46 クリスマスどうする?

風呂が沸くのを待っている間、ハルキは予約が始まったクリスマスケーキの広告を眺めていた。
「今年のクリスマスはどうする?」
「どうするって何がだ?」
キョトンとしているフォルクハルトに、ハルキは呆れた顔をした。
「去年は家で過ごしたが、一昨年はちょっといいレストランでご飯食べただろ?」
「ん?ああ、そういば、あれはクリスマス・イブだったか」
フォルクハルトのさして興味もなさそうな様子に、ハルキは嘆息する。
「そんな認識だったのか…まあ、一昨年はそうとは気取られないように誘ったからな…」
「そうだった。妙にカップルが多いと思ったんだ」
ようやく思い出したらしく、うんうんと一人で頷く。
「今年も家でいい肉とケーキ食べるのでもいいけどな」
「俺は特に拘りはないから好きにしてくれ」
ぼんやりと算段を始めたハルキに、フォルクハルトは完全に他人事な態度をとった。ハルキの眉間に皺がよる。
「バカかお前は、今年は一緒に考えろ!なんなら飯はフォルクハルトの担当だぞ!」
ハルキに怒られて、フォルクハルトは小さな声で「…わかった」と応えた。
ふいにハルキが何か思い出したらしく「あ」と声を上げた。
「トミーも誘った方がいいのかな」
今度はフォルクハルトが眉間に皺を寄せる。
「やめとけ、嫌がらせか。何がしたいんだお前は」
「でも仲間はずれにしたら泣いちゃうだろ?」
「それならせめて、カワト家も呼んでホームパーティにするとかしないとトミーもいづらいだろ」
フォルクハルトの提案に、ハルキは目を瞬いた。
「いいなそれ」
ハルキが話に乗ってきてしまい、フォルクハルトはあからさまに嫌な顔になる。
「本気か????」
「ちょっとミドリに声かけてみよう」
「待て、結婚してまだ2回目のクリスマスなんだから、二人で過ごそう。」
突然それらしい事を言い出したフォルクハルトに、ハルキは疑った様な視線を向けた。
「本音は?」
「人を呼ぶのは面倒だ。二人で家で飯食ってセックスして寝よう」
「強欲すぎるだろ。聖なる夜に三大欲求を全て満たそうとしている。」
呆れた様子のハルキの手を両手で握りしめ、フォルクハルトはまっすぐに彼女の瞳を見つめた。
「プレゼントもいらん。ハルキがいれば、それでいい」
「なんかいい顔でいい事言ってるぽいけど、さっきの台詞と合わせると、だいぶ俗っぽい文脈がのるぞ」

「ていう話してたんだが、クリスマス暇だったらトミー来るか?」
「今の話でなんで誘われたのかが1ミリも理解できないんですが?」
トミタロウはげんなりして、ハルキにそう返した。ミドリはケラケラ笑っている。
「ハルキ。やめろって言っただろ。飯の用意するのは俺だぞ、勝手に人数を増やすな」
フォルクハルトはイラついている様子を隠そうともしない。
「でも一応誘っておかないと、後でまた悲しむかもしれないだろ?」
「それはないです。大丈夫です。流石にクリスマスにお邪魔するほど野暮じゃないです」
心配そうなハルキに、トミタロウは丁重にお断りの意思を告げた。
「これで温泉の時みたいに当日現れたら笑っちゃうね」
ミドリがケラケラと笑いながら余計な事を言う。
「ないですって。そんなのフォルトさんキレ散らすでしょ」
「そんな事ないだろ?な?」
ハルキが、フォルクハルトに確認するが、フォルクハルトは鼻の頭に皺を寄せて明らかに不機嫌な顔をしていた。
「まあ…表立っては…な…」
「コイツさえ居なければチュッチュしてエッチできるのにって、すごい顔で睨まれるに決まってるじゃないですか」
トミタロウはうんざりした様子でそう言った。フォルクハルトは腕を組み、トミタロウを見下ろした。
「…そうだが?」
「もうやだ!前は恥ずかしがってたのに、最近は開き直って肯定してくる!!」
「お前がそうやって、やたらと揶揄ってくるからだろうが。そもそも、そういう揶揄いはハラスメントだぞ。」
頭を抱えるトミタロウを見て、ミドリはまたケラケラと笑う。
ひとしきり笑い終わったあと、ミドリは笑い過ぎて出た涙を拭いながらトミタロウに「じゃあ、うち来る?」と聞いてきた。
「嫌ですよ!同じようなもんでしょ!」
「ショウゴくんは、そんな事ないから。トミー来たら喜ぶと思うよ」
「本当ですかぁ?」
トミタロウはミドリに疑いの目を向ける。
「うんうん。トミーと話すの楽しいって言ってたよ」
ミドリは笑顔で頷いてみせる。
「騙されるなトミー。男なんて皆同じようなものだ。お前だってクリスマス・イブに彼女と過ごしてる所に後輩が来たら嫌だろ」
横から入ってきたフォルクハルトに、ミドリは軽蔑の視線を送る。
「うちのショウゴくんを万年発情期のミュラーと一緒にしないでくれる?」
「ま…」
想定外の罵りにフォルクハルトは言葉を失った。何かしら言い返そうと思ったが、碌な返しが思いつかない。人間には動物のような季節的な発情期はないため、通年を通して発情期であるとは言えるが、そういう話ではない。加えてこのところハルキのことばかり考えているのは事実で、正直否定できる要素はなかった。
「ショウゴくんはお酒飲む日は、そういう事しないから」
「え?」
続いたミドリの言葉にトミタロウは眉根を寄せる。
「………それ、言っちゃって良かった話です?」
トミタロウは何かまた、いらない情報を聞かされた気がした。
「なんだ?どういう事だ?」
フォルクハルトは意味がわからずに、ハルキにそっと聞いた。
「あー…フォルクハルトはザルだから、そういうのないもんな…」
ハルキはぼやくとフォルクハルトに耳打ちした。ハルキから伝えられた内容に、フォルクハルトは「あー」と頷いた。
「いや、何にしろ行かないですよ!何が悲しくて誕生日によその夫婦の家でクリスマス祝わなきゃならないんですか」
トミタロウが仕切り直す。
「え!誕生日なのか!それなら誕生日パーティーしないと」
ハルキが余計なことを言い始める。
「いりません!」
「そんな事言って当日に来ちゃうんでしょ?」
ミドリもしつこく同じ事を繰り返す。
「行きません!」
トミーは、今年のクリスマス兼誕生日は実家に帰ってイッヌと遊ぼうと決めた。


