32 下衆とかわいいあの人と

相変わらず早く来てはハルキに絡んでいるヤマトが、今日は珍しくフォルクハルトの隣に座っていた。黙って報告書を書いていたフォルクハルトは、嫌悪感を感じてはいたがハルキに絡まれるよりはマシだと自分に言い聞かせて平静を装っていた。
「ハルキちゃんって夜はどんな感じなの?」
ヤマトが小さな声でニヤニヤしながら聞いてくる。今は夜勤だ。フォルクハルトは壁側の棚の横にあるデスクでトミタロウと備品のチェックをしてるハルキを指差す。
「あの通りだが?」
「またまた〜とぼけちゃって。てか、もう朝だよ」
なるほど、確かに時計は7時をまわっている。そろそろ交代の時間だ。しかし、何をとぼけたと思われたのかは謎だった。
「羨ましいなあ」
ヤマトは勝手に一人で話し続ける。
「ああいうの女の顔見てみたいなあ。アンアン言わせてメスの顔でよがってるの想像すると興奮する」
フォルクハルトはヤマトが何を聞きたかったのかをようやく理解すると同時に戦慄した。
そんな事を直接不躾にパートナーに聞いてくる人間がいるなどと思いもしなかった。
(これは、本当に聞き出そうとしているのか?それとも俺への嫌がらせか???)
「中どうなってるのかとか、挿入したらどんな感じなのか試してみたいなあとか思うよねえ。実際、どんな感じです?」
さらに続いたヤマトの発言は、あまりにも酷薄だった。この男はハルキの事を何だと思っているのか。そんなくだらない自分勝手な興味本位の好奇心でハルキに近づいているのか。ハルキには「適当に流せ」と言われているが、さすがにこれは看過できなかった。本音を言えば腹を蹴り上げて内臓をいくつか潰してやりたかったが、歯を食いしばって堪える。
フォルクハルトは静かに怒りを湛えた目でヤマトを睨みつけた。
「黙れ。不愉快だ。」
「あれ、ミュラーさん、結構潔癖な感じ?」
ヤマトはフォルクハルトの怒りを意に介した様子もなく、飄々としていた。

帰る頃になってもフォルクハルトの怒りはおさまらなかった。
「ハルキ、もうあいつと喋るな」
「え、なんだ急に。なぜだ?」
説明したいが、あまりにもあんまりな言葉だったのでハルキ本人に伝える気にはなれず、フォルクハルトは口篭ってしまった。
「心配してくれるのは嬉しいが、私が誰とどう話すかは私が決める事だ。命令される覚えはない」
少しムッとしたハルキにそう言われて、フォルクハルトは己の発言を恥じた。確かにフォルクハルトに彼女の行動を制限する権利などない。
「…そう…だな。すまなかった。俺が、嫌なだけだ。」
理屈はその通りだと納得はしたものの、何とかする方法はないものかと、考える事をやめられない。ハルキを危険から遠ざける何かいい方法は…
(…あ)
フォルクハルトは、同じ目的を共有できそうな人間に一人思い当たった。

