…今夜は…」
静かに優しく心地よい低音で囁かれ、ようやくハルキはその気にさせてしまった事に気づいた。
「だ、ダメだ!隣にミドリ達がいるんだぞ!」
ハルキは慌ててフォルクハルトから離れると、床に置いていたフォルクハルトの浴衣の帯を拾い上げた。
「あとは腰のところで帯を結ぶだけだ!簡単だろ!」
フォルクハルトは息を吐き出すと、帯を受け取り襟を合わせて帯を結んだ。
「夜でもダメなのか?」
駄目なのだろうなと思いながら、もう一度ハルキに確認する。
「ダメ!」
フォルクハルトは少し残念そうな顔をしていた。
「何にそんな時間かかってたの?」
廊下に出るとミドリとショウゴが待っていた。
「フォルクハルトに浴衣の着方を教えてた」
目を合わせずに説明するハルキにミドリは若干疑いの眼差しを向けながら「ふーん…」と言ったが、それ以上は追及したなかった。
「あ、そうすると大浴場とかも初めてですか?ルールとか気をつける事とか後で説明しますね」
ショウゴに言われてフォルクハルトが「お願いします」と軽く頭を下げると、ショウゴは少し困ったように笑った。
「そんな改まらなくてもいいですよ。あ、この際敬語もやめましょう。そうしよう。」
「はあ…」
そこへパタパタと走ってきたトミタロウも「お待たせしましたー」と合流する。
「人とお風呂入るの久しぶりだなあ」
五人で大浴場へ向かいながらショウゴがのんびりと呟く。
「次のときは一緒に入ろうね」
「それは貸切風呂か部屋風呂がないとねえ」
ミドリとショウゴは仲良く話しているが、ハルキとフォルクハルトはなにやら気まずそうに黙っていた。
「そういえば僕の部屋、部屋風呂ありますよ」
「え、後で見に行っていい?」
ミドリが食いついてきて、言い出したトミタロウがギョッとする。
「入るんですか?!」
「見るだけに決まってるでしょ。」
ミドリは勝手に驚いているトミタロウに冷たい視線を向けた。
トミタロウは自分の勘違いに恥ずかしくなってハハッと笑って「そうですよねー」と言った。
脱衣所でハルキの背中を見たミドリは目を疑った。
「めっちゃキスマークつけられとるやん」
「…浴衣になるから首回りはやめろって言ったら、背中につけられた…」
ハルキは諦めきった様子で言う。
「うわあ…健診で私が見る事分かってんのかな?ちょっとは自重しろって言っといて」
前の健診の時に首元にあったのは気づいていたが、そういうこともあるだろうと、そのときは敢えて何も言わなかった。その結果がコレかとげんなりする。
ハルキは小さな声で「…はい」とだけ応えた。
「自覚し出してから変わりすぎじゃない?ハルキ的にはアレでいいの?」
前はあんなにそっけなかった癖に、近頃は傍目にもベタ惚れだと分かる行動が増えた。
「いや、まあ、ちょっとびっくりしてるけど、本質的には何も変わってないぞ」
ミドリはフォルクハルトの本質とは何なのか、ハルキに何が見えているのかはよく分からなかった。
「そうなの?…こんなキスマーク付けまくる男だとは思わなかったけど」
訝し気なミドリにハルキは苦笑いした。
タオルを持って二人で浴場に向かう。
「でもまあ、大浴場に一緒に入れるようになって良かったよね」
ミドリが浴場を眺めて、感慨深気に言う。
「そうだな。昔は大抵サイバネお断りだったしな」
話しながら空いている洗い場を探す。
「高校の修学旅行覚えてる?」
「あれな。抗議したけど結局ダメだったやつ」
「部屋のちっさいシャワールームに二人で入ってさ」
「夜中にこっそり露天風呂見に行った」
二人でクククと笑う。
結局気が引けて湯船には浸からなかったが、あの日二人で露天風呂から眺めた夜空はよく覚えている。月も星も見えはしなかったが、そこに居るという感覚だけは確かにあった。
ハルキは、あの頃を乗り越えられたのはミドリのおかげだなと思う。傍にいて、「仕方ない」と諦めている私の分まで怒ってくれた。ミドリがいなければ、ここまで来れなかっただろう。
頭と体を洗い終えて、露天風呂に出た。空を見ても月も星も見えはしない。モヤのかかった夜空だ。お湯に浸かって二人で一息つく。
「生きてて良かった」
ハルキが呟いた言葉に「大袈裟」とミドリが笑う。
