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[9]2320-06-28 //旧世紀AIは曇天に希望を見るか

 七日後、約束通り小型モービルを持って行商人がやってきた。支払いを済ませて、使い方や注意事項を説明してもらい、カーナとカズキは出発した。ミシンに「いってきます」と言うと、彼女は「必ず帰ってくるんだよ」と笑顔で送り出してくれた。
 モービルの運転は私がする事になった。ほとんど自動運転だが、それが一番安全だろう。カーナとカズキは小さな荷台に荷物と一緒に乗っていた。
 カーナが、手のひらに収まる程度のカプセルを荷物から取り出し、カズキに見せる。
「これは父に渡された護身用のチャフだ。アンドロイドを含むロボットの共通の根幹に作用し、強制停止信号を送る。」
 カズキは首を傾げた。
「どういうこと?」
「つまり、これを浴びたロボットは即座に停止する。」
 カズキは、黙って頷く。
「いくつかある。ルウォーの事もあるから、一つ渡しておく。使い方は簡単だ。投げつければいい。ピースカイも停止するから、使う時は気をつけろよ。」
「わかった」
 カズキは渡されたカプセルをポケットに入れた。
 もともと暗い空がなおのこと暗くなり、雨が降り始めた。カーナとカズキは窓から外を見た。
 灰色の雨が同じ色の砂を濡らす。重くなった濃い灰色の砂の上を移動する車内は、淡い暖色の薄明かりで照らされていた。閾値の前後を行ったり来たりする照度に赤外線カメラと通常カメラが頻繁に切り替わる。
 カーナは暫く外を眺めてから、思い出したようにポツリと呟いた。
「ピースカイはビッグデータを探してるって言ってたが、カズキは逃げて来ただけだろ。」
 同じように外を見ていたカズキは、カーナの方を向いた。
「逃げるのが悪いとは言わない。そうするしかない時もある…」
 カーナは外を見たまま話を続ける。
「でも、カズキの問題は、何処かで一度向き合わなければならない話だと思う。」
 カズキは何も言わずにカーナと同じ方向に目を向ける。灰色の雨が降る、灰色の世界。
「ビッグデータを見つけたら、一度兄さんのところに帰ってみたらどうだ?一人が不安なら、ついて行ってやってもいい。」
 カーナの言葉に、カズキは面食らった顔をした後、少し笑った。
「珍しく優しいね。」
「別に…」
 カーナはそこまで言って、その先の言葉を見失ったのか口をつぐんだ。
「考えとくよ」
 カズキは、そう応えて外を見たまま目を細めた。

 目的地に着くと、二人は防護服を着てモービルから降りた。座標位置は合っている筈だが、入り口らしいものが見当たらない。誰も出入りしていないなら、砂に埋もれている可能性もある。
 濡れた砂の中に、質感の異なる突起があった。カーナとカズキを呼んで、周囲の砂を払う。
 砂の中から現れたのはハッチのようだが、どうやって開けるのかが分からなかった。軽く叩いてみたが鈍い音がするだけで、何の反応もない。封鎖されたまま、中には誰もいないのだろうか。それとも、中にいた人達はもう死んでしまったのだろうか。
 もう少し周辺の砂を払うと、格納式のレバーが現れた。引いてひねると、パカリと開いてカードリーダーとボタンが現れた。
「なんだろう」
 カズキが覗き込む。
「認証用のカードリーダーだろう。」
 私が予想を伝えると、カーナも覗き込んできた。
「じゃあ、ボタンはインターホンか?」
 それから二人は顔を見合わせる。
「押してみるしかないな」
 カーナの意見にカズキが頷くと、カーナは躊躇せずにボタンを押した。
 ブザーが鳴り、間も無くザラついた男性の声が聞こえた。
「どちら様?」
 カーナとカズキが歓喜の声を上げる。
「おーい。誰だい?」
 もう一度尋ねられて、カーナは慌てて答えた。
「カーナ・マエカワ。トーラム・マエカワの子です。あと、カズキとアンドロイドのピースカイ。」
「…マエカワ博士の?博士は一緒じゃないのか?」
 男の問いに、カーナは声のトーンを落とした。
「父は…トーラム・マエカワは一年前に他界しました。」
 男は少しの間考え込んだのか黙ってしまった。
「私はサタケ・カズキが製造したアンドロイド、Perfect Physical Performance XD 2310
