27 執着至極

一仕事終えた三人は、D区画サテライトオフィスにて、ボクシングの試合を見ていた。もうしばらくすると終業時刻だ。
「どっちが優勢?」
ミドリがメンテルームから出てきて、輪の中に入る。
「五分五分」
ハルキが答える。
「それはそうと、このボクサーの筋肉最高だなあ」
「あんた本当に筋肉好きよね」
ハルキの誰に向けたわけでもない独り言に、ミドリが呆れる。
「ハルキ…お前…筋肉ならなんでもいいのか…」
フォルクハルトは試合から目を離してハルキの方を向くとそんな事を言った。やや、ショックを受けているようにも見える。
「フォルトさん、何言ってるんですか?」
トミタロウは呆れ返った様子でフォルクハルトに冷たい視線を送った。
「格闘技系の人の筋肉が一番好きかな」
「ハルキさんも何を言ってるんですか」
「私はフィギュアスケーターぐらいが理想」
「ミドリさんまで何を言ってるんです?」
トミタロウは、とりあえず全員に冷たい視線を送る。
「トミーはどんな筋肉が好きなんだ?」
ハルキは冷たい視線は気にせずに、トミタロウに話を振った。
「いや、好きな筋肉とかないですけど…」
「またまた〜」
「何でそんな全人類が筋肉好きみたいな感じの対応なんですか?」
「トミーはまだ若いからわからないのよ」
ミドリが会話に入ってくる。
「いや、年齢が上がると筋肉好きになるとかないでしょ」
「トミー…女はね、30超えた辺りから筋肉に魅力を感じるようになるのよ」
ミドリは真面目な顔をしてそう言った。
「そんなサンプル数2の話されましても」
「私は20代の頃から筋肉好きだぞ」
ハルキが入ってきて話をややこしくする。
「うん。その情報いらないです」
トミタロウは面倒臭そうにそう言い放った。
フォルクハルトは、何か眉間に皺を寄せて一人で考え込んでるようだった。
そんなくだらない話をしていると、オフィスの入り口が開く音とともに誰かが入ってきた。
「お疲れ様でーす」
四人が入口の方を見ると、男が一人、軽い口調で挨拶してきたところだった。フォルクハルトほどではないが、背は高く、その体躯はやや細身には見えるが鍛えられたものである事は明白だった。
ハルキの見知った顔だ。
「ヤマトじゃないか久しぶりだな。今日からこっちなのか?」
「ハルキちゃん久しぶりー」
ヤマトはニコニコしながらハルキに近寄ってきた。
まだハルキ達の終業時刻までは少し時間がある。次のチームが来るには早すぎる。
「早すぎないか?まだ交代の時間じゃないだろ」
「ハルキちゃんがいるってわかったから早めに来ちゃった」
ニコニコとハルキの傍まできて机に腰掛ける。ハルキは「ふーん?」と不思議そうな顔をしていた。
「ミュラーさんとカワトさんもお久しぶりー」
フォルクハルトは「…ああ」と応えたものの、この男が誰で前にいつ会ったのか皆目思い出せずにいた。ハルキが知っていて、向こうも自分を認識しているのだから、おそらく会った事があるのだろう。
「久しぶりー」
ミドリは、やや冷めた調子で愛想程度に言葉を返した。
それからヤマトはトミタロウの方を向いて「君は初めましてだね。」と言う。
「ヤマト・コリンズです。よろしく。ハルキちゃん達とは、前に同じオフィスで働いてたんだ」
「どうも、初めまして。ワタナベ トミタロウです。」
トミタロウは礼を失せぬようには心掛けたが、なんとなく嫌な感じがしていた。苦手なタイプの人だ。
「ミュラーさん残念だね。男の子入ってハーレムじゃなくなっちゃったじゃん」
ヤマトはニヤニヤしながらフォルクハルトに言った。
トミタロウは自分の直感の正しさを確信し、感じの悪い人だなと改めて思った。フォルクハルトは、あまりの事に呆然としていた。ツッコミどころが多すぎる。そもそもハーレムではないし、そんな風に思った事は一度もない。トミタロウが入ってくれた事はサポートが増えて嬉しい事だし、残念な事など一つもない。そして何より、それを本人達を目の前にして言える神経が理解できなかった。冗談のつもりなのだろうが、何一つ面白くない。
「ハルキちゃん、今度一緒にご飯行こうよ」
ヤマトはそんな事はお構いなしにハルキに絡む。
「ん?ああ、そうだな。みんなで行こう。」
「えー二人がいいなあー」
その瞬間。トミタロウは場に緊張が走ったのを感じ取った。ミドリの眼光が鋭くなり、フォルクハルトは立ち上がった。
「既婚者を誘うな」
フォルクハルトはハルキとヤマトの間に入り、ヤマトを睨みつけた。
「え?!ハルキちゃん結婚したの?!いつ?誰と?」
ヤマトは気にした様子もなく、ハルキと話を続けようとする。
「去年…フォルクハルトと」
ハルキは、おずおずと答えると、様子を伺うようにフォルクハルトの顔をそっと覗き込んだ。静かに怒っているのは間違いない。
ヤマトは、やや興醒めしたように「へぇ」と言ったあと、フォルクハルトを睨み返す。
「でも別にご飯くらいいいでしょ」
まさに一触即発の雰囲気だ。
「ふーん…じゃあ私も入れてもらおっかなあー」
ミドリも参戦する。トミタロウとハルキはお互いに困惑した顔を見合わせた。ちょうど、チャイムが鳴る。
「あ!もう終業時刻ですね!」
トミタロウがわざとらしく大きな声で言う。
「お、そうだな!帰ろうかな。ほら、フォルクハルト、帰るぞ!」
ハルキもわざとらしく言って、フォルクハルトの襟首を引っ掴む。
「お疲れ様!!!」
とにかく急いで帰り支度をして、ハルキはフォルクハルトを連れてオフィスを後にした。

