26 いろんなボタン

展示会の後、ミドリとは現地で解散しフォルクハルトは少し気まずいまま、家に帰ってきた。
「その…展示会の時は急に腕を掴んで悪かった。」
痛いと言われたハルキの表情を思い出すと、少し苦しかった。
「ん?ああ、気にしてない。あのあとミドリに安易に他人に見せる物じゃないと叱られたしな」
ハルキは苦笑いをする。
今日は、自分はハルキの事を何も知ろうとしてこなかったのだと痛感させられた日でもあった。どんなものが好きなのか、普段使っているパワードスーツがどんなものなのか、彼女のサイバネが周囲からどう評価されているのか。あの握力で掴んだら痛いのだという事。
「制御パネルっていうのは、どういうものなんだ?」
フォルクハルトに聞かれて、ハルキは少し考えてからシャツをめくって左の脇腹を出した。そしてパネル部分を開く。
「ここにパネルがあって、緊急時用のブーストボタンとか、メンテ用の端子接続ソケットとかがついている」
フォルクハルトは眉根を寄せた。
「安易に他人に見せるなと言われたんじゃなかったのか?」
「フォルクハルトは他人じゃない。信頼できるパートナーだ」
ハルキは当たり前のようにそう言った。確かに仕事のパートナーとしてやってきた時間は長いが、自分はそんなに信頼に足る人間だろうか。罪悪感にも似た感情と、単純に専門職以外が普段お目にかかれない部位を見たいという欲がせめぎ合う。
「そうか…じゃあ…」
結局、好奇心が勝ってしまい誠実さとは何なのかと思う。これはハルキの好意に甘えてタダ乗りしているだけだ。そんな事は思いながらも、
フォルクハルトは制御パネルをまじまじと見る。
「緊急時用だから押したらダメだぞ。ミドリに通知が飛ぶ。あの時は、これでミドリと連絡がとれた。一応生体認証で本人かメンテする人しか開けられないようになってる。」
「特殊な端子だな。」
「うん。万が一開けられても、その辺の人では接続できないように特殊端子になってる。特に私のような場合は、サイバネを壊されると普通に死ぬからな」
フォルクハルトは顔を上げて、ハルキを見つめた。ハルキは少し寂しそうに微笑むと「かわいそうだと思ったか?」と聞いてきた。
なぜそんな事を聞いてきたのか、フォルクハルトにはよくわからなかった。人間はサイバネ補完者だろうと、そうでなかろうと、一定以上のダメージを受ければみんな死ぬ。限界値に個人差はあるが、それはそれだけの話だ。ハルキが「かわいそう」なら、自分も含めて人間は皆ことごとく「かわいそう」なだけの話だ。取り立てて言うことだろうか。
「いや、死んでほしくないなと思った」
フォルクハルトの答えに、ハルキは「ふふ」と少し嬉しそうに笑うと、制御パネルを閉じた。
「ありがとう」
なぜここで「ありがとう」が出てくるのかもよくわからない。
「他にもボタンはあるのか?」
「他は…前に話した腕を外すボタンぐらいで、特にないな」
フォルクハルトは「先ほどから自分はサイバネの事ばかり聞いているな」と思い、少し考え込んだ。そういえば前に「生身も愛して欲しい」と言われた事を思い出す。
「ちなみに、生体の方で何処が感じるかは聞いてもいいだろうか」
「ひぇ?!何だ急に?!そんな恥ずかしい事言えるか!」
ハルキは急に顔を赤くして慌てふためいた。
ハルキの反応から「これは何か違ったらしい」とフォルクハルトは思う。やはり慣れない事はするものではない。
「…そうか。」
「そ、そういうフォルクハルトはどうなんだ?」
聞き返されてフォルクハルトは怪訝な顔をした。自分は「言えない」と言いながら、こちらには同じ事を聞いてくるというのはどういう了見なのだろうか。とはいえ、一部既に知られているため、取り立てて隠す必要性はあまり感じない。ただし、問題が一つある。
「カワトに言わないなら教えてやる」
「…言わない」
