[6]2320-05-22 //旧世紀AIは曇天に希望を見るか
「そのブロックならオレ達も行くから一緒にどうだ?」
移動手段の情報を探して商店で聞き込みをしていると、大きな荷物を持った男性が話しかけてきた。推定年齢30代前半。すぐそばに男性より一回り年下であろう女性がおり、彼に腕を絡ませていた。
「オレはアキオ、こっちはハル。」
青年が軽く自己紹介をすると、女性はうっそりと微笑んだ。カズキはポカンと口をあけて二人を見ていた。
「カーナだ。カズキと、ピースカイ。」
カーナがこちらの紹介をする。カズキと私は軽く会釈した。顔を上げると、ハルはこちらを見ており、目が合うと彼女は微笑んだ。表情による感情推論。快。友好。
「乗り合いモービル。知らないのか?」
アキオに問われて、カズキが首を横に振ると、彼は「ふうん」と言ってから、乗り合いモービルについて説明してくれた。
ブロックの自治体が管理してる定期便とは別に、個人で所有されている中型や大型のモービルがあり、目的地が同じ人達がお金を出し合ってそれを借りる。単純に言えば、そういうシステムらしい。使えるモービルの数は少ないので、知る者の間だけでひっそりと運用しているそうだ。
アキオとハルは、少し前に乗り合いモービルでこのブロックに来た所で、次はKM-42ブロックへ行くらしい。二人でゆっくり暮らせる場所を探しているとの事だった。
カーナとカズキは、あらかじめ決めていた「二人は従兄弟同士で、どちらも親を亡くしたため親戚の叔母さんのところに行く」という設定で、こちらの事情を説明し今日の夜に出発する便に乗せてもらえる事になった。
カズキは仲の良さそうな二人を見て「サトルとアンズみたいだね」と小さな声で私に言った。その声は、懐かしさの中に少し寂しさがある様だった。応答パターンとしては同意が最適と判断し、「そうだな」と返しはしたものの、アキオとハルの関係性は、もっとビジネスライクな物であろうと分類されていた。
アキオに教えられた時刻に、ブロック入り口の指定場所に着くと、アキオとハルが手を振って乗り合いモービルに招き入れてくれた。
大きな荷物を持ったカーナとカズキ、最後に私が乗り込むとモービルは動きだした。カーナは、首から札を下げた受付要員に賃金を支払う。大きな荷物は荷台に運び、持ち主が分かるようにタグをつける。客は、カーナとカズキ、アキオとハル以外に、男性三人のグループと、中年の夫婦らしい男女がいた。
カーナとカズキと客席に戻ると、アキオとハルが窓のある席から手招きした。客席の明かりは薄暗く、モービルがブロックの外に出ると照度は閾値以下となった。
窓から外を見て、地形をマップにプロットする。
曇天の頂点で薄くなった雲の奥から僅かな月明かりが世界を照らす。赤外線カメラの映し出す彩度のない世界は、昼間と大差なかった。
カーナとカズキは、アキオから乗り合いモービルの使い方やトイレなどの設備の説明を受けている。ハルはこちらを見ている。注視とは異なる盗み見るような視線だ。
「ちょっとトイレ」
「なら、オレも行く。案内するよ。」
カズキが言うとアキオも立ち上がった。私がついていこうとすると、カズキが手で制した。
「ピースカイはここにいて、女の人だけじゃ危ないし。」
「了解した。」
カズキの指示に従い、その場に留まる。
二人の姿が見えなくなると、ハルはカーナに顔を寄せて小さな声で話しかけた。
「あなた女の子でしょう?もうそろそろ隠せる年でもないし、分かるわよ。」
カーナは黙ってハルを睨みつける。
「あの子とは、いい仲なのかしら?」
ハルは口角を上げる。
「下衆な勘ぐりはやめろ。カズキとは、そういう関係じゃない。」
カーナは苛立ちからそう返して、「しまった」という顔をした。ハルはクスクスと笑っている。
「ふうん…じゃあ、私と同じで利用してるだけなのかしら?アンドロイド、便利だものね。」
ハルの言葉にカーナは目を眇める。
「一方的に利用している訳ではない。協力関係だ。」
「親戚の叔母さんっていうのも嘘でしょう?」