「腹立たしい奴だ」
オフィスを出た瞬間から、フォルクハルトは悪態をついた。
「ヤマトは前からあんな感じだろ」
ハルキはため息をつく。
「俺も会った事があるのか?」
「A地区の頃、しばらく一緒のオフィスで働いてただろ。覚えてないのか?」
ハルキに言われて、フォルクハルトは少し思い出そうと努力してみたが、やはり思い出せなかった。
「まったく記憶にない」
「ええ?!みんなで飲みにも…」
言いかけてハルキは思い出した。
「あの頃お前飲み会全部断ってたから行ってないか…」
「A地区の飲み会は、毎回マズイ飯屋だったからな」
ハルキは苦い顔で今更ながら「呆れた奴だな」と思った。
「…フォルクハルトは利害関係がないと人の顔を覚える気がないもんな、仕方ない。それはともかく、変なところで入ってくるな。あんなの適当に受け流しとけばいいんだ」
「そうか…」
フォルクハルトは納得いっていない様子だったが、とりあえずその話はそれで終わった。

数日後、フォルクハルトは色々考えた末に「結婚指輪を買おう」とハルキに提案した。
「なんだ急に。構わないが私の左手はコレだぞ?」
ハルキが自分のサイバネアームを示す。
「サイバネ補完者向けの店とかないのか?」
「あるけど…あまり興味がないから行った事はない。次の休みにでも行ってみるか。ところで、どうしてそんな事を言い出した?」
フォルクハルトは、自分がこういう話をすると、何故か毎回理由を聞かれる気がするなと思った。そんなにおかしな事を言っているのだろうか。
「既婚者だとわかれば、変に声をかけてくる奴もいないだろ」
「あー、まあ減るが…え?フォルクハルト、誰かに誘われたのか?」
ハルキが血の気の引いた顔で聞いてくる。何故そうなるのかとフォルクハルトは訝しんだ。
「いや…ハルキが…」
「あー、ヤマトのあれか…まあ、うん?」
ハルキはホッとしたあと首を傾げる。
「フォルクハルトが誰かに絡まれて面倒だったからではなく、私が絡まれてるからなのか???」
「そうだと言っている」
ハルキは何か不思議な物を見るような目でフォルクハルトを見た。
「俺は何かおかしな事を言っているだろうか」
「いや…おかしくはないんだが…」
ハルキの頭の中には「らしくない」という言葉が浮かんだが、前回の失敗も踏まえてそれは口にしなかった。
「私が絡まれると、フォルクハルトは何か困るのか?」
ハルキに聞かれて、フォルクハルトは少し考えた。
「何か嫌な感じがする…軽率なヤツはアルベルトに似てるからそれでだと思う」
フォルクハルトの返答を聞いて、ハルキはもしやと思った。しかし、フォルクハルトに限ってそんな事があるのだろうか。
「それは、仮にトミーとだったら気にならなかったのか?」
「トミーは俺が威圧すればやめるだろ」
「いや、そもそもなんでそこで威圧するんだ?」
聞かれてフォルクハルトは返答に窮した。確かに、何故威圧する必要があるのか。トミーとハルキが二人で食事に行ったからといってなんだと言うのか。以前は自分が報告書を書いてる間、先に二人で食事に行っていたではないか。それを気にした事などなかったはずだ。今と何が違う。もし仮に、今、その状況になったらどうする。
「…トミーでも…なんか嫌だな…」
フォルクハルトの答えに、ハルキは確信した。
「何故だ…」
「嫉妬だろ」
未だ理由がわからないフォルクハルトに、ハルキは至って冷静に告げた。フォルクハルトは眉根を寄せて首を傾げる。
「…嫉妬?」
「お前流に言えば、お前は私に執着している」
フォルクハルトは理解できない顔でハルキの言葉を反芻した。
(俺がハルキに執着している?)
言われてみると確かにそうなのかもしれない。むしろ、そうでなければ説明がつかない点が多すぎる。それで、ハルキが他の男といるのが気に食わないわけか。なるほど、最近度々、なにかモヤモヤしていたのはこれか。
ハルキを見ると、どこか満足気な表情でこちらを見ていた。
つまり、今、自分は、嫉妬から、「ハルキが他の男といるのが嫌だ」と、本人に、言ってしまった。ということだ。
フォルクハルトは、ようやくその意味を理解すると恥ずかしさに顔を紅潮させ、ハルキを見ることもできず、顔を逸らして苦々しい顔で口元を覆った。