一昨年のクリスマス

クラシック音楽が流れる静かなレストランで、二人は向かい合って座っていた。フォルクハルトは上質なスーツにネクタイを締め、ハルキはボウタイのパンツスーツ姿だ。
「最初の一杯だけにしておけよ」
店員に薦められたワインを頼んだフォルクハルトがハルキに釘を刺す。
「わかっている」
ハルキとて、こんなところで酔って寝てはいけない事は重々承知だ。
「しかし珍しいな。こういう店は久しぶりだ」
店内を見渡しても、いつも行く居酒屋とは客層も店員の様子も明らかに違う。不慣れで緊張した面持ちの客もいるが、皆落ち着いて優雅にゆっくりと流れる時間を楽しんでいる。
「まあ年末だから、たまにはな」
この店を予約したハルキは得意げにフフと笑った。
「それにしても、カップルがやけに多いな」
どの席もめかし込んだ恋人や夫婦といった雰囲気で、フォルクハルトは自分達だけが、やや浮いているように感じた。
「あー…あ!24日だからじゃないか?」
「24日…ああクリスマス・イブか。ん?ハルキは特に予定はなかったのか?」
いかにも今気づいたという風なハルキに違和感はあったが、フォルクハルトも言われるまで気づかなかったので、彼は「そういうものかもしれないな」と思う事にした。
「特になかったから適当に予約したんだが、そうかークリスマス・イブだったかあー」
何かわざとらしい口調で、やはり違和感がある。こういう日は予約も取りにくいのではないだろうか。ひと月ほど前に「年末どこかでコース料理でも食いに行こう」と誘われて承諾し、日程を知らされたのは二週間ほど前だった。ドレスコードがあると言われて、フォルクハルトはほとんど着ることのないスーツをクローゼットの奥から引っ張り出してきたのだが、ハルキは新調したと言っていた。この日のために用意したとも言える。そんなにコース料理が食べたかったのだろうか。
そんな事を考えているうちに前菜が運ばれてきたので、フォルクハルトは違和感については忘れてることにした。

