22 フォルクハルトの回想
初めて会った時、あまりの美しさに目を疑った。この世の物とは思えない、完璧な造形に心を奪われたと言っても過言ではない。所謂「一目惚れ」だったと思う。
ただそれは、一般的に男女の関係で使用される「一目惚れ」ではなく、類稀な機能美と性能を兼ね備えた戦闘機に出会った時のその感覚だった。
洗練されたサイバネアームと襟首から覗く金属質なボディ。そして、そのサイバネに完璧にマッチングした体躯(実際にはカワトがハルキにマッチングさせたサイバネなのだということは、後で知った)。隠すことなく、それを誇りにしている事を伝える凛とした佇まい。理想のサイバネ補完者と言えた。
湧き上がる興奮を抑えつけるのには大変苦労した。
彼女と共に働けることは幸運だと思ったし、日本に渡って来た甲斐もあったと思った。
正直、今も彼女に対する認識は変わっていない。結婚もしたし、身体も合わせたが、特に愛と呼べるような感情が自分の中にある気はしない。多少、彼女が求めるように振る舞ってみたりもしたが、自分には特に変化はなかった。
彼女が、自分にあそこまでの気持ちを向けているとは想像すらしていなかったため、直接対峙した時は流石に狼狽したが、それも「そうなんだな」と受け入れてしまえば、それだけの話だった。
彼女が何故俺に執着しているのかも、よくわからない。きっかけは、彼女を庇って顔に傷ができたあの時だったのだと思う。彼女の態度が変わったので、それはまあ間違いない。
とはいえ、大した傷でもないし、もう少し治療費を出せば傷が残らないように完治する事もできる程度の浅い物だ(ただし、労災適用外である)。傷が残っているのは、治すのが面倒だし特に気にしないので、そこまでの治療をしなかっただけだ。アルベルトとの差分だと思えば、なんなら気に入ってすらいる。
彼女はたまに、その傷を愛おしそうに指でなぞる。何をやっているかと思うが、それで満足するなら好きにさせておけばいい(どさくさに腹を触ってくるのはやめてほい)。
愛や恋などなくても、お互いを尊重して意見の違いに対して落とし所を探る事が出来れば、結婚も共同生活もやっていけるし、それなりの平和な生活は手に入る。嫌になれば離れればいい。嫌な思いをしてまで側にいたがるのは、やはり執着や依存だと思うが、それを乗り越える力はもしかしたら「愛」なのかもしれない。この生活も(確証はないが)彼女の「愛」とやらで続いている部分もあるのだろう。「愛してる」と言うのは容易いが、その奥にあるものについては未だによくわからない。俺としては、わからなくても大した問題ではない。人は、一般的には愛したら愛され返される事を望む。「返せない」と伝えているのに「それでいい、それがいい」と言う彼女については、何となく不憫だなとも思う。俺でなければ、返してくれる相手はいただろうに。
一方で彼女の隣は居心地がいいのもまた事実で、今の生活には満足している。掃除をもう少し丁寧にして欲しい時はあるが、それもまあ許容範囲内である。トータルで生活費も抑えられる。
ただひとつ、隙を見ては腹を触ってきて性行為に持ち込もうとするのだけは、本当にやめて欲しい。行為自体が嫌なわけではないが、こちらにもタイミングというものがある。あと、縛り上げるのは、そのうちやるつもりなんだろうかという不安は今も残っている。(やめてくれと伝えているが、「やらない」とは言ってくれない)