69 やめてほしい

 久しぶりの出勤で色々と手間取り、フォルクハルトに急かされながら家を出たハルキは、意気揚々とオフィスのドアを開けた。いつもより遅れて着いた事もあり、トミタロウとマツダはすでに出社していて、久しぶりに来たハルキを笑顔で迎え入れてくれた。
「見ろ!新しいサイバネだ!」
 ハルキが、新しいおもちゃを見せびらかすように左腕を掲げると、二人は近寄って来て物珍しそうに彼女のサイバネアームを眺める。
「へー関節部分とか滑らかになりましたね。」
「だろ?」
 ハルキは自慢げに腰に手を当て胸を反らせた。
 フォルクハルトは、既に十分見た後なので今更見る必要もなく、ミーティングテーブルの椅子に腰掛けて、前のシフトのチームからの引き継ぎデータを確認する。特段気にするような情報は無さそうだ。
「ふーん。見た目以外には何か変わったのか?」
 マツダが聞くと、ハルキは「ふふん」と得意げに笑った後、座っているフォルクハルトの横に移動した。
「軽くなったから、フォルクハルトの膝の上に座っても大丈夫なんだ!」
 言って、フォルクハルトの膝の上に座る。
「!なっ…???」
 フォルクハルトの声と同時に、場の空気が固まった。フォルクハルトの膝に彼女の臀部の柔らかさが伝わる。
「ハルキ、その…誘ってるんじゃないなら、やめてほしい」
 フォルクハルトは冷静を装いながら、ハルキにそう伝えた。
「マツダやトミーがいるのに、そんなことするわけないだろ」
 当の本人は、全く何も気にした様子もなくキョトンとしている。
「わかってる。だから、やめてほしい。」
 二人きりだったら欲望に忠実に後ろから抱きしめて首にキスをしていただろう。湧き上がる情動を抑えて膝の上の彼女の重みと柔らかさに耐える。
「うん、それはやめてあげて。見てるこっちもソワソワする。」
 マツダが苦笑いを浮かべてハルキにやんわりと伝えたが、ハルキは不服そうに「えー?座ってるだけなのにか?」などと言っている。
「ハルキさん、なんでそういうところガバガバなんですか…大の大人が人の膝の上に座るのはおかしいでしょう」
 トミタロウは半ば呆れて、膝の上に彼女を乗せて動けずにいるフォルクハルトに侮蔑を含んだ眼差しを向けていた。
「ほら、フォルトがムラムラしちゃうから降りような」
 マツダが子供をあやすように優しく呼びかける。
「ムラムラするのか?」
 ハルキは、やはり理解できずに座ったままポカンとしていた。
「…する。降りろ。あと、絶対に他の男にするなよ。」
 フォルクハルトは下半身からの呼びかけに逆らいながらハルキの背中を軽く押す。
「それはさすがにしない。じゃあ、今度ムラムラさせたい時にやろうっと」
 ハルキは呑気にそう言って、ようやく彼の膝から降りた。フォルクハルトは呆れて「お前なあ…」と言いながら座り直す。
「でも、なんでムラムラするんだ?」
 ハルキの子供のような質問に、再び場が凍りついた。
「何コレ。逆セクハラ?」
 マツダがトミタロウの方へギギギと振り返った。
「三十過ぎてカマトトぶるのやめてください。と、言いたい所ですが、多分天然だと思うので、フォルトさんがその辺の影でこっそり説明してあげてください」
 トミタロウに言われて、フォルクハルトは、「ん…」と渋々頷いてオフィスの端にハルキを手招きする。
「あのな、ハルキ…」
 ぽしょぽしょと小声で説明すると、ハルキは「へぇ」と言って軽蔑した目を彼に向けた。
「なあ、なんでこんな目で見られなきゃいけないんだ?」
「いやらしいこと考えてるからですね。」
 少し離れた場所にいる二人に問いかけると、トミタロウが冷静に応答してきた。
「すごく理不尽だと思う。」
「それはそう」
 眉根を寄せて素直な感想を述べると、マツダは同意してくれた。
「お前らみんな、そんな事考えてるのか」
 話している男三人を、ハルキは侮蔑するように睨みつけた。
「おい、なんか飛び火してンぞ」
「フォルトさん、どんな説明したんですか?」
「俺のせいか?」
 ジトっとした目で見られて、トミタロウは耐えきれずにメンテルームのドアを叩いた。
「ミドリさーん!ミドリさぁーん!!」
「何よ」
 状況を知らないミドリが、怪訝な顔でメンテルームから出てくる。
「男の膝の上に座ったらダメな理由を説明
したら、ハルキさんから全員軽蔑した目で見られるようになったんですけど、どうしたらいいですか?」
「え?ハルキが誰かの膝の上に座ったの?」
 ミドリはギョッとしてハルキを見る。
「フォルクハルトの上に座った」
 ハルキは、至って普通の事のように伝える。ミドリは安堵した。
「ああ…まあ、ミュラーならいいんじゃない?」
「よくないです。職場でムラムラさせないでください。」
 トミタロウは眉を吊り上げて抗議する。
「…ムラムラ…まあ、するか…」
 ミドリは呆れてため息をつく。
「で、何だっけ?」
