67 マツダという男
深夜。かつては「草木も睡る丑三つ時」とも言われた時刻ではあるが、アンチアルゴスD地区サテライトオフィスの窓から見える街は、ネオン看板に彩られ、酒で日頃の鬱憤を紛らわせた酔い客や、調子に乗った学生の群れの叫び声に眠りを妨げられていた。
夜勤帯のオフィス内では、マツダとハルキがテーブルで向かい合い、真剣な顔で睨み合っていた。
二人は一触即発といった空気だが、フォルクハルトは別の席でAI将棋に興じ、トミタロウは我関せずに備品の整備をしていた。
マツダが重々しく口を開く。
「カブトムシだ。世の中で一番かっこいいのはカブトムシで間違いない。」
「ミヤマクワガタだって言ってるだろ。」
ハルキはできる限りの低音で凄みを効かせる。二人は、しばし無言で睨み合う。先ほどからお互い一歩も譲らず膠着状態が続いている。
マツダはチッと舌を打った。いつまで経っても平行線だ。このままでは埒があかない。揺さぶりをかけるか。
「ハルキは本当に世の中で一番かっこいいのはミヤマクワガタだと思ってンのか?虫以外も入れて全部の中でだぞ?」
マツダの問いかけに、ハルキは意表をつかれて「え…」と声を漏らした。動揺している。畳み掛けるなら今だ。
「さあ、もう一度よく考えてみろ。世の中で一番かっこいいのはなんだ?」
マツダのさらなる問いかけに、ハルキは目を泳がせて考え込んだ。世の中の全部の中で一番かっこいいモノとは何か。
「えと…」
世の中全部となると、ミヤマクワガタとは言い難い。マツダは真剣な眼差しでハルキを見据え、彼女の答えを待った。困惑の中、思考を巡らせ必死に考えているのが見て取れる。
ハルキはハッとした。答えに辿り着いたのだ。顔を上げて、真っ直ぐにマツダの眼を見つめ返す。
「フォルクハルト」
マツダは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに眉間に皺を寄せ、それから首を傾げた。おかしい。自分の期待した答えとは程遠い、というか、別にそんな惚気話を聞きたかった訳ではない。しかし、言われてみれば、ハルキならそう答えるに決まっていた。
「…………すまん。聞いた俺がバカだった。」
ハルキにそう伝えてから、彼はフォルクハルトに向かって大きな声で話しかけた。
「良かったなフォルト!お前が世界で一番かっこいいってよ!」
フォルクハルトは顔を上げて、少し照れ臭そうに「…そうか」と口元を緩めると、将棋の盤面に目を戻す。もっと無感情な男だと思っていたが、案外可愛いところがある。マツダは、彼の表情を見て、そんな事を考えていた。
「なんでもいいから仕事してくれません?」
唐突に挟まれたトミタロウのうんざりした声に、ハルキとマツダは視線を交わす。仕事。夜勤帯は通報も少ないため、二人の頭からそのニ文字はすっかり抜け落ちていた。業務時間内であるため、どう考えてもトミタロウが正しい。
二人は立ち上がり、トミタロウと一緒に備品の整備を始めた。
「そういえば、イッヌが仔犬産んだんですが、どなたか引き取っていただけたりします?」
最新のKアミド専用射出機の装填部を確認しながら、トミタロウが話題を振った。
「イッヌ、メスだったんだ」
トミタロウは、ぼやくハルキを無視して、他の二人の回答を待つ。
「うちはペット不可だ」
フォルクハルトは将棋の盤面から目を離さないまま短く答える。
「俺の所はペットは飼えるけど、既にアーサーとエリザベスがいるからなあ」
マツダの回答にトミタロウは眉根を寄せた。
「アーサーとエリザベス?」
「カブトムシの名前だ」
間をおかず、ハルキが無感情に情報を付け足した。
「虫の一匹や二匹なら別に問題ないだろ」
フォルクハルトが少し三人の方を向いて言ったが、ハルキは首を横に振った。
「一匹や二匹じゃない」
「今ちょうど五十匹だな。」
マツダが正確な数字を上げると、トミタロウの表情が一変した。完全に異質な者を見る目だ。
「え?飼育小屋とかあるんですか?」
「一緒に住んでる」
「部屋広いんですか?戸建てとか?」
「2DKの普通のマンション。6畳6畳7畳かな。一部屋カブトムシの部屋にしてる。温度と湿度の管理も必要だかンな。」
マツダは特に気にした様子もなく答えると、整備を終えた射出機を元の位置に戻した。
『D18地区に小型アルゴス3体。至急対応お願いします。通報があった座標を送ります。
近隣に他の個体がいる可能性があります。