「え!ハルキさん指輪してる?!!どういう心境の変化ですか?!」
ハルキの左手薬指に指輪がある事に気付いたトミタロウが騒ぐ。
「知りたいか?」
ハルキはニヤリと笑みを浮かべて、ものすごく喋りたそうな雰囲気にあふれていた。
(あ、これ惚気が始まるやつだ)
トミタロウはそれを素早く察知する。
「やっぱりいいです」
「なんでだ!!」
トミタロウにあっさり話を切られて、ハルキは不満顔になったが、それは放っておく。
トミタロウは、雑誌を読んでいるフォルクハルトに静かに近づいて、小声で話しかける。
「で、フォルトさん。どういう心境の変化があったんですか?」
「俺に聞くな」
フォルクハルトは特に表情を変える訳でもなかったが、目を合わせてもくれなかった。
「何見てるんだ?」
ハルキが寄ってきて、雑誌を覗き込む。
「各メーカーの今年の新作サイバネだ」
フォルクハルトの言うように雑誌には様々なサイバネティクスの製品が並んでいた。
「サイバネなら何でもいいのか?」
ハルキが少し不機嫌そうに聞いてくる。
「そんな事はない。とはいえ、最近の動向はチェックしておかないとな」
雑誌から目を離す事なくフォルクハルトは淡々と告げる。ハルキは「ふーん」と言って、後ろから一緒に雑誌を眺めていた。
「ふん…」
一通り雑誌を見た後、フォルクハルトはハルキの体を眺め、それからハルキの目をまっすぐに見る。
「やはりハルキのサイバネが一番綺麗だな。」
爽やかな笑顔を向けられて、ハルキは赤面した。
「他の人がいるところで言うな!恥ずかしい!」
「何がだ?」
ハルキに怒られて、サイバネを褒めただけのフォルクハルトはキョトンとしていた。
トミタロウはうんざりした顔で、武器のチェックに向かい、ミドリは「…アホくさ」と呟いてメンテルームへ退避した。

おまけ そのままがいい

「フォルクハルトは…その…胸のサイズは大きい方が好きか?」
ハルキに聞かれて、フォルクハルトは質問の意味を考えた。自分の胸筋については大きい方がいいのかどうか考えたこともない。おそらくハルキが聞きたいのはそれではない。
「女性のバストサイズの話か?」
「うん…」
ハルキはなんだか不安気な表情をしている。フォルクハルトはハルキのバストを見た。どう見ても平均より小さい事は知っていた。
「なんだ、気にしてるのか?」
「気にしてると言うほどではないが…」
何やらもごもご言っているハルキの事は一旦おいておいて、フォルクハルトはハルキのバストサイズが大きかったらどんな感じになるか想像してみる。
それから現実のハルキを見る。
(今のサイズがサイバネとの調和が取れている。これより大きいとサイバネとのバランスが悪くなるな)
「ハルキは、そのままがいい」
フォルクハルトに言われてハルキの表情は明るくなった。
「そ、そうか!まあ、フォルクハルトがそういうなら…うん」
「?」
何か照れているハルキに、フォルクハルトは首を傾げた。

いいなと思ったら応援しよう!