「でも、生きててくれて良かった」
と続けて、一緒に何も見えない夜空を見上げる。
事故の時も、その後も、生きていてくれて良かった。
ハルキが周りには能天気な振りをして、その実苦しんでいたのを、ミドリは知っていた。
わかりやすい差別はもちろん辛いが「かわいそう」と思われるのも辛いものだ。会う人会う人「かわいそうに」と言われたり、言わなくても顔に出ていたり。「体半分無かったらそりゃそう思うだろ」とハルキは少し困ったように笑っていた。本当はすごく傷ついてる。確かに事故に遭ったのは「かわいそう」だし、そう思うのも仕方がないけれど、ハルキは「かわいそうな子」じゃない。「かわいそう」なんて思われたくはなかった。だから多少無理にでも明るく振る舞って、馬鹿みたいに笑ってみせて、「かわいそう」と思われないようにしてきた。
フォルクハルトには、最初からそれがなかった。
そういう感性を持ち合わせてなかったってだけの話なのかもしれない。でもそれは、ハルキにとって、とても嬉しい事だったのだと思う。
フラットに接してくれる久しぶりな人だったし、事故に遭ったあとにフラットに接してくれた初めての異性だった。
最初は「ムカつく奴だ」と言っていた。でも「同情や憐れみを向けらる事もないから、気を遣わなくていい」とも言っていた。
心から笑う事が増えて、作り笑いが減った。表情が自然になって生き生きしている。事故に遭う前に戻ったような。
ミドリにとって、それは少し悔しくもあった。ずっと支えて一緒にいたのは私なのに。あんな愛情のカケラも持ち合わせてないような男に、と思っていた。
「ミュラーはハルキに傅いていればいいのよ」
「???ごめん、何の話???」
ミドリの急な一言にハルキは狼狽えるばかりだった。
「で、なんで僕の部屋に来たんですか?」
夕食の後、少し部屋でのんびりしてからミドリとハルキはトミタロウの部屋に来ていた。
「ミドリがここが一番広いからって」
「なんで一人なのにこんな広い部屋にしたの?」
トミタロウはため息をつく。
「ここしか空いてなかったんです。というか、それぞれパートナーはどうしたんですか?」
「部屋でのんびりしてる」
「同じく」
二人はトミタロウの部屋に入ると、あちこち見て周り「これが部屋風呂か」「ここスイートじゃん」などと言いながら探索を始めた。トミタロウは縁側風スペースの椅子に腰掛けルームサービスで運ばれてきたシャンディガフを一人で嗜んでいた。
二人は「寝室広い」「ベッドじゃん」「でっか」と好き勝手やっている。
「この状況不味くないですか?ミドリさんの方はともかく、フォルトさんに怒られません?お二人は、なんて言ってここに来ました?」
ふと気になって問いかけたトミタロウの質問に、二人は一度トミタロウの方を見た。
「トミーの部屋広そうだから見てくる」
「ミドリのとこ行ってくる」
短く答えると、また探索に戻る。トミタロウは顔面蒼白になった。
「ハルキさん。それ、ダメじゃないですか」
「ミドリのとこに行ったら、ミドリがトミーのとこ行こうって言うからついてきただけだし」
当のハルキは特段気にした様子もなかった。
「ダメでしょ!ちゃんとフォルトさんに言ってから来ないと!」
「そうか?」
トミタロウは慌てて二人のいる寝室に乗り込んでハルキに詰め寄り抗議したが、ハルキは怪訝な顔をしただけだった。
「じゃあ今から連絡しよう」
ミドリが端末のカメラをハルキとトミタロウに向ける。
「イェーイ、ミュラー見てる?今ハルキと一緒にトミーの部屋にいまーす。ほい、送っといたよ。ちゃんとトミーとハルキのツーショットにしといた。」
トミタロウはミドリのやった事を理解するのに数秒を要した。
寝室。詰め寄った自分とハルキのツーショット。送っといた?誰に?血の気が引いていく。この先に待ち受けるのは死だ。
「どんだけ最悪な連絡の仕方するんですか?!!マジに殺されるじゃないですか!思いつく限りで一番最悪な方法ですよね?!」
「連絡しろって言ったのトミーじゃん」
全く悪びれた様子もなくミドリが言ってくる。ハルキはポカンとしていた。
