56 すれ違い注意

目が覚めて体を起こし、首と肩を回す。
軽く伸びをして部屋を見渡した時に違和感があった。ハルキがいない。寝ぼけた頭でぼんやりと記憶を辿る。
「……そうだった」
今日からしばらくシフトが違うのだ。
一つ前のシフトのチームで欠員が出たため、その代わりに一時的にハルキが入る事になった。D地区主任カイバラのチームだ。元々一人が家庭都合で長期休業中で、その上もう一人が入院が必要な怪我をしてしまったらしい。サポートのサイキックとカイバラだけでは回せないと、前衛もこなせるハルキが行く事になった。
正直嫌だったが、業務命令では仕方がない。実際、自分のチームは自分とトミーで回せる。
ハルキがいないと心底やる気もないのだが、仕事は仕事なので、これも仕方がない。
着替えて顔を洗い、適当に朝食(時刻は夕方だが)を摂る。歯を磨きながら「時間にはだいぶ余裕があるな」と思う。
いっそ早めに出てハルキの顔だけでも見ておこう。

フォルクハルトはオフィスに着くまでの間に、なんとなくカイバラのチームメンバーについて思い出していた。
怪我をしたのが確か同期で、ハルキとそこそこ仲が良い、口数の多い男だ。休業しているのが静かな男だったはずで、サイキックは騒がしい女だった。カイバラは入社当時ハルキのOJTリーダーで、一回り上だったと思う。ハルキが懐いている男だ。落ち着いた雰囲気で上司として頼れる人間だし、人望もある。別に悪い印象はないのだが、だからこそ尚のこと心配ではあった。既婚者に手を出すような下衆ではないので、実際には心配する必要はないのだが。
「あれぇ?ミュラーさん、どしたの?早くない?」
オフィスに着くと騒がしい女に声をかけられた。
「ん…いや…その…」
ハルキに会いに来たと言うのは、なんとなく憚られて口籠る。
「何かあったか?」
ハルキも不思議そうに聞いてくる。お前は察しろと思ったが、そんな事に気づくタイプでもないので仕方がない。
「いや…別に…その、早く起きたから…」
ハルキは「ふーん」と言っただけだったが、騒がしい女の方が何か閃いたらしくポンと手を打った。
「わかったぁ!ハルキさんに会いに来たんだぁ!意外と寂しがりやさん?」
女は口元を両手で隠してくぷぷと笑う。馬鹿にしたような喋り方に腹が立ったので睨みつけるが、女は気にした様子はなかった。
「ミュラー、久しぶりだな。悪いなヤマガミ借りて。そっちは二人で大丈夫そうか?」
カイバラに話しかけてられたので、騒がしい女のことは無視する事にした。
「はい…問題ありません」
「えぇ?寂しいんでしょ?」
「やめろローズ」
カイバラに嗜められ、女は「はーい」と言ってようやく黙った。
終業のチャイムが鳴る。
(俺にとっては始業だ)
騒がしい女はすぐに帰り支度を始め、小さな鞄を持つとハルキに擦り寄った。
「ハルキさん、ご飯一緒に食べて帰りましょーよ」
「ああ」
ハルキから合意を得ると、今度はカイバラにすり寄る。
「カイバラさん奢ってぇ」
「仕方ないな。ヤマガミがいる間だけだぞ」
「やったぁ!ゴチでぇす!」
カイバラはため息をつく。
「いいんですか?」
ハルキが少し心配そうに聞くと、カイバラは優しく微笑んだ。
「かわいい後輩のためだ。たまにはな」
「カイバラさん、ハルキさんには優しいよねぇ。好きなんじゃないのぉ?」
騒がしい女は不穏な事を言う。
「大人を揶揄うな」
カイバラが、さっきよりも深いため息をついたが、騒がしい女が気にした気配はなかった。
「じゃ、お先でぇす!」
「お先」
騒がしい女とカイバラに言われて「お疲れ様です」とだけ返す。
「じゃあな、フォルクハルト」
ハルキにも軽い感じで言われて、少しだけ胸が痛い。
「ハルキさん、何がいいですぅ?」
騒がしい女はハルキに腕を絡めてオフィスから出ていく。カイバラが、最後にこちらを一瞥して、それから黙って出ていった。