「ああ、あいつそういう感じなんだ。女に生まれると、ままある話よ。勝手に値踏みされて、支配や征服の対象として見られる」
ミドリは嫌悪感を顕にしたものの、さほど驚いた様子はなかった。
「ハルキはあの体だから、珍しさや興味本位で寄ってくる男はたまにいるのよね。健診にかこつけて勃たなくしてやりてぇ」
ミドリの本気の呪詛に、フォルクハルトは「それは一体何をするんだ」とゾッとした。場合によっては自分もその制裁の対象となっていた可能性はあるし、今後もないとは言い切れない。
「ミュラーが脅してやればいいじゃん」
「それはもうやったが、あまり効果がなかった」
ミドリは「ダメだったかぁ…」とぼやいて上を向いて少し考える。
「ボロでも出してくれれば人事に通報できるんだけどね」
一発退場になるほどのことは、ヤマトもさすがにしていない。
「心配しなくても、ハルキも気づいてると思うよ。あの子そんなにバカじゃないもの。」
ミドリに言われてフォルクハルトはポカンとした。
「そうなのか?」
「…ミュラーに関することだけはアホになってるからミュラーから見たらわからないかもね。」
フォルクハルトにはミドリの言っている意味はいまいち理解できなかったが、ミドリは特に気にせず、話を続ける。
「でもまあ、トミーとも連携して人事に通報できるネタを集めるかなあ。ちょっとトミー呼んできて、トミーと二人で話すわ」
フォルクハルトは頷くとメンテルームを後にした。
少しして入れ替わりでトミタロウがメンテルームに入ってくる。
「何ですか?」
ミドリは黙ってトミタロウに座るよう促す。
怪訝な顔で座ったトミタロウの顔を、ミドリは真っ直ぐに見すえた。
「正直な話、ヤマトの事どう思う?」
トミタロウは暫し考えて言葉を選んだ上でこう答えた。
「あまり、関わりたく無いタイプの人ですね」
ミドリはうんうんと頷く。
「ちなみに、何かされた?」
「ゲスい下ネタを散々聞かされてうんざりしています」
トミタロウのうんざりした顔に、ミドリは「やっぱりな」と思った。ああいう輩は、自分が常識だと思っているし、自分より下だと思った相手には大抵やらかす。
「人事には?」
「一応報告は上げてますけど、同性間だとイマイチ反応悪いですね。注意ぐらいは入ってると思いますが」
トミタロウの話を聞いて、ミドリは「なるほどね…」と呟いた。新人へのセクシャルハラスメントで注意が入っているなら、もう少し何かあれば少なくともD地区から離す程度はできるかもしれない。
「何かあったんですか?」
「ちょっとね…」
ミドリの説明を聞いて、トミタロウはグロテスクなモノを見せられたような顔になった。
「フォルトさん、よく耐えましたね。普通に殴ってもおかしくないですよ」
「法が許すなら内臓二、三個潰してたって言ってたから、相当怒ってたよ」
「だいぶ殺意が高い」
やろうと思えば実現できるラインなのが恐ろしくてトミタロウは震えた。
「ハルキも迷惑だって言ってるし、あいつには穏便にご退場いただく様に人事に通報するネタを集めたいんだけど、どう?」
続いたミドリの提案に、トミタロウは頷いた。
「記録機器の用意はお任せください」
トミタロウはいつになくキリッとした顔でそう答えた。

フォルクハルトがシャワーを終えて寝室の戸を開けるとハルキはフォルクハルトのベッドの上で壁を背に座って待っていた。左のアームを外していないという事は、まだ寝ないという意思表示だ。
フォルクハルトは、ベッド脇の引き出しを開けてコンドームの数を確認する。
横目でハルキを見ると、期待した顔でこちらを見ていた。タンクトップの襟ぐりから覗くサイバネ接合部に唾を飲む。