「理由を説明したら、全員軽蔑した目で見られるようになったんですけど、どうしたらいいですか?」
 トミタロウの質問に、ミドリはその場にいる全員を見渡した。
 怒っているトミタロウ。困り顔のマツダ。不満げに首を傾げるフォルクハルト。その三人を軽蔑した目で睨みつけるハルキ。
「それは、膝に乗られてもムラムラしない人だけが許されるんじゃない?」
 ミドリの答えに、全員がミドリの方を見た。
「ちょっと難易度高くないか?」
 マツダが困り顔のまま言う。
「僕はハルキさんが膝の上に乗ってもムラムラしません。」
 対して、トミタロウはハッキリとそう告げた。
「え…突然の裏切り」
「どう考えてもフォルトさんに殺される恐怖が勝ちます。」
 トミタロウの話にマツダは膝を打った。
「そうか、それで言うと俺もそうだな。というわけで、ムラムラするのはフォルトだけだ。」
「軽蔑するならフォルトさんだけにしてください。」
 マツダとトミタロウはタッグを組んでハルキの説得にかかる。
「…そうか、わかった」
 案外すんなりと納得したハルキに、フォルクハルトが疑義を申し立てる。
「理不尽すぎないか?マツダがそんなに薄情な奴だとは思わなかったぞ。」
「え?俺だけ?」
「トミーが薄情なのは知ってる」
「何とでも言ってください。面倒事は御免です。」
 薄情と言われてふんぞり返っているトミタロウにマツダは「うわぁ…」と声を漏らす。
 フォルクハルトがハルキの方を向く。
「ハルキ、ちょっとマツダの膝に座ってみてくれ。本当にムラムラしないのか確かめたい。」
「待て待て!やめろ!!」
 マツダが慌てて叫ぶ。
「でも、フォルクハルト怒るんだろ?」
 ハルキの問いかけに、フォルクハルトは静かに首を横に振った。
「大丈夫。今回に限り怒らない。」
 マツダは距離を取ろうと部屋の反対側へ退避する。
「やめろって!!セクハラセクハラ!!」
「ほら見ろ、あの動揺っぷりを。絶対にムラムラするだろ。」
 フォルクハルトの指差す先にいるマツダを、ハルキは「ええ…」と言いながら軽蔑した目で見た。
「自分が免れないからって被害者を増やそうとすンな!」
 遠くから抗議するマツダを尻目に、ミドリがニヤニヤし始める。
「チキチキ膝乗りレースでもする?バイタル測ってあげるよ。」
「やめろやめろ!なんなんだこのチーム!」
「ねー、困ったもんですよねー」
 トミタロウは完全に他人事のように間延びした相槌をうつ。
「トミーも参加するのよ」
「嫌です。ハルキさんが他の男の膝に乗るのにフォルトさんが耐えられないに一票。」
 ミドリに言われた事は断って、トミタロウは挙手した。マツダも手を挙げそれに加わる。
「俺もそれにベットする。」
 ミドリは顎に手を当て考えた。
「あー…じゃあ、私が座るか」
「そんなところで体張らないでください…」
 トミタロウが呆れた顔でミドリに冷たい視線を送る。
「……あのさあ」
 それまで黙っていたハルキが口を開いた。視線がハルキに集まる。
「もう、男同士で座りあったらいいんじゃないか?」
 ハルキ以外の全員が首を傾げた。
「いや、それなんの確認なんだよ」
 マツダが怪訝な顔でそう言った。トミタロウは少し考えてから真面目な顔になる。
「体重的にお二方に乗られたら膝砕けそうだから嫌です。」
「そういう問題?!」
 マツダが問いただすが、トミタロウは相手にしない。
「じゃあ、トミーが順番に座ろう」
「だから、それ何の確認なんだよ?!」
 マツダが必死に伝えようとするが、誰も聞いてくれない。
「それならいいですけど」
「俺も異議はない」
 フォルクハルトも同意する。
「なんで、それでいこうみたいになってンの?!」
「じゃあバイタル見るやつ持ってくるね」
「ストップストップ!待て待て待て!もう趣旨がおかしくなってるから!!」
 メンテルームに戻る際、ミドリはマツダにボソッと話しかける。
「………これで丸く収まるから」
「え?」
 程なくして、ミドリがメンバーのバイタルを確認するためにタブレット端末を持ってきて、各人のハンドヘルド端末から受信したデータをグラフ表示する。それをハルキが横から覗き込む。
 トミーは順番にマツダとフォルクハルトに座ったが、特に心拍に変化はなく、ハルキは「そっかー」と言ってこの件は収束した。

 マツダは、備品の整備を始めたハルキを眺めながらフォルクハルトの横に座った。
「なあフォルト。ハルキはもしかしてアホなのか?」
 フォルクハルトは、ソリティアに興じている。
「俺もたまにそれは思う。それもまた可愛くはあるんだが。」
 彼はソリティアの画面から目を離さないまま、フッと優しく笑った。
「へえ…」
 マツダはそれ以上話す事もなく、「こいつ本当にハルキの事大好きだな」と思いながら、暫く彼のソリティアを眺めていた。


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