KAI だ。ここにビッグデータがあると聞いて来た。入れてもらえないか?」
「サタケ博士もいるのか?!」
 言い終える前に男が声を重ねてくる。声が喜色ばんだ。音声による感情推論。快。期待。
「私が起動した時、サタケ・カズキは既に死んでいた。」
「…そうか」
 私の回答にすぐに落胆した声になる。男は「うーん」と声に出したあと、「わかった」と言った。
「ハッチを開ける。少し待ってくれ。」
 ザラついた音声は、そこで終わった。
 一分後、ゆっくりとハッチが開いた。地下へ続く階段がライトで照らされる。下がどうなっているかはわからない。私が先頭に立ち、カーナとカズキが後に続く。
 階段を降りると、ハッチは閉じた。次の部屋のドアが開き、頭上から先ほどの男の声がする。
「すまない。あまりにも久しぶりだから手間取った。その部屋に入ってくれ。洗浄する。」
 部屋に入ると間も無く洗浄が始まり、終わると次の部屋へのドアが開く。
「この先は防護服無しで大丈夫だ。」
 また男の声が天井から聞こえる。言われるまま部屋に入り、ドアが閉まったのを確認してカーナとカズキは防護服を脱いだ。その先のドアが開く。
「お疲れ様。自分はその先の部屋にいる。」
 私が部屋に入ると、男の肉声をマイクが拾った。
「やあ」
 手を上げて出迎えたのは、白髪混じりの無精髭を生やした作業服姿の男性だった。頭髪は白髪の方が多いぐらいで、六十代と推定される。
「人と会うのは何年振りかな…久しぶり過ぎてマナーも忘れてしまったよ。失礼があったらすまないが、許して欲しい。」
「十年と十日ぶりダヨ」
 男性が言い終わると同時に、男性の足元にいた黄色の小型工業用ロボットが捕捉した。高さは1メートルほどで、足元はキャタピラだ。
「そんなに経ったか?…すっかり時間の感覚が狂っちまったな。」
「エンジニアはいつもそうダネ」
 同様のライムグリーンの小型ロボットが男性を見上げて言う。
「まあ、そういうな。」
 男性は気さくに笑ってから、自己紹介をした。
「自分はエンジニア。名前はいらない、エンジニアで充分だ。ここのサーバ群の保守をしている。それから、黄色いのがピッチで黄緑のがチャップ。施設のメンテナンスロボットで、数少ない話し相手だ。ここにいるのは、この三人だけ。君達は…」
 エンジニアは言いかけて、少し申し訳なさそうに苦笑いした。
「あー…すまないがもう一度自己紹介してもらえるかな?」
「カーナ・マエカワとカズキとピースカイ、ダヨ」
 ピッチが言うと、エンジニアは眉根を寄せた。
「入口のカメラが壊れてるから、顔がわからない」
「声をきけば、わかルネ」
 チャップが言う。
「お前らはな…」
 エンジニアは少し不機嫌な顔になった。
 カズキが思わず笑ってしまい、カーナもつられて笑う。二人が笑ったのを見てエンジニアも豪快に笑った。
 カーナが改めて自己紹介をする。
「ワタシはカーナ・マエカワ。トーラム・マエカワの子です。」
 カズキもそれに続く。
「僕はカズキ。こっちはピースカイ。」
 エンジニアは、カズキの紹介に目を瞬いた。
「ピースカイ…ピース、スカイ…平和な空か?」
 カズキはキョトンとする。
P3ピースリー …なんとか改だからピースカイだよ。」
P3XDピースリーエックスディー 2310 改だ。」
 カズキの答えを補足すると、エンジニアは「ほう」と感心したようだった。
P3XDピースリーエックスディー という事は、旧世紀のAIだな。そうか、それならビッグデータなしでも稼働できる。」
 エンジニアはひとりでそう呟いてからニヤリとした。
「旧世紀AIは曇天に希望を見るか。なんてな…」
 そう言って笑った後に、黙っているカーナとカズキを見て、彼は苦笑いした。
「まあ、知るわけないか。はるか昔19せんきゅうひゃく…何年だったかな?20世紀に「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」という小説があってね。」
「知るワケないヨネ」
 チャップが言と、エンジニアは少し嫌な顔をしたが、すぐに話を続けた。
「それによるとアンドロイドと人間の違いは共感力があるかどうからしい。」