「ミュラーは…あんな顔するんだな」
オフィスを出ると、カイバラが動揺した様子でそう言った。
「え?」
ハルキが聞き返すと、カイバラは動揺した顔のまま続けた。
「すごく寂しそうな顔してたぞ」
「ですよねぇ、捨てられた子犬みたいな顔してた。ウケる!」
ローズはケタケタと笑う。
「え…」
ハルキは振り返らなかったので見ていない。そんな顔をしていたとは思わなかった。
「帰ったら優しくしてやれよ」
カイバラに言われて「はあ…」と返す。
「…仕事ばかりしてすれ違ってると、修復不可能な溝ができるぞ」
「さすが!バツイチが言うと重みが違う!」
心配しているカイバラにローズが余計な事を言う。カイバラは、額に手を当てて下を向き、またため息をつく。
「…ちょっと黙れ」
「はぁい。あ、ワタナベ元気してます?」
ローズは話題を変える事にしたらしい。
「ん?トミーか?うん、元気だぞ。そうか、同期だったな」
「同期のサイキックだからねぇ。なんか面白い事とかあります?」
「面白い事かあ…」
ハルキはローズの相手をしながら、少しだけフォルクハルトの事を考えたが、別にまあ大丈夫だろうと思い、その後は特にフォルクハルトの事は思い出さなかった。

◆◇◆◇

フォルクハルトが家に帰ると、ハルキは眠っていた。
明日の事もあるので仕方がないのはわかっているが、フォルクハルトは少し寂しかった。かといって明日も今日のように早く行くのは、また騒がしい女に色々言われそうで嫌だった。
しかしそうなると、起きて会える時間がほぼない。まさか、今からハルキを起こすわけにもいかない。
少しだけハルキの寝顔を見て、それから食事を摂る。シャワーを浴びながらもどうしたものかと考える。たかだか数日の話だというのに、時間の経過が遅すぎる。今日の仕事も本当に怠かったし、トミーには嫌な顔をされた。
色々考えた末、フォルクハルトは「出る時起こしてくれ。少しぐらい起きて顔を合わせたい」とハルキの端末にメッセージを送った。

「おーい、もう行くぞ?」
ハルキが声をかけると、フォルクハルトは薄く目を開けた。寝ぼけた頭で両手をハルキの方に伸ばしてくる。
ハルキが顔を近づけると彼は「ん」とキスをせがんできたので、軽いキスのつもりで唇を重ねる。
「?!」
急に抱きしめられて、口の中に彼の舌を押し込まれる。慌てて離れようとしたが、強い力でベッドに引き摺り込まれた。
ハルキはなんとか口を引き剥がして叫んだ。
「ステイ!フォルクハルト、ステイ!」
フォルクハルトはピタリと止まると「わん」と言っておとなしくなった。彼自身、こんな事をする為に起こして欲しかった訳ではなかったのだが、いざ目の前にすると衝動的に動いてしまったのだった。
ハルキはベッドからは抜け出せたものの、心臓がまだバクバクいっていた。
フォルクハルトの手がベッドからおずおずと伸びてきてハルキの腕を掴む。ハルキは一瞬ビクリとしたが、その手に力は入っていなかった。
「足りない…」
彼は力ない声で呟く。
「行かないでほしい」
ベッドの中から悲しげな顔で哀願され、ハルキは少しだけ罪悪感を覚えた。とはいえ、そろそろ出ないと遅刻だ。
「あと3日だから…」
「ううう…」
フォルクハルトは布団に顔を埋めて、呻きながら手を離した。

