51 甘い甘えは甘くない

ほのかに照らされた店内で、いくつもの静かに談笑する声がふわりと浮かんでは消えていく。カウンター席でマスターと話す常連客、仕事の疲れを癒しに同僚と飲み交わす人、そして噂のスイーツとカクテルに引き寄せられて初めて訪れた浮かれた新規客。皆それぞれの時間を楽しんでいる。
ハルキとフォルクハルトは4人掛けのテーブル席で向かい合って黙々とスイーツを食べていた。ハルキがこのバーの噂を聞きつけて、仕事終わり夕食を取り、その後スイーツを食べに行こうと二人でやって来たのだ。
どれにするか迷っていたハルキに、フォルクハルトは「とりあえず全部頼めばいいだろう」と6種全てを注文し、テーブルにそれらが並んでいる状態だ。ハルキは、それぞれ少しずつ食べて、残りはフォルクハルトが平らげる算段である。
「それで足りるか?」
不意にフォルクハルトに聞かれて、ハルキは苦笑する。
「十分だ。フォルクハルトは夕食も結構食べたのに、よくそんなに入るな。」
「大した量じゃないだろ」
事もなげに言うフォルクハルトに、ハルキはフッと微笑む。
フォルクハルトの食べている時の幸せそうな顔をうっとりと眺めていると、テーブルに二人組の女性が寄ってきた。
「相席いいですか?」
ゆるくウェイブのかかったセミロングの明るいブラウン髪の女性と、もう一人は艶のあるストレートの黒髪の女性だった。
店内を見渡すと、席はほとんど埋まっていて、先程入ってきた三人客にカウンターを譲ってこちらに移動してきたらしかった。
ハルキはフォルクハルトと顔を見合わせる。
「はあ…どうぞ」
ハルキは了承はしたものの、「フォルクハルト目当てだったら嫌だな」と思っていた。
「私たち、ここ初めてで、スイーツが美味しいって聞いてきたんですけど」
茶髪の女がふんわりとした口調で話しかけてくる。ふんわりとはしているが、こちらに対する勢いのようなものを感じる。
「ああ、私達も同じです」
ハルキは勢いに気圧されながら、愛想笑いを浮かべた。
「スイーツお好きなんですね」
「あ、全部頼んだんですか?!」
テーブルに並んだ6種のスイーツに二人は驚いてみせた。
「ああ…まあ…そうですね」
ハルキはどうしたものかと悩みながらフォルクハルトの様子を伺う。明らかに「面倒だな」という顔をしている。
「お仕事何されてるんですか?」
「アルゴスの駆除を」
ハルキは社給ジャケットの社章を示して答える。
「お二人とも?」
「はい…」
「すごーい!すごい鍛えてるなって思ったんですよー」
「ちょっと触ってもいいですか?」
女性二人にグイグイ来られて、困り果てたハルキはフォルクハルトを見る。フォルクハルトは黙って首を横に振っただけだった。「俺は嫌だ」という事だろう。女性二人を見ると、彼女らはハルキの方を見ていた。
「え?私か?ええと、腕なら」
右腕捲って差し出し、力を入れる。黄色い声をあげる女性二人に上腕を触られながら、ハルキはげんなりしていた。
(フォルクハルト目当てでないとなると、これは男と間違われてるな…)
誤解は早めに解いたほうがいい。
「あの…たぶん勘違いしてるんじゃないかと思うんですが、女です」
それから左手の指輪を見せる。
「あと夫婦です」
フォルクハルトにターゲットがシフトしないようにするための布石だ。
「え!」
案の定、女性二人は目を丸くして固まった。
「ごめんなさい!綺麗な男の人だと思ってました!」
「ご夫婦なんですか?!」
二人はすぐに謝ってくれたが、それはそれでハルキとフォルクハルトに興味を持ったらしく、妙に興奮して身を乗り出してきた。
「同じ職場で?背中を預け合うみたいな?素敵!」
ハルキは「そんな悪い人達でもなさそうだな」と、しばらく会話を楽しんだが、次第にフォルクハルトが心底面倒臭そうな顔になってきたので、スイーツを食べて少し飲んだらすぐ帰る事にした。

女性二人を残して店を後にしたハルキは、ふぅと息を吐いた。
「しかし、フォルクハルト目当てかと思って焦った」
「俺目当て?それはないだろ」
フォルクハルトは、何を馬鹿げた事をと言わんばかりに鼻で笑う。
「えー?背が高くて顔もいいし、いい筋肉ついてるから声かけてくる人とかいるだろ」
フォルクハルトはハルキにそう言われて悪い気はしなかったが、それはハルキの主観に過ぎない。
「一人の時に誰かに声をかけられる事はない」
「そうなのか?」
不思議そうに聞いてくるハルキは、本気で彼がモテるのだと思い込んでいるようだった。