帰り道。フルコースに満足した二人は店を出て一息つく。フォルクハルトはネクタイを取ってポケットにしまうと、シャツの第二ボタンまで外した。
「たまには、こういう服もいいな。かっこいい」
ハルキは嬉しそうにそう言った。
「俺は堅苦しい格好は好きじゃない。まあ、飯は美味かったからいいが」
ハルキはフフと笑って、確かに筋肉が窮屈そうだと思った。
冬の夜だというのに、この街の空気は一向に凍える気配がない。風は冷たいが、昼間にコンクリートに蓄えられた熱がいつまでも残っている。
ハルキは歩道と車道の間の縁石の上を歩く。フォルクハルトは眉根を寄せてそれを見ていたが、後ろから車が来たので彼女の腕を引っ張った。
「やめろ。子供か。危ないだろ」
ハルキは足元がふらついてフォルクハルトに寄りかかってしまい、少し照れたように笑った。
「へへ…今日は付き合ってくれてありがと」
「なんだ急に」
フォルクハルトは怪訝な顔をしたが、ハルキはふわふわした笑顔のままだ。
「フォルクハルト、かっこいい」
「気色悪い事を言うな。あの量で酔ってるのか?」
「うん。」
ハルキは頷くとフォルクハルトの腕に自分の腕を絡ませた。
「おい、やめろ。自分で歩け」
フォルクハルトはイラついた声でそう言うが、振り解きはしなかった。
「やだ」
「はあ?」
彼はまだ文句を言いたげではあったが、この状態のハルキに言っても無駄だと判断したのか、舌打ちして面倒臭そうにため息をついた。
少し先に休憩料金の看板が出ている事に気づいたハルキはフォルクハルトに寄りかかりながら、平静を装いつつ彼に誘いかける。
「ちょっとどこかで休憩しないか?」
フォルクハルトは怪訝な顔でハルキを見た。
「そんなに酔ってるのか?」
「………うん」
ハルキは弱々しく頷く。嘘だ。
フォルクハルトはため息をついて少し考えてから髪を掻き上げて「仕方ない…」と言った。
ハルキは目を見開いてフォルクハルトを見た。期待して言ったのは事実だが、まさかフォルクハルトからそんな言葉が出るとは思っていなかったからだ。
「家まで送ってやる」
「え、あ、それは別に…」
すぐにハルキの早とちりだと分かり落胆する。
「そんな状態の女を夜道で一人歩かせるのは危険だ」
「でも…」
「家の場所を知られるのが嫌なら、適当に近くまででいい」
フォルクハルトの言動にハルキは口を覆った。
「紳士だ…」
思わずハルキの口から漏れた言葉にフォルクハルトは不機嫌な顔になる。
「俺のことを何だと思ってるんだ?何かあったら明日以降の仕事に支障が出る」
「あ、はい。そうですね。」
チームリーダーとしての心遣いだったらしい。ハルキは少しがっかりした。この様子では仮にラブホテルに引き込んでも、本当に休憩だけして出てくることになった事だろう。
夜道を歩いても、道を行くのは恋人だらけだった。幸せそうに楽しんでいる恋人達を見て、ハルキは何年経っても関係が進まない自分が少し惨めになった。
「フォルクハルトは、恋人がいたらいいなと思うことはあるか?」
「ないな。必要性を感じない」
ハルキの問いにフォルクハルトは間をおかずに答える。
「…一人で寂しい時とかないのか?」
今度は少し考えたが、特に思いたあることもなかった。
「……ないな」
「そうか…」
いつもと違い、どうも元気がないハルキをフォルクハルトは訝しんだ。
「どうした?今日は何か変だぞ」
ハルキは答えに窮して結局「酔ってるからかな」と誤魔化す。
「…本当に酔ってるのか?そろそろ醒めてもいい頃だと思うが」
ワインを飲んでから、もうかなり経っている。ハルキはギクリとしたが、素知らぬ顔でフォルクハルトに腕を絡ませたまま歩いて行った。

ハルキのマンションの部屋の前に着くと、フォルクハルトはまた怪訝な顔をした。
「部屋の前まで来ても良かったのか?」
「うん」
ハルキは頷いたが、なんとなく離れがたくてそのまま動けずにいた。
「なんだ?」
いつまでも離れようとしないハルキに、フォルクハルトは迷惑そうな顔になる。
「ちょっと寂しい」
不貞腐れたように言うハルキに、フォルクハルトは「はあ?」と言って舌打ちした。
「明日もあるから、俺は早く帰りたいんだが?」
完全に脈なしな反応をされて、ハルキは名残惜しそうに、ゆっくり掴んでいた腕を離す。
「じゃあ、また明日な」
解放されたフォルクハルトは、軽く手を上げてなんの未練もないとばかりにスタスタと去っていく。
「…うん。また明日…」
ハルキはフォルクハルトの背中を見送った。落胆して部屋に入ってから、それでも家まで送ってもらってしまったなと思う。
スーツを脱いでハンガーに掛け、ブラウスはとりあえず洗濯カゴに放り込む。ハルキは、そのままベッドに倒れ込むと、今日の事を思い返す。
スーツ姿も良かったし、食事中の所作も美しかった。さてはそこそこの良家の生まれだ。コース料理に慣れていない自分とは大違いだった。逞しい腕に紳士的な振る舞い。上げればキリがない。
「かっこいい。惚れ直してしまうな…」
ハルキはひとり呟くと、ほうと息を吐いて、しばらくは何も考えられずにぼーっと呆けていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?