「アンタには関係ない」
続いたハルの質問に、カーナはハルから顔を逸らす。ハルは3.8秒カーナを眺めたあと「…そうね」と言った。
カズキとアキオがトイレから帰ってくると、ハルとアキオは仮眠室へ行ってしまった。仮眠室は予約制で、飛び入りで乗車したカズキとカーナの分の空きは無かった。
二人の姿が見えなくなると、カズキはポケットからガラス玉を出して、それを通して窓から空を見上げる。
「何してる?」
カーナが怪訝な顔でカズキに問う。
「こうして見ると青空みたいに見えるんだ。いつか見れるといいなって、少し希望が持てる。」
微笑みを浮かべて空を見ながら話すカズキを、カーナは馬鹿にしたようにハッと笑った。
「お気楽なもんだな。そういうのは取り戻すんだよ。自分達の手で。」
カズキはカーナをチラリと見てから、また空に視線を戻す。
「カーナは強いね。」
音声、表情による感情推論。不明。
「カズキが弱すぎるだけだ。」
カーナは頬杖をついて呆れた顔でカズキを見ていた。
二人は客席で座ったまま眠りについた。
翌日の昼過ぎ、荷物から乾パンと缶詰を取り出して客席に戻ると、カズキとハルが二人で話していた。カーナはトイレに行っているのだろう。
持ってきた食糧をカズキの前に置くと、ハルは「おいしそうね」と微笑んだ。
「食べる?」
カズキが乾パンと氷砂糖をハルに差し出す。
「ありがとう」
ハルは笑顔で受け取り「カズキは優しいのね」と言った。受け取った乾パンと氷砂糖を口に含むと、ハルはカズキに擦り寄った。
「ねえ、一緒に連れて行ってくれない?」
カズキは目を瞬く。
「アキオと二人で住むところを探してるんじゃないの?」
ハルはカズキの言葉に眉を顰める。
「他にあてもないし、仕方なく一緒にいるだけよ。」
音声、表情による感情推論。不快。軽蔑。嫌悪。
カズキは困り顔で少し考え込んだ。
「…でも、叔母さんの都合もあるから、一緒には行けないかな。」
「あの人、酒を飲むと私を殴るの。」
「え?」
唐突なハルの告白にカズキは目を丸くする。音声、表情による感情推論。不快。困惑。
「他にも酷いこと沢山されたわ。」
カズキは困り果てて私の方を見たあと、トイレの方を見た。カーナはまだ戻らない。
「…僕一人では決められない…」
「叔母さんなんて嘘でしょ?従兄弟っていうのも」
ハルに詰め寄られ、カズキの心拍数が上がる。ストレスがかかっている。
「ねぇ、一緒に連れてってよ。」
「カーナと相談しないと…」
「あの子はカズキとアンドロイドを利用してるだけよ。」
ハルの言葉にカズキの表情が曇った。
「カーナは、そんなのじゃないよ。」
音声、表情による感情推論。不快。不審。僅かな嫌悪。
ハルは鼻に皺を寄せ、目を細める。
「もしかして、あの子の事好きなの?」
音声、表情による感情推論。不快。侮蔑。嘲り。
「…そういうのでもないよ。」
「じゃあ何?」
ハルの責めるような言い方に、カズキは気圧されている。2.3秒の沈黙。
「…何って言われると難しいけど…とにかくカーナと相談しないと、僕一人で決めていい事じゃない。」
ハルはカズキを睨みつける。表情による感情推論。不快。憎悪。
「…そう。じゃあ、もういい。」
ハルは言い捨てると別の席に移動し、そのまま戻ってこなかった。
「オレ達で予約してる分だけど、仮眠室使っていいぜ。二日続けて座って寝るのは疲れるだろ。」
夜になり、アキオにそう言われて、カズキとカーナは一度は断ったが「子供に無理をさせる方が気分が悪い。人の好意には甘えとけ。」と言われて、仮眠室で眠る事にした。ベッドは二段ベッドだったので、上の段にカーナ、下の段にカズキが寝ることになった。
体力的に疲れていた事もあり、カズキとカーナはベッドに入るとすぐに眠ってしまった。鍵は閉まっているので、ある程度の安全は確保されている。バッテリー消費量削減のために休眠した方が良いだろう。
休眠に入ろうとした時に、ノックの音がした。
「私。少し話したいんだけど入っていい?」
ハルの声だ。僅かにドアを開けて見ると、ハル一人でアキオはいなかった。