「でかくて愛想が悪いと、むしろ怖がられる。人が話しかけてくるのはハルキといる時だけだ」
アルベルトの例を考えれば愛想が良ければ女性から声が掛かる事もあるのかもしれないが、生憎、愛想は持ち合わせていない。ハルキは「ふーん」と言っただけだった。
「どこ行くんだ?こっちの道の方が近いだろ」
フォルクハルトに呼び止められて、ハルキは立ち止まった。フォルクハルトの指す方にはケバゲバしいネオン看板と、いかがわしい宣伝文句の看板の合間で客引きをする男が道行く人に熱心に声をかけていた。
「え。そっちは…うーん…まあ、フォルクハルトが一緒ならいいか…」
ハルキは気が進まなかったが、フォルクハルトが先に行ってしまったので、仕方なく後についていく。
「お兄さん達よってかない?可愛い子揃ってるよー」
「おっぱい触り放題、ちぎり放題だよー」
ハルキは、いかがわしい店の客引きに苦い顔をしながら足早に通り過ぎようとしたが、とにかく数が多い。
フォルクハルトは客引きを完全に無視してスタスタと歩いていくので、ハルキは慌ててフォルクハルトの腕につかまった。
「どうした?」
急に腕につかまってきたハルキに、フォルクハルトはキョトンとしていた。
「こういう所は客引きが面倒くさいんだ」
「無視すればいい。そもそもハルキに声をかける事はないだろ」
全く状況を見ていないフォルクハルトにハルキはムッとした。
「あるから言ってるんだろ」
「?」
「男だと勘違いして営業かけてくるんだ」
フォルクハルトはむくれ顔のハルキも可愛いなと思う。
「さっきといい、今といい、こういう事は多いのか?」
「男と間違われるのは、割とある。声を聞けば大体気づくんだが。」
「どこをどう見たら男に見間違えるんだろうな」
フォルクハルトはいまいち理解できずにそう言った。
「まあ、胸もないし、この髪型でこれだけ筋肉ついてると仕方ない。化粧もしてないし。」
「男女の見分けは下半身だろ」
「え?」
ハルキの説明にフォルクハルトが返した言葉は、ハルキにとって想定外だった。
「骨盤のかたちと肉の付き方が違う」
「服の上からわかるか?」
「わからないのか?」
不思議そうにしているフォルクハルトにハルキはため息をついた。
「…なんでそんな事だけ詳しいだ…」
「対人戦を考えたら人体の構造を把握しておくに越したことはない」
ハルキはぼやいただけで、特に返答を期待していたわけではなかったが、フォルクハルトの答えに眉根を寄せた。
「その割には、よく私に間接極められてるよな」
「…………怪我を負わせていいなら、今のハルキを制圧する事はできる。戦闘用アームとパワードスーツがあると厳しいが」
「手加減しているという事か?」
ハルキはムッとする。
「当たり前だ。ハルキだって怪我をさせないようにはしてるだろ」
「…まあ、そうか」
フォルクハルトに何の感慨もなく言われてハルキは納得した。
「あまり、その腕を過信するな。片腕だけ成人男性並でも、他は女性の骨格と筋力でしかない」
忠告されて、ハルキは少し不貞腐れる。
「はい…というか、そう思うなら、こういう道は避けてくれ」
「?」
「一人の時は、こういう治安の悪い道は避けてるんだ」
ハルキに憎々し気に言われて、フォルクハルトは目を瞬いた。
「なるほど、それは考えたことがなかった。すまん」
配慮が欠けていた事を反省して、自分の腕につかまったままのハルキを見る。
「それはそうとハルキ」
「なんだ?」
「こういう道じゃなくても、こうやって歩いてもいいんだぞ」
フォルクハルトは少し嬉しそうにそう言った。
「それは、別にいい」
「え」
ハルキに素っ気なく返されて、固まる。
「別に常にひっついていたいわけじゃない。なんだ、普段から腕を組んで歩きたいのか?」
怪訝な顔をされ、自分だけが浮かれていた事に恥ずかしくなる。
「……こういうのもいいなと思っただけだ」
「ふーん…でもカップルみたいに見えるのは…」
今度はフォルクハルトが怪訝な顔になる。
「夫婦なのに、それの何が問題なんだ?」
「いや、だから、私は男によく間違われるから…同性カップルみたいに見えるかな…と」
「何を問題視しているのかわからん。他人からどう見えようとどうでもいいだろう。それとも同性カップルに何か偏見があるのか?」
フォルクハルトに言われて、ハルキは少し考えた。
「………あー、そうか。そう言われると、そういう事になるな…。フォルクハルトが嫌がるかな、と勝手に思っていた」