◆◇◆◇

フォルクハルトは、昨日と同じくやる気のかけらもない様子で、半分溶けたように椅子に座っていた。とりあえず仕事に支障はないが、同じ空間にいるのは憂鬱ではあった。
トミーはため息をつく。
「まあ、いつもずっと一緒にいるんですから、たまにはいいんじゃないですか?」
「何がいいんだ?!」
気分を変えてもらおうと言った言葉は完全に逆効果だった。
「そんなベッタリだと、ハルキさんもしんどいと思いますけど」
「そ…そうだろうか」
急に自信をなくして、寂しそうな表情になる。
「あと3日でしょ?」
「3日もある」
沈んだ顔で力なく呟く姿は、銃を持っている時の勇ましい姿からは想像もできない。
「どう考えても重いんですよ。依存しすぎです。」
「う…」
「ハルキさんいなくなったら死にそうな勢いじゃないですか」
沈んだ顔は絶望に変わる。
「いなくなったら…………生きていけない」
「だからそれが重すぎるって言ってるんですよ。なんで、そんなになっちゃったんですか」
「…………わからん」
別に理由が知りたかったわけではないので、この話はこれで終わりだな。と思い、深いため息をつく。
「ところでさっきからお前の端末にやたら着信が来てるようだが、確認しなくていいのか?」
不意にフォルクハルトに言われて、トミーは端末の通知を見た。
「ああ、これ、なんか同期がバカみたいに送ってきてるだけだから無視でいいんですよ」
「そうか…」
「ホント、なんでハラはさっきからハルキさんの写真ばっかり送ってくるだか…」
誰にともなくぼやいた言葉に、フォルクハルトは真面目な顔で眉間に皺を寄せた。
「どういう事だ?」
「カイバラさんとこのローズってミニスカのヤツいるでしょ?本名ハラなんですけど、あいつ同期なんですよ。」
説明すると、フォルクハルトが身を乗り出してきた。
「ちょっと見せろ」
「え?ああ…まあ、構いませんが」
よっぽどハルキさんに飢えてるんだな。と思い、ハラが送ってきた写真を見せる。
ハラが自撮りで撮ったらしいハルキとのツーショット、一緒にご飯を食べているようだ。カイバラの姿がところどころ見切れている。
「あいつ、ハルキさんのこと大好きなんですよね」
次々見せながら、なんとはなしに思い出した事を口走ると、フォルクハルトは目を見開いてこちらを見た。
「あ、別に恋愛的なアレではなくて、すごく尊敬してるというか、憧れてるんですよ。」
不味いことを言ってしまったと、取り繕ったがもう遅かった。
「嘘だ!これなんか頬を着けてるじゃないか!くっ…」
「女性同士だと、そういう事もあるでしょ」
「違う!こんなの絶対ワザとだ!俺に見せつけようとして…くそっ!」
(本当に面倒くさいな。この人)
フォルクハルトに送った訳ではないので、別にそんな事もないと思うが、何を言っても無駄そうなので、適当に合わせる事にする。
「あー…ハラならやりそうではありますね」
突然、フォルクハルトは席を立った。
「ちょっといってくる」
「ダメに決まってるでしょ。こっちは勤務時間ですよ。ハルキさんに怒られたいんですか?」
トミーに冷たく言われて、フォルクハルトはオフィスの出口に向かいかけた足を止め肩を落とす。
「…………怒られたい」
「それは、思ってても言わないで下さい」
これはだいぶ重症だ。一人で何とかできる気がしない。
「ミドリさぁーん!」
メンテルームに声をかけたが返事がない。そういえば、勤務時間がハルキと同じ時間になっているのだった。一人でこのしょぼしょぼになっているデカい男をなんとかしなければならないらしい。とにかく、腕を掴んで引っ張り戻し椅子に座らせる。それから、ハルキに「フォルトさんが重症です。そっちに行く、怒られたいと言っています」とメッセージを送った。これでハルキが何とかするだろう。
少ししてハルキからフォルクハルトに通話着信があった。
「ハルキ?!」
フォルクハルトは慌てふためきながら通話に出る。
「ど、どうした???」
「今日はフォルクハルトが帰って来たとき起きてるようにするから、ちゃんと仕事しろ」
呆れ返ったような声だが、その奥には優しさが見える。
「え…あ…うん。わかった…」
「それだけだ。じゃあな」
「あ…」
ハルキはそれだけ言って通話を切った。
フォルクハルトは通話が切れた時は寂しそうな顔をしていたが、少しだけ落ち着きを取り戻したようだった。

◆◇◆◇

終業と同時にオフィスを出て、最速で家に帰ると、ハルキは少し驚いたあと、笑顔で出迎えてくれた。
「おかえり。走って帰ってきたのか?」
「寝なくて大丈夫か?」
息を切らせながら玄関で靴を脱ぎ捨てる。
「さっきまで寝てたし、この後たま寝る」
そう言ってハルキはあくびをした。
「その…すまない」
少し気まずくなって、抱きしめたい気持ちを抑える。
「こういう時は「ありがとう」な」
「あ…ありがとう…」
ハルキは満足げに頷くと「飯は?」と聞いてきた。
「適当にあるものを食べるが…ハルキといたい」
ハルキはキョトンとした後に、優しく微笑んで「うん」と頷いた。もう気持ちを抑えきれなくなって強く抱きしめる。
ハルキだ。
金属質なサイバネと柔らかな生体。シャンプーのいい匂いがして、彼女の頭に頬を擦り付ける。弾力のある髪質。走ったせいで上がっていた心拍とは別の興奮が体中を駆け巡る。
頭、額、鼻先、頬、首、肩、腕、とにかく彼女の体にキスをする。
「怒られたいって?」
彼女のに聞かれて、一度手を止める。
「トミーか…あれは、会えるなら怒られてもいいというか…何でもいいから関わりを持ちたいというか…」
ハルキはクスクスと笑った。
「そうだと思った」
手の甲にキスをした後、口づけを交わす。
この先に進みたいと思ったが、明日のこともある。彼女を寝かせなければならないと思い、体を離した。
「あと少しだから」
「うん」
彼女に言われて素直に頷く。
「終わったら二人でゆっくりしよう」
「うん」
その時は、ゆっくり、じっくり、お互いを感じ合おう。隅々まで。奥の奥まで。



トミーとローズ

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