「カーナとカズキは寝ている。」
小声で告げたが、ハルはドアの隙間に体を捩じ込んで仮眠室へ入ってきた。
「あなたと話したいの。」
ハルはそう言って微笑むと、後ろ手にドアの鍵を閉めた。
「二人はぐっすり寝てる?」
ハルが仮眠室の下の段で寝ているカズキを覗き込む。
「かなり疲れていた様だ。深い眠りについている。」
私が答えると、ハルは目を細めて口角を上げた。
「ねえ、私と寝ない?」
「私は、人間のように眠る事はない。ハルがここで寝るのであれば、その横にいる事はできる。」
ハルは眉間に皺を寄せる。表情による感情推論。不快。呆れ。
「そういう事じゃなくて…あなた、とても魅力的なカラダをしているわ」
ハルは私の肩を細い指でなぞる。
「ありがとう。だが、発言の意図が理解できない。」
「機械って察しが悪いのね」
ハルは私の首に腕を回して、微笑んだ。
「性行為をしましょうって言ってるのよ。」
音声、表情による感情推論。快。期待。興奮。
「申し訳ないが、その要望には応えられない。」
「なぜ?」
「理由は3つある。」
三本の指を立てて示すが、ハルは興味がないのか私の目を見つめる。
「まず、私には生殖器およびそれを模した機構がない。」
指をひとつ折る。
「そんなものなくても、やりようはあるわ。」
「次に、私はそういった用途で造られていない。」
指をもうひとつ折る。
「同じ事よ。やりようはあるわ。私の言った通りにしてくれればいい。」
「最後に、オーナーに承認が必要な案件だ。」
最後の指を折り、手を下ろす。
「あんな子供にそんな事聞いたら、泡を吹いて気絶しちゃうわね。」
ハルはそう言って鼻で笑った。
ノックの音。
「何してる」
アキオの声だ。ハルはドアの方を一瞬だけ見て私の首に回していた腕を放した。
「なんでもないわ」
アキオに返事を返すが、視線はこちらを向いたままだ。瞳が揺らいでいる。
「機械って…つまらないのね」
音声、表情による感情推論。不快。憎悪。僅かな恐怖?
ハルはそう言うと、鍵を開けて仮眠室を出ていった。鍵を閉め直し、カーナとカズキの状態を確認する。深い眠りについたままだ。
私はバッテリー残量を保持するため、休眠に入った。
ドアを強く叩く音で、通常モードに切り替わる。
「おい、そろそろ降りてくれ!」
カーナとカズキも声に叩き起こされ、慌てて仮眠室を出る。ブロックに到着したらしく、モービルは止まっていた。
荷台へ行くと、荷物はひとつも残っていなかった。カーナとカズキの荷物もない。
「あれ?僕たちの荷物は?」
カズキが言うと、受付の男は怪訝な顔をした。
「アンタらの荷物なら一緒にいた二人が先に運んで行ったよ。ギリギリまで寝かせてやってくれと言われたから、そうしたんだが。」
「クッソ!やられた!」
カーナが悪態をつく。
「え?アンタらの連れじゃ無かったのかい?」
受付の男が目を丸くして聞いてきたが、カーナはそれには答えずにモービルを飛び出した。カズキと後を追う。
カーナを追ってブロック内に入り周囲を見渡す。KM-42ブロックは、カズキがいたブロックと似ており、建物は災害用の簡易住宅の様だった。高い建物もない。
「アイツらどこ行きやがった!」
カーナは憤怒の形相で辺りを見回した後、腹部を押さえて顔を顰めた。額にうっすらと汗が滲んでいる。それに気づいたカズキがカーナに駆け寄る。
「大丈夫?調子悪そうだけど。」
カーナはカズキの手を振り払った。
「何でもない!」
音声、表情による感情推論。不快。苦痛。怒り。焦り。
心拍と呼吸数もあがっている。痛みがあるのなら、おおよそ大丈夫と言える状態ではない。
「この広さなら私の聴覚で、ある程度の範囲の音を拾える。アキオとハルの声を探してみる。カズキは座れる場所を探してくれ。カーナを休ませるべきだ。」
「わかった」
カズキは頷くと走って周囲を確認しにいった。私はカーナのそばに立ち、彼女を支えながらアキオとハルの声を探す。
間も無くカズキが戻って来て、カーナをベンチに座らせる事ができた。
しばらく音声解析を続ける。