少し気落ちしたハルキを見下ろしながら、フォルクハルトはハルキが男だったらどうなっていただろうかと考える。
「…俺はたぶん、ハルキが男でも今の関係になっていたと思う」
「え?」
「女性の中からハルキを選んだ訳ではなく、ハルキが女性だったというだけだ」
急にそんな話になると思っていなかったためハルキは困惑した。
「男でも結婚してたのか??」
「制度的に控除や支援が同性、異性で異なる訳ではないからな」
「なるほど…」
理屈としては確かにそうだ。
「………男なら妊娠のリスクはなかったな…」
ポツリと呟いたフォルクハルトの言葉に、ハルキは鼻に皺を寄せた。
「男なら良かったのにみたいな言い方やめろ。アナルは禁止だから挿れる場所がないぞ」
フォルクハルトは言われて初めて気づいたらしく、目を見開いてハルキを見た。
「なんだその、絶望したみたいな顔は」
盲点だったらしい。
「…そもそも私が男だったらミドリとくっついてるから、フォルクハルトが入る余地はないぞ」
フォルクハルトは、突然自分が切り離される話になってあたふたした。
「そ…その話は、カワトも知ってるのか?」
「この話続けるのか?知ってるというか、お互いに、もし異性だったら結婚申し込んでるよなって話はした事がある。」
フォルクハルトは複雑な表情をしながら、なんとか突破口を探す。
「…どこから、そんな話になるんだ?」
「生きてると「男に生まれたかった」と思う事もあるからな。そういう話の流れで」
「男なんて、そんなにいいもんでもないがな」
「こっちから言わせてもらえれば、毎月の生理が無いだけで万々歳だ。内臓が剥がれて血が一週間ぐらい垂れ流しになるんだぞ。人によっては腹痛や頭痛もあるし。」
そういう話をされると、反論しようもない。そういえば姉達もたまに「男はいいよね」などと言っていた事を思い出す。
「じゃあ、たとえば、俺とカワトが溺れていたとして、どっちを助ける?」
「また不毛な話を…私は泳げないから、どちらも助けられん。救急に通報する。」
「なら、何かこう危険な状態になってるとして…」
「ミドリを助ける。フォルクハルトは自分で何とか出来るだろ」
「…」
フォルクハルトは悲しい顔になった。
「ミドリと張り合おうとするな。比べるものじゃない。どちらも大切に思っている。」
「うう…」
「そもそもミドリがいなければ、私はここにいなかったかもしれないんだから、フォルクハルトはむしろミドリに感謝するべきだと思うが?」
「そうなのか…」
そう言われてみるとそんな気もするが、納得いかない。
「そうだ!カワトが男だった場合はどうだ?カワトは頭脳労働だから筋肉は俺の方が」
「言っておくが、ミドリは運動神経もいいからな。フォルクハルトに会う前に口説き落とされていると思うし、ミドリは今よりもフォルクハルトを敵視しただろうな」
完敗だ。ミドリのスペックが高すぎる上に、時期的な優勢を覆せない。
ハルキは、しょんぼりしているフォルクハルトの頭を撫でる。
「だから、ミドリと張り合おうとするな。私をずっと支えてくれた親友だ」
そして優しい声で続ける。
「その親友の反対を押し切ってフォルクハルトと一緒になったんだ。そこをもっと信用してほしい」
「うう…」
歯を食いしばるフォルクハルトに、ハルキは急に冷めた口調に戻る。
「あと、そういうとこ最近ちょっと面倒臭いぞ」
フォルクハルトの心に、冷たい言葉がグサリと刺さる。
「めん…どくさい……ハルキは最近ちょっと俺に冷たくないか?前はあんなに求めてくれていたのに…」
言われてハルキは「うーん…」と困った顔をした。
「もっとこう…甘えてほしい」
フォルクハルトの訴えにハルキは困り顔で考え込む。
「…甘えてほしいなら、落ち着いてどっしり構えててくれ。全力で甘えに来てる奴に甘えるのは難しい」
「…………」
フォルクハルトは返す言葉もなく、ガックリと項垂れた。

おまけ

「て事があったんだって」
ミドリは笑いながら、ハルキから聞いた内容をショウゴに話していた。
「ハルキちゃんが女の子でよかった。男の子だったら、僕らも今の関係になってなかったもんね」
ショウゴもあははと笑う。
「違いない。でもまあ研究仲間としては上手くやれてただろうね」
「それはそう」
二人はしばらく、一緒に笑いあった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?