フォルクハルトは黙って頷くとベッドに上がった。ハルキの潤んだ黒い瞳に引き寄せられる様に顔を近づけると、少し開いた唇を吸う。服の中に手を入れてハルキの身体がピクリとした瞬間に、ヤマトの言葉が頭を掠めた。手が止まる。
(俺とあいつは何が違う?)
あの時はあれほど腹を立てたというのに、急に不安になる。今やろうとしている事はなんだ。ハルキの求めに応じているだけだろうか。以前はそうだった。途中で中断されても何も思わないどころか、むしろホッとした。
だが、今は違う。自分の中にある欲で動いている。
(同じじゃないか?)
自分本位な欲求を満たす為に彼女を利用しようとしているだけなのではないか。
フォルクハルトは、ハルキから体を離した。
「どうした?」
不思議に思ったハルキが問いかける。
(あいつと何が違う?アルベルトと、何が違う?)
軽薄なヤマトから双子の兄を連想して気分が悪くなる。
「すまない…今日は…無理だ」
深刻な面持ちのフォルクハルトに、ハルキは少し心配そうな顔をした。
「そうか…わかった。…が、何を悩んでいるのかは、聞いてもいいか?そんな顔をされたら心配になる」
フォルクハルトは、何をどう言えばいいのか、そもそもハルキに伝えるべきなのか判断できずに口籠る。
「言いたくないなら、言わなくてもいい」
ハルキは少し寂しそうに笑うと、そう言って、そっとフォルクハルトの頭を撫でる。
ハルキの表情を見て、フォルクハルトは何も伝えない事に罪悪感をおぼえた。上手く伝えられる気はしなかったが、何か言わなければと思った。
「…ハルキを傷つけたらと思うと怖い」
「傷つける?」
フォルクハルトがぽつりと口にした言葉に、ハルキは首を傾げた。
「自分の欲求で快楽を求めた時、アルベルトの事が頭を過ぎる。自分は違うと言い切れる自信がない。」
ハルキは「またアルベルトか」と思ってムッとした。フォルクハルトは下を向く。
「自分の中にある嗜虐性や支配欲が怖い」
ハルキが何かに気付いて「あ」と声を上げる。
「もしかして、それで煽られるの嫌がってたのか?」
フォルクハルトは静かに頷いた。
「煽られると、打ち負かしてやりたいとか、多少酷い目に合わせて黙らせたいとか考えてしまう」
思い詰めた様子のフォルクハルトを見つめ、ハルキは何をどう伝えるのが良いのかと考えた。
「でも、そんな事はしないだろ?」
少し「痛い」と言われただけで、すぐに手を離して謝る癖に、何を心配しているのだろう。
「心配しなくても、フォルクハルトはフォルクハルトだ。アルベルトじゃない」
フォルクハルトは少し顔を上げて、ハルキを見た。ハルキは愛おしそうにフォルクハルトを見つめていた。
「フォルクハルトのセックスはいつも丁寧だし、私を乱暴に扱った事は一度もない。気持ちがないと言っていた時でさえ、ずっと」
「でも…気持ちよくなってるハルキを見たいとは思う…」
「それは私も思ってるから、あいこだ」
ハルキがくすりと笑う。それから少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「フォルクハルトがイッた後の顔好きだぞ。かわいくて」
「かわ…???」
自分が「かわいい」と言われるとは考えたこともなかったフォルクハルトは、眉根を寄せてハルキを見る。ハルキは、右手でフォルクハルトの眉間に寄った皺を伸ばして「かわいい」と笑う。
「俺は潔癖すぎるんだろうか…」
「なんだ?ヤマトにでも言われたのか?」
図星を突かれて気まずい顔になる。ハルキはまた笑う。
「そうかもしれないが、私は好きだぞ」
ハルキの笑顔を見て、フォルクハルトは「ハルキがいいなら、いいか」と思った。