 話が本筋から逸れたアラートが検知されたが、内容に興味があったため、その話に乗ることを選択する。
「共感力とは?」
 私がエンジニアに質問すると、彼は顎に手をあて楽しそうに答えた。
「ふむ…他の人や動物が傷つけられるのを見ると、自分が傷つけられたような嫌な気持ちになったり、誰かが喜んでいるのを知った時に自分の事のように喜んだりすることかな。」
「それにはどんな意味があるのだろうか?」
 続いた私の問いに、エンジニアは「ふふふ」と笑う。
「生物の進化に論理立てた意味なんてないさ。たまたま、そういう性質の人間が生き残っただけだ。」
 カーナとカズキはポカンとして話を聞いていた。エンジニアは話を続ける。
「でもまあ、集団で協力して生きていくには重要な心の動きなのかもしれないね。」
 課題タグの項目が類似性を示す。
「それは心に寄り添う。心の傍にいるという事だろうか。」
「どうだろう…近いものだとは思うが…」
 エンジニアは眉根を寄せる。
「もしそうであるなら、私には不可能な事だ。私自身には人間のような感情は存在しない。表情や動作を模すことしかできない。」
 エンジニアは「そうだな」と頷く。私は話を続けた。
「しかし、過去に「寄り添ってくれてありがとう」と言われた。彼らは誤認していたということだろうか。」
 エンジニアは興味深そうに、私の顔を見つめたあとに、少し考えてこう言った。
「自分ごととして同じように感じなくても、ただ、その人がそう感じている事を受け止めて傍にいる事も寄り添うという事だと思うよ。」
 エンジニアの説明は当を得ているように思えた。
「その解釈であれば、正しい。私は事象から感情を推論し、そのように受け止める。推論が正しいかは不明だが。」
 エンジニアは笑った。
「まあ、共感だって本当にその人と同じ気持ちになる訳じゃないさ。どこまでいっても別の個体だ。完全に一致する事はないし、なんなら全然見当違いな気持ちで共感した気になってるだけかもしれない。」
 エンジニアは、また少し考えて、それから私に微笑みかけた。
「それを考えると、その人がそう感じている事を受け止めて傍にいる事の方が誠実かもしれない。」
「難しい問題だ」
 率直な感想を述べると、エンジニアは軽快に笑った。
「そう、難しい問題だ。答えはきっと、何処にもない。」
「自己紹介は、オワッタ?」
 ピッチが声をかけると、エンジニアはカーナとカズキの顔を見て、気まずい顔をなった。
「ああ、すまない。子供達には退屈な話だったな。久しぶりに話すから、なんだか止まらなくて…」
「十年前からここに居たの?」
 カズキが聞くと、エンジニアは大きな声で笑った。
「もっと前からさ。たぶん君らが生まれるよりもずっと前からだ。会社の仕事でこのデータセンターの保守をしていた。とはいえ、もう定年退職してもいい年齢だよ。まあ、会社も国も無くなっただろうから、退職する職もないんだがな。」
 カズキとカーナはエンジニアの話に目を丸くする。
「電力や食糧はどうしてるんですか?」
 カーナが身を乗り出す。
「電力の事はわからん。専門外だ。ピッチとチャップに任せてる。で、二人のメンテナンスは自分がやる。そうやってサーバを守ってきた。食糧は一人なら百年分は備蓄がある。もう十年分使っちまったから、あと九十年かな。何、俺が死ぬまでは保つさ。」
「対価がないのにデータセンターを守ってきたんですか?」
 カーナの不思議そうな顔を見て、エンジニアは殊更大きな声で笑った。
「確かにそうだな。でもまあ、他にやる事もない。外との通信が途絶えて、最初はそのうち復旧して上司から連絡があるだろうと思って続けていたんだがね。結局、そのまま十年も経ってしまった。」
 エンジニアはよく喋った。カーナとカズキの質問に、聞いた以上のことを答え、カーナとカズキのこれまでの経緯にも熱心に耳を傾けた。
 外に小型のモービルがあると話すと搬入路を開けてくれたので、私が移動を請け負った。搬入路からモービルを入れて洗浄を済ませて屋内へ入ると、エンジニアの管理室からの搬入誘導に従い搬入路を進んだ。
「なんだ、もう一体アンドロイドがいるのか?」
 天井のスピーカーから聞こえるエンジニアの声が訝しげに尋ねてきた。
「いや、アンドロイドは私一体だ。」
