[2] 2320-03-18 //旧世紀AIは曇天に希望を見るか
サトルの運転するモービルで、カズキとともに研究室に着き、入口を開けて研究室内へ二人を通した。
階段を降り部屋に入ると、カズキが「ひっ」と声を上げた。防護服のため表情認識不可。音声による感情推論。不快。恐れ。
「これは?」
サトルがサタケ・カズキの白骨を指して質問する。
「サタケ・カズキ。私の製作者だ。目覚めた時にはこの状態だった。」
「じゃあ、誰がお前を起動したんだ?」
「わからない。」
サトルは、周囲を見回して稼働しているバッテリーの前に屈んだ。カズキもゆっくりと近づいてバッテリーを見る。
「昨日、地震があったから、そのせいかな」
「振動で偶然バッテリーが動いたのか…そうかもしれない。」
サトルはそう言うと立ち上がり、もう一度周囲を見回した。
「とにかく、使えそうな物を探そう。」
サトルの指示の下、電子機器やバッテリーをモービルに積み込む。カズキが缶詰を手に取ると、サトルは「缶詰はダメだ。汚染されている。」と言った。研究室内には弾薬、銃弾などの武器もあった。
「使えるか分からんが持って帰ろう。」
サトルの指示の下、それもモービルに積み込む。
カズキが机の上にある紙束を手に取った。
「これ…ピースカイのマニュアルかな?」
表紙に「P3XD 2310 改」と記載がある。カズキに渡された紙束の中身を確認する。
「マニュアルではなく設計書だ。」
カズキに返そうとすると、サトルが横から紙束を取った。
「わざわざ紙で?」
サトルは言いながら中を読む。
「専門的すぎて理解できんな……武器を装備できる。戦闘用なのか?」
「戦闘の機能は有しているが、関連データがほぼない。現状では実戦における判断精度は低く、おそらく役には立たない。」
質問に答えると、サトルは「ふうん」と言って設計書をカズキに渡した。
「電子データは?」
サトルに聞かれて、机の上の電子デバイスを起動、接続を試みる。
「読み込みエラーだ。破損している。」
「そうか」
サトルは言って、研究所内の物色に戻った。
サトルはコード類を回収しながらカズキに話しかけた。
「カズキ」
「何?」
「アンズに負担をかけるなよ。」
「そんな事してない。」
音声による感情推論。不快。
「心配をかけるような事をするなと言っている。」
「わかってる。………アンズ、最近調子悪そうだね…」
サトルの手が止まった。
「………言うかどうか迷ったんだが…お前も家族だ。伝えておく。」
サトルの声が一段低くなる。カズキもサトルの方を向いて動きを止める。
「アンズは妊娠している。調子が悪いのは悪阻だ。」
3.8秒の沈黙。
「え?」
カズキが小さく声を出した。音声による感情推論。不快。困惑。
5.1秒の沈黙。
「俺の子だ。」
サトルが言うと、カズキの呼吸音が止まった。
3.0秒してから息を吸う音。
「………そう………おめでとう」
カズキが小さな声で言った。音声による感情推論。不快。
「それは無事に生まれてからだ。十分な医療が整っているわけじゃない。専門医もいない。最悪、母子とも死ぬかもしれん。」
サトルが言う。音声による感情推論。不明。
「なんで…そんなことを…」
カズキの声が安定しない。震えている。音声による感情推論。不快。不安。
「………俺は反対したが…アンズが産みたい…と」
カズキは息を吸い、留めて、吐き出し、また息を吸って吐いた。
「………そう……」
音声による感情推論。不快。
二人の会話はそこで終了した。
荷を積み終えてモービルに乗り、ブロックへと移動を始める。
地形のスキャン、プロットの最中に遠くに人影が映った。拡大すると、鳥の頭と人の体である事がわかった。そんな生き物は存在しない。
可能性としては、人間が何か被っているか、鳥頭のアンドロイドだ。人間はこの環境で防護服なしでは生きられない。つまり、鳥頭のアンドロイドだ。
2秒後、それはカメラから消えた。
