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青い小鳥

僕はいつだって恐かった。
兄さんはとても賢くて、でも、理解できない人で。 僕は逆らえずに、いつだって黙って従っていた。 本当に嫌でも、何も言えずに兄さんの言うとおりにしていた。 兄さんは、別に僕を蹴ったり殴ったりして、傷つけたりするわけじゃない。 ただ、僕に、「あれをしろ」「これをしろ」という。 何か皆に言われたくないことを兄さんが知っているとか、そういうことでもない。 兄さんが兄さんだというだけで、僕が従う理由は十分らしかった。 お父さんとお母さんの前では、兄さんはびっくりするぐらい「いい子」だ。 だから、だれも兄さんの本当の姿を知らない。 本当は、兄さんは誰も尊敬しない。 兄さんにとって、人間なんてものはくだらない生き物で、皆劣っているらしい。 何と比べているのかはわからない。
でも、兄さんは自分を人間だと言う。 「僕も人間だ。でも、僕は人間が愚かしいということを知っているし、僕もその一部に過ぎない ことを知っている。これを理解している人間は、この世界にはご くわずかで、それに気付いた人 間は、とても愚かな人間の中でも、まだマシのさ。お前にはわからないだろうね。何故なら、お前も何も気付かない愚かしい人間 の底辺にいるからさ」 これが、兄さんの言い分だ。僕には一つも理解できない。 それでも、僕は兄さんの言うことにだまって、頷くしかない。 僕が黙っているうちは、兄さんはニコニコしている。
とても満ち足りているようだ。
そして、きまって
「お前は、賢い子だ。そうやって、何も言わず僕に従っていればいい。」
と言う。
僕はやはり、頷く。こうしいれば、僕は安全なんだ。
何の脅威におびえることもない。
その時はそう思う。
でも、ふと我に返ったとき、僕はとても恐くなる。 どうして、逆らえないのだろう。なぜ、何もいわないのだろう。
兄さんが怖い。
そして、兄さんの言う通りに動いている僕が怖い。
ある日、僕は兄さんに言われて小鳥を買ってきた。 一つのカゴに5羽。それを2カゴ。全部で10羽の小鳥はとってもかわいかった。

半分は兄さんので、半分は僕のだと言う。 兄さんのカゴには、黄色いのが2羽と白いのが2羽と、あとそれから青いのが1羽。 僕のカゴには、茶色と白のブチが3羽と、灰色だけど腹が白くて嘴はピンク色のが1羽と、黒い のが1羽だ。
兄さんは、兄さんの部屋で世話をして、僕は僕の部屋で世話をする。 僕は、毎日エサと水を変えて、1週間に一回はカゴの中を掃除してやった。 茶色と白のブチは3羽とも仲良しで、いつも一緒にいる。 僕を仲間に入れてくれないから、僕が手を近づけると怒る。 灰色のは黒いのと一緒にいるときもあるが、基本的に一匹で歌っている。 僕のことを気に入ってくれたみたいで、僕の手の上にのって歌ってくれることもある。僕のお気 に入りはコイツだ。
黒いのは、灰色のの後について、チョンチョン飛び跳ねる。 でも、たまに一人で隅っこでじっとしている。
灰色のが歌うと、とても嬉しそうにする。
でも、僕は皆かわいいから大好きだ。 兄さんの小鳥は、色がきれいで素敵だけど、僕は僕の小鳥が大好きだ。
3ヶ月くらいたった頃に、兄さんは僕を自分の部屋に入れて兄さんの鳥かごを持って地下室にく るように言った。 僕は、黙って兄さんのキレイな5羽の小鳥の入った鳥かごを持って、兄さんの後ろを歩いて地下 室に下りていった。
兄さんの小鳥も元気そうだった。
賢い兄さんが世話したんだから、当たり前だ。 地下室に着くと、兄さんは、地下室に置いたままなっている、使ってない大きな棚を指差して「 そこに置いて」と言った。
僕は言われるままに、カゴをそこに置いた。 兄さんはニッコリと笑って「いい子だね」と言った。 僕は、なんだか少し嫌な気持ちになった。兄さんは何をするつもりなんだろう。 「そこに座ってなさい」
兄さんはそう言って、棚から少し離れた椅子を指した。 僕は椅子に座って、兄さんが何をするのか見ていた。 兄さんは、殺虫剤を手にして鳥カゴに向けた。
シュー
嫌な音がした。
「ちゃんと見てるんだよ」

兄さんは、カゴの方を向いたままそう言った。 僕は目を閉じることが出来なかった。兄さんに言われたから、見ないといけない。 兄さんは、3ヶ月ずっと世話してきた小鳥に殺虫剤を浴びせていた。 5羽の小鳥達は何が起こっているのかわからずに、音にびっくりしてバタバタしていた。 そのうち、白いのが変な咳みたいなのをし始めて、黄色いのの元気がなくなってきた。 僕は、やめて欲しかった。兄さんの小鳥だけど、でも小鳥がかわいそうだ。 青いのもバタバタするのをやめた。 僕は「やめて」と言いたかったし、兄さんに止めさせたいと思ったけど、何も言えないし、椅子 から立ち上がることもできなかった。 それならいっそ見たくないと思ったけど、目を閉じることもできなかった。 兄さんは、殺虫剤のスプレー缶が空になるまで、それを続けた。 終わる頃には、カゴの中で生きているのは青い小鳥だけになっていた。 空になった缶を、その辺に放り投げると、兄さんは僕の方を向いた。
「こっちにおいで」 言われるままに、僕は椅子から立ち上がり、かわいそうな小鳥の前まで歩いていった。 兄さんは、カゴを開けて、僕の手を青い小鳥の前に出すように言った。 僕は言われたようにそうする。
青い小鳥は、ちょこんと、僕の手の上にのった。 その体は温かい。僕の手は震えていた。
兄さんは微笑んでいた。 僕は、兄さんと小鳥を交互に見て、それから、最後に青い小鳥を見た。 小鳥は、僕の手の上で糞をし始めた。 僕はびっくりして一瞬小鳥を振り払いそうになった。 でも、さっきの光景を思い出して、その思いをなんとか我慢した。
「いい子だね」
兄さんがまた、そう言った。
小鳥は糞をするのをやめなかった。 いや、きっとやめようと思ってもやめられないんだ。 青い小鳥は僕の手の上で、出る分だけぜんぶ糞をしていた。 そして、青い小鳥は、ずっとその間僕を見ていた。 「ごめんなさい」と言いたかった。口は少し動いたのだけど、声は出なかった。 その代わりに、涙が出た。
「それは、お前にあげるよ。」
兄さんはそう言って、地下室を出て行った。 僕は、兄さんが地下室から出て行ったあとにゆっくりと地下室を出た。 青い小鳥を手にのせたまま。
外に出て、太陽の光。

青い小鳥に、キレイな空気。 僕は頭が悪いから、この青い小鳥を助けてあげることはできない。 できないのはわかっていた。
だから、外に出た。
外は少し寒かった。 日は射していた。青い小鳥は、外を見てぼんやりしていた。 これが世界だよ。大きい、広い世界だよ。 でも、僕は兄さんの言うことにも逆らえないんだよ。 「ごめんなさい」を言うこともできないんだよ。 僕は、口を開けていた。意味もなにもない声を上げていた。 目からは涙が出ていた。
いい子じゃない。いい子じゃなくていい。 僕は声を上げていた。
そんな風な夢を見た。


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