ハルキの目を見る。真剣な表情で見つめ返してはいるが、正直どこまで信じてよいのかは当てにならない。
「本当か?前科があるからな」
「約束する」
確認すると、ハルキは力強く頷いた。フォルクハルトは少し悩んだが、約束するというハルキを信じる事にした。
「腹と…耳かな…」
すぐにハルキが耳に手を伸ばしてきたため、その手首を軽く掴んで押し返す。
「言ったそばから触ろうとするな。で、お前の方は話したくないと」
ハルキ「うーん」と口を尖らせて思案する。
「全身隈なく触れて確認するのでもいいが」
フォルクハルトに真剣な顔で言われて、ハルキはドキリとした。愛する男に体中を探られるというのは、それはそれで興奮する。なんなら望むところではあるが、その積極性がどうも腑に落ちない。
「…今までサイバネ以外に興味なさそうだった癖にどうしたんだ急に…」
「その…前に生身も愛して欲しいと言っていただろう。よくわからないなりに、出来る事がないかと思って…」
「あれは言葉のあやだと言っただろう」
フォルクハルトは途方に暮れた子供のような顔をしていた。
「気持ちは嬉しいが、なんだからしくないな。」
ハルキがそう言うと、フォルクハルトは口をへの字に曲げてそっぽを向いた。
「そうか…なら、もういい」
ハルキは「なるほど、そういう事か」と、ようやく得心した。この男なりに過去の情報から色々考えて気を遣ってくれていた訳だ。方向性が謎だが、彼なりにこちらに歩み寄ろうと努力したところを「らしくない」と一蹴されて臍を曲げたというところだろう。
「待て!」
慌てて、冷蔵庫の方へ向かうフォルクハルト(何か食べるつもりだったのだろう)の腕を引っ張る。
「もういい。別にそれほど知りたいわけでもない。らしくない事はやめだ」
無愛想でそっけない態度は確かにいつものフォルクハルトらしくはあったが、拗ねているようにも見えた。
「ああっもう!!わかった!私が伝いたいだけだ!聞け!」
ハルキはヤケクソ気味に叫んで抵抗するフォルクハルトの腕を強く引く。少し背伸びして彼の耳ともに口を寄せると「首筋」と囁いた。フォルクハルトは咄嗟に体を引いて囁かれた耳を手で庇う。ハルキはフォルクハルトの腕から手を離した。
「な…あ…」
耳元で囁いた効果があったらしく、フォルクハルトは目を見開いてハルキの方を向き、固まっていた。
ハルキは誘う様に悪戯っぽく笑う。
「触ってもいいぞ」
フォルクハルトは何か言いたそうに口を動かしていたが声にはならないようだった。
「舐めてもいい。…なんだ、自分から聞いておいて。怖気付いたか?」
今度は小馬鹿にしたように笑ってみせる。
フォルクハルトは悔しそうにハルキを睨みながらようやく声を発した。
「煽るのやめろ…」
「いくじなし」
言われてフォルクハルトは歯を食いしばって下を向く。
「ハルキは…俺の理性を飛ばしたいのか?」
ハルキは楽しそうにフォルクハルトを下から覗き込む。
「だったらどうする?別に二人だけだし、そんなに我慢しなくていいのに。」
言いながらフォルクハルトの表情が思ったより苦しそうな事に気づく。そんなに真面目に考えるほどでもないと思っていたが、どうもフォルクハルトにとってはそうではないらしい。これ以上揶揄うのはやめたほうが良さそうだ。
「すまない。別に無理をして欲しいわけじゃない」
ハルキの口調が変わったのに気付いて、フォルクハルトは深呼吸をした。呼吸を整えて上を向く。
「うん…わかっている…」
薄くハルキを方を見るとハルキは心配そうにこちらを見ていた。自分はどんな顔をしていたのだろうか。心配させるような顔をしていたということか。
「要望があればできる限り応えるから…煽るのはやめてくれ」
フォルクハルトは、なんとかそれだけ伝えて冷蔵庫へ向かった。


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