洗浄を終えて防護服を脱いだカズキは終始下を向いていた。表情による感情推論。不明。
家に帰ると、小さな声で「ただいま」と言って、すぐに自室へ向かう。アンズが「おかえり」と声をかけたが、カズキは反応せずにドアを閉めた。
夜になり、夕食の準備ができたとアンズが伝えたが、カズキは「いらない」と言ってベッドに横になっていた。
「カズキは成長期だ。充分な栄養を摂取した方がいい。」
「…わかってる」
音声による感情推論。不快。苛立ち。
カズキは理解していると言ったが、その後ベッドから動く事はなかった。
ダイニングキッチンからサトルとアンズの声が聞こえる。
「今日、妊娠の事は伝えた。」
「うん…」
「アンズに負担をかけるなと言ったのにこれだ。」
「まだ子供だもの。」
「そうだな。」
「でも、きっと、わかってくれるわ。」
「…そうだな。カズキは賢い子だ。」
「ええ」
「すまない。早く寝ないとな。体に障る。」
「昼間寝てたから大丈夫よ。」
「無理はしないでくれ」
「うん」
「明日は家の事をするよ。」
「うん」
深夜。カズキはまだ動かない。空腹時の胃の収縮音がした。体温、心拍、呼吸数から、起きている事は明白だ。カズキの健康維持のためには、何か食べる必要がある。充電を解除して立ち上がり、ダイニングキッチンへ向かう。
ダイニングキッチンには、サトルとアンズがいた。テーブルにはカズキの夕食が置いてある。サトルとアンズが、こちらを向く。
「カズキが空腹だ。部屋へ運んでもいいか?」
私の質問に、アンズは小さく息を吐いた。
「ええ」
感情推論。快。安堵。
カズキの夕食をトレイに乗せる。
「ありがとう」
サトルに言われ「どういたしまして」と定型文を返したが、何に対する謝意なのか分からない。
「その感謝は食事を運ぶ事に対してだろうか?」
「それもあるが…」
私の質問にサトルは答えかけて0.8秒沈黙した。
「カズキに寄り添ってくれて、ありがとう。」
サトルの口角が少し上がる。感情推論。快。
「寄り添うとは、傍にいる事だろうか。」
「そうね。体と…心の傍にいる事。」
私の質問にアンズが答える。なるほど、確かに体の傍にはいた。
「心の傍にいるとはどういうことだろうか。」
次の私の質問には二人とも答えなかった。
「サトルとアンズは回答を拒否する権利がある。回答を拒否するか?」
二人は私を見て三度瞬きをした。追加で二度瞬きをする。表情による感情推論。不明。
「拒否というか…どう説明していいかわからない」
「難しい問いね」
回答不能ということらしい。
「そうか。データが不足している。」
サトルとアンズにそれだけ伝え、「寄り添う、心の傍にいる」には課題タグをつける。
会話を終了し、食事をカズキの部屋に運ぶ。
カズキは変わらずベッドで横になっていた。
「空腹では寝られないだろう。栄養をとった方がいい。」
「オーナーの指示がなくても動くんだ。」
カズキは壁の方を向いたままだ。表情は確認できない。音声による感情推論。不快。
「オーナーの体調管理は予めプログラムされている。オーナーの命令は不要だ。」
「ふうん」
「人間は高ストレス時に判断を誤る。カズキは今、大きなストレスに晒されている。食事を摂らないことは誤りだ。睡眠の質も悪くなる。」
「…食べたくない」
音声による感情推論。不快。
「そうか。私には無理矢理食べさせる事はできない。ここに置く。」
トレイをベッドの横に置く。
「今日は解析すべき情報が多い。私は一旦休眠に入る。可能であれば、少しでも食べる事をお勧めする。」
発言を終了すると、コンセントに接続し充電を開始する。休眠体勢をとり、カメラを停止。音声情報以外の入力を停止し休眠に入り、音声情報処理を異常検知パターンに切り替える。
ログ解析を開始する。
カズキの声が聞こえる。「うっうっ」という声が、繰り返されている。咀嚼音。水滴が落ちる音。ポタポタ、ポタポタ。咀嚼音。「うう」というカズキの声。鼻から息を吸う音。ポタ。ポタポタ。咀嚼音。鼻から息を吸う音。咀嚼音。咀嚼音。