注意してください。
住民退避完了次第、再度連絡します。』
通報の受信と共に、全員が動き出す。インカムと拳銃を装着して、ハルキとトミタロウが棚からアタッシュケースを取り出しテーブルに広げる。
「Kアミド確認、残数5」
「残数5確認」
ハルキとフォルクハルトは二人で指差し確認を行い、アタッシュケースを閉じる。
「Kアミド確認、残数10」
「残数10確認」
トミタロウとマツダも同様に確認する。
「行くぞ」
フォルクハルトの声に応えて、四人は眠らぬ街へ飛び出した。
現場に到着し、退避完了の連絡を待つ。
「3体にマーカーはついてる。2体はその奥、1体は離れてるな。」
ハルキがマップを確認しながら告げる。トミタロウはKアミドの装填を終えた射出機をマツダに渡した。
「いつでも行けるぞ。」
マツダは両手にそれぞれ射出機を手にしてフォルクハルトの指示を待った。
「そこの2体はマツダに任せる。退避完了の連絡が入ったら駆除しろ。残りの1体は俺とハルキであたる。トミーは索敵。まだ、いるかもしれん。」
フォルクハルトの指示に三人は「了解」と応え、それぞれ動きだす。
フォルクハルトとハルキは移動を開始し、マツダはアルゴス2体を視認して、狙いを定めた。
『D18地区、住民退避完了。D地区第二チームへアルゴス周辺での発砲許可。』
「Go!」
インカムから聞こえたフォルクハルトの声を合図に、マツダは2体に一発ずつアンプルを射出した。命中。
「楽勝だな」
マツダがニヤリと口角を上げる。
「まだ!三時の方向にいます!」
トミタロウの警告。マツダは三時の方向に銃口を向ける。物陰に異形の姿が見えた。大きい。
「マーカーとは別の大型一体確認!」
トミタロウの報告と同時にマツダが駆ける。アルゴスの全身を確認し、有効射程内まで距離を詰める。
パシュパシュパシュパシュ
軽快な連射音と共に二丁の拳銃から射出されたアンプルは全弾命中した。弾切れだ。マツダはトミタロウの元に駆け戻り、アルゴスの分解を見守った。
「小型2体クリア。大型1体…クリア。」
トミタロウが報告を上げる。
「周辺には他の個体もなさそうですね。」
トミタロウが索敵を終えマツダに告げると、マツダは息を吐いて拳銃を指でクルクルと回し、両腿のホルスターに入れた。
インカムからハルキの報告が聞こえる。
「小型1体クリア。周辺に他の個体なし。こちらも終わった。」
間も無く合流し、向こうから歩いてきたフォルクハルトに、マツダは「いえーい!」と言ってハイタッチしようと右手を挙げた。フォルクハルトは面倒くさそうな顔はしたが、すれ違い様に軽く触れる程度にハイタッチに応じた。
ハルキは、嬉しそうに駆け寄って来ると、マツダと同じように「いえーい!」と言ってハイタッチしてくれた。彼女はそのままフォルクハルトにもハイタッチを要求する。
振り返ったフォルクハルトは、彼女に優しく微笑みかけて楽しそうにハイタッチに応じた。「なあ、あれ何なの?」
あまりの落差に、マツダは怪訝な顔でトミタロウに声をかける。
「愛の差、じゃないですか?」
トミタロウは、どうでも良さそうに答えた。
「愛かあ…俺には縁のない話だなあ…」
「そんな事言って、僕に内緒でいつのまにか結婚したりするんでしょ」
半ば冗談めいてぼやいた言葉に、想定外の反応をされてマツダはギョッとした。
「なんだ?なンかあったのか???」
「フォルトさんとハルキさんも結婚したの教えてくれなかったし、ミドリさんも結婚してた事黙ってたんです。みんな秘密主義なんだから…」
やや不貞腐れたようなトミタロウを不憫に思い、マツダは彼を慰めた。
「安心しろ、トミー。俺はそんな事はしない。カブトムシと同居できる女性が現れない限りは結婚もしない。」
その言葉を聞いて、トミタロウのマツダを見る目が輝いた。
「…じゃあ、永遠にないって事ですね!よかった…」
そして安堵の息を吐く。
その反応はどうなのだろうか。と、マツダは釈然としない気持ちになり、おずおずと否定する。
「いや…まあ…可能性は限りなく低いが、俺はゼロではないと思っている。」
トミタロウの視線が冷たいモノに戻る。
「そうですか…」
口ではそう言ったが、その目は「何言ってんだコイツ」と言っていた。
草木も睡る丑三つ時。眠らぬ街を抜け、四人はサテライトオフィスへ帰還する。トミタロウとフォルクハルトの冷たい態度に、マツダは「早く家に帰って、アーサーとエリザベスに会いたいな」と思ったのだった。