数日後、トミタロウは、ヤマトが来る前にオフィス内にカメラと録音機器を設置して、自前で持ち込んだ端末からそれぞれ正常に動作しているか確認していた。
作戦会議の末、ハルキとヤマトを二人きりにして様子を見ることになった。フォルクハルトが最後まで反対していたが、業務時間は戦闘用アームとパワードスーツなので力で負ける事はないと説得し、最終的にはハルキに「フォルクハルトは過保護すぎる」と言われて渋々合意した。
ヤマトが来る頃に、フォルクハルトとトミタロウはメンテルームへ移動し、トミタロウの端末でオフィス内に仕掛けたカメラの映像を三人で見ていた。
「お疲れー…あれ?ハルキちゃんだけ?」
ヤマトが入ってきた。
「トミーとフォルクハルトはミドリに呼ばれてメンテルームだ。」
「ふーん」
ハルキは壁際のデスクの前に立って備品のチェックをしている。
ヤマトはハルキのすぐ側までくると「手伝おうか?」と聞いてきた。
「いや、いい。まだ始業時刻じゃないだろう。こちらの仕事だ」
メンテルームでは二人の距離が近すぎるとフォルクハルトがそわそわしだしていた。
「そういえば一緒にご飯行く話だけど」
「みんなでなら行こう」
「えー二人で行こうよ」
「それは断っただろう。しつこいぞ」
「ミュラーさんに気ぃ遣ってるの?」
「そういう事ではない」
ハルキは淡々と答える
「ミュラーさんのどこがいいの?」
ハルキはどう答えるのがいいのか少しの間考えたが、どう答えても結局同じ気がして「………筋肉」と答えた。
「……筋肉なら俺もすごいよ。触ってみる?」
ヤマトがハルキの後ろに回り込み、その右手でハルキの右腕を掴む。
「やめろ」
腕を振り払おうとしたが、右腕は所詮女性の腕力だ。振り解けない。ヤマトは後ろから強引に抱き寄せようとしてくる。
「あんなつまんない男ほっといてさ…いいだろ?」
耳元で囁かれ、ハルキの表情が歪む。
「つまらない男…だと?」
ハルキはぐるりと振り返ると、左手でヤマトの胸ぐらを掴んだ。
「え?」
ヤマトは驚いて右手を放した。そして、ハルキの怒りが本物である事を悟った。
「フォルクハルトを侮辱する事は許さん」
ヤマトの足が浮き、壁に押し付けられた。加減しているとはいえ戦闘用サイバネアームとパワードスーツの力には鍛えていても生身で対応するのは難しい。こうなるとヤマトにはなす術がなかった。
「お前如きが、私を飼い慣らせると思ったら大間違いだぞ」
キュイーンという排熱ファンの高い音がした。
「録画させてもらいました。ちょっと今のは擁護できないですね」
「な…」
メンテルームから出てきたトミタロウに言われてヤマトは唖然とする。
「ハルキに手ェ出してタダで済むと思ってんじゃねぇぞ、ゲスが」
続いて眼光の鋭いミドリが出てくる。
「…アバラの一本や二本は覚悟できてんだろうな」
拳をバキボキと鳴らしてフォルクハルトも出てきた。
ヤマトはようやく嵌められた事に気付き、顔の色を失った。今の動画とハルキの証言があれば、なんらかの制裁は免れない。
作戦では、これでヤマトが戦意喪失して終わりのはずだった。が、ハルキはヤマトを壁に押し付けたまま動かない。メンテルームから出てきた三人が違和感を覚えた頃、ハルキが叫んだ。
「フォルクハルトは最っっっっっ高だろうがぁ!!!!」
ハルキの怒りはおさまっていなかった。
「あれ本気だ!ミュラー止めて!!」
「待て!ハルキ、落ち着け!」
ミドリに言われるまでもなく、フォルクハルトが飛び出してハルキを後ろから羽交締めにする。ヤマトの拘束は解かれたが、押さえつけられていた時間が長かった事もあり、意識が朦朧としている。
「最大出力でブン殴る!顎を砕いてやる!!」
取り押さえられながらハルキは暴れ続ける。
「気持ちはわかった!気持ちは嬉しいが、それはさすがに傷害事件だ!」
「うがぁぁ!!」
フォルクハルトが声を掛けるが、全く聞いている様子がない。
「こりゃダメだ。正気を取り戻すには、もうキッスをするしかないと思う」
「マジっすか。じゃあキッスをするしかないですね」
ミドリとトミタロウは、フォルクハルトが抑えているなら大丈夫だろうと、割と冷静だった。
「お前ら、ふざけてないで手伝え!!」
「私は無理よ。非戦闘員だもの」
「ちょっと僕にも無理ですね。じゃあ僕は、必要なところだけ切り取って、人事に送るという仕事があるので」
トミタロウはそう言って、メンテルームに戻って行った。
「とりあえず怪我人が出ないように、この下衆野郎をメンテルームに隔離しとくから、あとよろしく」
ミドリは放心気味のヤマトをメンテルームへ連れて行く。
「殴る!絶対殴る!」
「こら!暴れるな!」
ハルキは暴れ続ける。
(マジでどうやったら止まるんだ???)
キス?ふざけてただけだろう、真に受けるな。そもそも、この体勢からでは無理だ。だが、意識を別のところに向けさせるならその方向性か。どうする。とりあえず部屋には他に人はいない。多少恥ずかしい事を言っても、さほど聞こえはしないだろう。
フォルクハルトは意を決して羽交締めの状態からハルキを後ろから抱きしめると、ヤケクソ気味に叫んだ。
「ハルキ!大好きだ!愛してるから、おとなしくしてくれ!」
ハルキの動きが止まった。
「今なんて言った?」
「へ?あ…」
フォルクハルトはハルキがおとなしくなった事に安堵した。
「なんて言った?」
繰り返し聞いてくるハルキに、フォルクハルトは目を泳がせた。
「おとなしくしてくれ…と」
「その前だ」
「え…と」
「その前だ」
フォルクハルトはハルキから離れて口元を隠す。
「もう落ち着いたならいいだろ」
「よくない。また、暴れるぞ」
ハルキに睨まれて、フォルクハルトは逡巡した。暴れるぞという脅しは、割と本気かもしれない。
「…………大好きだ。愛してる。」
「もう一回」
「家に帰ったらいくらでも言ってやるから、ここでは勘弁してくれ…」

後日、ヤマトはD区画からA区画へ配属替えとなった。

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