少しして、廊下をドタドタと走ってくる音がして部屋に乗り込んできた事がわかる。部屋のドアは開けてある。
「おいトミタロウ。お前どういうつもりだ」
ヌッと顔を出したフォルクハルトの顔は平静を保とうとは努力しているようだったが、それでも怒りに満ち満ちていた。
「違います!僕のせいじゃないです!」
トミタロウは恐怖で部屋の隅に飛び退く。ハルキはこれは不味いことをしたなと気まずい顔をした。ミドリはケラケラと笑っている。
「ハルキも!カワトのところに行ったんじゃなかったのか?」
「ミドリのところに行ったらトミーの部屋広いから一緒に見に行こうって言われて…すまない」
ハルキは上目遣いでフォルクハルトに謝った。フォルクハルトは概ね事の経緯を理解するとミドリをギロリと睨みつけた。
「諸悪の根源はお前か」
「スッゲー顔してた!ひー!おもしろ!」
ミドリは相変わらずケラケラ笑っている。
「大丈夫?すっごい形相で出ていったの見えたから追いかけてきたけど」
ショウゴがパタパタとやってきて部屋の有り様に顔を引き攣らせる。
「あー…ミドリちゃん、何やったの…まあ、想像はつくけど」
ショウゴとハルキでなんとかフォルクハルトを落ち着かせ、ミドリはフォルクハルトとトミタロウに謝った。トミタロウは縁側風スペースの椅子に戻り、四人は和室のテーブルを囲んで話始める。
「そういや宿で将棋貸してくれるって言ってた。みんなで仲良く将棋崩ししよう」
「だめです!」
「ダメだ!」
ミドリの提案にトミタロウとフォルクハルトが反対する。
「ハルキの声が気になるなら、ハルキには猿轡でも噛ませとけばいいし」
「よりダメです!」
トミタロウが強く反対する。
「ミドリちゃん、やめなさい。純情な青少年を揶揄うのは」
ショウゴが仲裁に入るが、ミドリは文句ありげに「えー」と言っていた。
「今なんか想像してただろ」
ハルキが冷めた声で固まっているフォルクハルトの肩に手を置いた。
「…してない…」
フォルクハルトは耳の後ろを掻いて目を逸らす。
「ふーん…」
フォルクハルトが気まずそうにハルキの方を見ると、ハルキは冷たい目でこちらを見ていた。
目を合わせないように、やや下に視線をずらすと胡座をかいている脚が浴衣からチラリと見えた。
「…浴衣で胡座をかくな」
「なんだ急に?」
フォルクハルトに言われてハルキは眉根を寄せる。
「…脚とか、いろいろ見えるだろ」
「足は別によくないか?」
フォルクハルトは、何も分かっていないハルキに説明するのは諦めて、ハルキの向かいに座っているミドリの方を向いた。
「カワト。ちょっとコイツちゃんと教育してくれ」
ミドリは面倒臭そうな顔をする。
「興奮するから隠せってさ」
「何故そういう言い方になる?」
フォルクハルトに文句を言われたので、言い直す。
「わかったわかった。他の男に見せたくないってさ」
ハルキはハッとして、座り直して浴衣を整えた。
「!じゃあ仕方ないな…」
少し照れながらそう言う。
「こうやって言えばいいのよ」
ミドリは腕を組んでふんぞりかえる。
「いや、恥ずかしすぎるだろ」
「ほらほら、胸元もはだけてきちゃってるわよ。早く言ってあげないと」
フォルクハルトが何か言っているが、ミドリは今度は口元を隠して面白がるように語りかける。
「タンクトップ着てるから大丈夫だぞ」
ハルキは自慢気に腕を腰に当てるだけで、全く気にしていない。
「なんでお前は…ちょっとこっち向け」
フォルクハルトは、言われるままフォルクハルトの方を向いたハルキの襟を直した。
「さっきから、なんのプレイですか?」
声のした方を見ると、トミタロウが冷めた口調で、すこぶる軽蔑した目を向けていた。
「プレイって言うな!」
フォルクハルトは抗議したが、それには誰も取り合わなかった。
「入った時はカッコいい先輩達だと思ってたのに…」
トミタロウは酒が入っている所為なのか、芝居がかった様子で目頭を押さえて悲しみを表現する。
「30代なんてこんなもんよ」
そんなトミタロウにミドリが冷たく言い放った。
「平均的な30代はこんなじゃないと思います!」
トミタロウの抗議に取り合うものは誰もおらず、くだらない話をしながら温泉旅館の夜は更けていった。