「昨日は大変だったよ」「…れじゃあ話にならん」「ねえママ!」「人参と交換で…」「…用の防護服が二つ。どうだ?」
アキオの声だ。声の発生位置を割り出す。
「アキオの位置がわかった。」
カーナが立ち上がる。
「カーナはここで休んでて!」
カズキが言ったが、カーナは聞かなかった。
「ワタシも行く」
ここで揉めていてはアキオを見失うかもしれない。荷物には食糧も入っている。失うのは二人にとって死活問題だ。
「こっちだ」
私の誘導にカズキとカーナがついてくる。アキオの声は同じ位置から発生し続けている。留まって誰かと話しているようだ。内容からすると、おそらく取引。カーナとカズキの荷を売ろうとしている。
三つ目の角を左に曲がった所で、アキオとハルは商店の店主と話していた。
「返せ!」
アキオが視界に入ったタイミングで、カーナは叫んだ。アキオとハルがこちらを見る。
「何の事だ?オレ達はあんたらの事なんか知らない。言いがかりはよしてくれ。」
「そうよ。何か証拠でもあるの?」
二人は真剣な顔でそう言った。心拍にも大きな変化はない。手慣れている。
「おい、盗品なら買取らないぞ。」
店主が不快感を露わにする。
「証拠なら私の中にある。記録をこの場で再生する事も可能だ。」
私の言葉にアキオが反応した。こちらを睨みつけてくる。
「デタラメ言ってんじゃねえぞ!」
アキオが叫びながら襲いかかってきた。
オーナーの安全確保のため正当防衛。実力行使レベル:「対象の拘束」までロック解除。
殴りかかってきた対象を受け流し後方の腕を掴んで締め上げる。対象が叫び声を上げた。音声による感情推論。不快。苦痛。
「やめて!」
ハルが悲鳴をあげた。対象の抵抗が少なくなったため、腕を少し緩める。
「わかった!返す!返すよ!」
アキオの言葉にカズキは安堵の表情を浮かべる。
「カズキ、どうする?」
私の質問に、カズキは一度驚いた顔をしたが、すぐに「放してあげて」と言った。指示に従い、アキオを解放する。
ハルはアキオに駆け寄って「大丈夫?」と声を掛けたあと、こちらを睨みつけた。
「親の金で呑気に生活してきただけのマヌケなガキが!騙される方が悪いんだよ!!」
音声、表情による感情推論。不快。憎悪。嫌悪。僅かな恐怖。
「やめろハル。行くぞ」
アキオに言われ、ハルは黙った。ハルは、アキオの腕をさすりながら、しきりに「大丈夫?」「本当に大丈夫?」と心配そうにして、去っていった。
二人の姿が見えなくなると、カズキとカーナは荷物の所に行き、中身を確認し始めた。食糧が若干減ってはいたが、他はなくなったものはなかったらしく、二人は安堵の息を漏らした。
「…ビッグデータを探して、文明を取り戻すのは正しい事なのかな?」
カズキはアキオとハルが去っていった方向を見てそう言った。
「人は騙すし、結局今の世界になったのは文明のせいじゃないの?」
カズキが眉根を寄せてカーナに問う。カーナは頭を横に振った。
「違う。文明のせいじゃない。問題なのは…人の弱さだ」
「だから、人が文明を持つのは危険なんじゃないの?」
カズキの問いに、カーナはやはり首を横に振る。
「違う…父は間違ってなどいない。」
拳を握りしめたあと、苦痛に顔を歪める。
カーナは両手で腹部を押さえて、やがてその場にうずくまった。カズキが慌てて駆け寄る。
「カーナ!大丈夫?!痛いの?ねえ!」
私もカーナのそばにしゃがんで状態を確認する。脂汗をかいている。呼吸が速く浅い。
「どうしたの?!大丈夫かい?!」
近くを歩いていた中年の女性が駆け寄って声をかけてきた。
「あんた、この子の保護者かい?」
女性は言いながら私の顔を見て左顔面の製造コードに気づき、目を丸くする。
「アンドロイドかい。この子の家は?」
「家は別のブロックだ。このブロックにはない。」
私の答えを聞いて彼女はすぐに立ち上がった。
「私の家に運びな。ついておいで。」
カズキを見ると彼は黙って頷いた。カズキが自分の荷物を背負って女性の後に続く。私はカーナの荷物を背負い、カーナを抱き上げて、女性の後を追った。