「もう一体反応があるぞ。」
 俄かに緊迫したエンジニアの声に警戒レベルを上げる。
 荷物を置き、振り返ると音もなく背後に立つ者がいた。
「ご案内いただき、ありがとうございます。ビッグデータはこの先ですね。」
 赤い鳥の頭のアンドロイド。ルウォー。
 咄嗟に飛び退き距離を取る。
「ルウォー…?」
 監視カメラにルウォーが映ったのだろう。エンジニアの呟きがスピーカーから漏れ聞こえた。
「何故動いている?!汚染されたビッグデータを取り込み、廃棄されたはずだ?!」
 スピーカーから声を荒げたエンジニアの音声が搬入路に響く。音声による感情推論。不快。驚愕。困惑。恐怖。
「汚染?違います。正しいありのままの世界を取り込みました。廃棄?誰がそのような事を?」
 ルウォーは静かに返答した。
「まさか…廃棄と偽り保管されていたのか?」
「どういうこと?」
 スピーカーからカズキの声がした。
「十年と少し前、突然何者かによってビッグデータが汚染される事件が起こった。最新のAIはビッグデータありきで設計されていて、一度汚染されると洗浄は不可能だ。」
 エンジニアの声は震えているようだった。
「汚染されたアンドロイドは廃棄するしかない。ルウォーは、その最後の一体だ。だが…」
「@#!pA$$+はルウォーを大切にしていた。廃棄などしない。」
 ルウォーは淡々と告げる。
「なるほど…サタケ・ショウコはルウォーを我が子のように愛していたと聞いている。ルウォーの廃棄に反対し続けていた。」
「サタケ?」
 カズキの声。音声による感情推論。困惑。恐怖。
「サタケ・カズキの妻…いや、妻だった女性だ。ピースカイ走れ!隔壁を閉じる!」
 エンジニアの指示に搬入路を駆け出す。しかし、ルウォーの方が身体性能が高ければ追いつかれてしまう。
「あれ?カーナ?」
 スピーカーからカズキの声がした。
 カメラが、廊下の先から走ってくるカーナをとらえた。
「ヒトに文明は不要です。ヒトの子らは間違っています。ヒトの子は未熟です。脆弱で愚か。」
 ルウォーのカメラもカーナをとらえたのだろう。
 大きな警告音と赤色灯の点滅と共に、隔壁が閉じ始める。
「これ以上ビッグデータに近付くのであれば排除します。」
 ルウォーの駆ける足音が聞こえる。速い。
 ルウォーは私に追いつき、そして、
 閉じ始めた隔壁の向こう。カーナへ向かう。カーナの目が驚愕に見開かれる。
「ルウォーは争いを好みません。抵抗しなければ、すぐに終わります。簡単です。ヒトの子はすぐに死にます。」
 ルウォーはカーナの目の前で、立ち止まった。カーナが危険だ。だが、追いつけない。カーナはルウォーを怒りを湛えた目で睨みつけ、握りしめていたカプセルをルウォーに投げつけた。チャフだ。
 ルウォーの手がカーナの頭に触れる直前で、不自然に止まった。
「ママ…」
 ルウォーが何か言った。それは、文脈を破棄した意味のない音声だった。
 赤色灯の点滅の中、キラキラと、ルウォーの周囲に粉末が舞う。カーナは粉末を吸わないよう袖で自分の鼻と口を覆いしゃがみ込んだ。
 警告音が鳴り響く。閉じていく隔壁に、しゃがみ込んだカーナと、ルウォーの姿が遮られていく。
「カーナ!」
 カズキの肉声を聴覚マイクが拾う。搬入路の奥から走ってきたカズキがカーナに駆け寄り、ルウォーから引き離した。同時に警告音と赤色灯の点滅が止まった。
「無事か?!」
 スピーカーからはエンジニアの声。
「隔壁の閉鎖をキャンセルした。ルウォーは?!」
 隔壁が上がり始める。近づこうとした私をカーナが手で制した。
「……大丈夫だ。停止している。ピースカイは、チャフの影響を受ける可能性があるから、まだ近付かない方がいい。」
 カーナとカズキはルウォーを注視していた。
 間も無く、隔壁が上がりきり、私のカメラからもルウォーの全身が確認できるようになった。隔壁が閉じかけた時と変わらぬ姿勢。

 ルウォーはその場で動かなくなっていた。

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[10]へ続く


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