11 さわるな
生活感がないほどに整頓された部屋の様子にハルキは呆気に取られていた。客が来るから掃除したというわけではなく、おそらく常にこの状態なのだろう。
今日は休みで、引越しの部屋割りなどの相談のためにフォルクハルトの部屋に来ていた。ミドリには「おうちデートじゃん」とからかわれた。
ミニマルな生活といった雰囲気だが、冷蔵庫だけが異様に大きく異彩を放っていた。
一人暮らしの冷蔵庫のサイズではないと指摘すると、「ああ、だからそのまま新居に持っていく」と事もなげに返された。
フォルクハルトのマンションは2部屋あり、今はベッドとローテーブルだけの部屋に通されていた。座るところがないので、二人ともベッドに腰掛けている。もう一部屋は見せてもらえなかった。
家電をどうするかなど話した後に、部屋割りの話になった。新居は3LDKだ。
「それぞれ自分の部屋が一部屋で、寝室もそこでいいな」
フォルクハルトは、特に異論もないだろうとサラッと進めようとした。
「寝室は一つにしたい」
「え?」
突然のハルキの提案にフォルクハルトは、耳を疑った。
「寝室は一つにしたい」
ハルキはもう一度同じ事を言う。
「いや…でも…」
男女同室は不味くないか?と言おうとしたが、ハルキに遮られる。
「一つにしておけば、寝る時は空調もその部屋だけでいい」
確かに光熱費の節約にはなる。
「まあ…そうだが…いいのか?本当に」
「何か問題があるか?」
ハルキはまったく気にした様子もなく、意見を変える気も無さそうだった。
「いや…お前がいいなら、いいが…」
概ね話がまとまったところで、ハルキはベッドに寝転がった。
「いいな。このベッド広くて」
「ダブルだからな」
「私のはシングルだ」
「そうか」
ハルキはこれがフォルクハルトのベッドかと思いながら天井をしばらく眺めていた。そして、ぼんやりと思った事を口にする。
「このサイズなら二人でも寝れそうだな」
「いや、お前はお前のベッド持って来いよ」
何か訝しむようなフォルクハルトの声に、やはりそれが通るわけはないかと思う。シングルとダブルだと、結構場所を取りそうだ。
「部屋に入るか?」
ハルキの問いにフォルクハルトは頭の中で配置を考えてみた。
「狭くはなるが、入るだろ」
「そうか…」
フォルクハルトの方を見ると、やや迷惑そうにこちらを見ていた。目が合ってしまったので、下に視線を逸らしたところで、フォルクハルトの服の裾のあたりに小さな糸屑がついていることに気づいた。取ってやろうと手を伸ばした瞬間に、フォルクハルトは勢いよく身を引いて立ち上がった。
「?」
ハルキは何が起こったのか分からずに目を瞬いた。
「何をしようとした」
フォルクハルトは警戒してハルキから距離を取っている。
「糸屑がついてたから…取ろうと…」
言われて自分の服を確認し、糸屑を見つけて取る。
「なんだ…そういうことか」
フォルクハルトは安堵して警戒を解く。
「なんだはこっちのセリフだ。どういう反応だ」
ハルキが眉間に皺を寄せて起き上がる。
「前に、無理矢理腹筋を触ろうとしてただろうが」
フォルクハルトに言われて、そんな事もしたなと思い出す。それにしても反応が過剰だ。
「さては、お腹弱いのか?」
ハルキは面白がるようにニヤリと笑った。
「…なんでもいいだろ」
憎々しげに言うフォルクハルトの隙をついて、ハルキは腹を突いた。
「っ!バカ!触るな!」
フォルクハルトは飛び退いた。
「その反応は、とても気になるな」
ハルキも立ちあがる。
「なんでそんなに俺の腹を触りたがるんだ!おかしいだろ!」
「そんなに慌てる姿あまり見ないし、楽しいなと思って」
「おまっ…コロスぞ」
二人はしばらく対峙したが、じわじわとハルキが距離を詰めフォルクハルトは部屋の隅に追いやられる。既に後は壁だ。
「わかった!説明する!説明するから、とにかく触るな!」
観念したフォルクハルトの言葉にハルキの動きは止まった。それを確認して先を続ける。
「これは、あの…要は…」
下を向き歯を食いしばる。できる事ならば言いたくはなかった。
「性感帯だ…」
思いもよらぬ単語が飛び出してきたので、ハルキは暫し呆然とした。
「…え?健康診断とかどうしてるんだ?」
「心を無にして耐えてる」
翌日のメンテルームで話を聞かされたミドリはウンザリした様子だった。
「だからハルキはやりすぎだってば。ていうか、それ私に言っちゃう?あんたの心の中にだけ秘めておきなよ。知りたくもない情報知らされた方の気にもなってよ。ミュラー見るたびに、あーこいつ腹弱いんだって思い出しちゃうじゃん。健診の時とか最悪だよ。まあ、腹触ることはないけど」
ハルキは、はにかみながら話を続ける。
「あと寝室一つにした」
「え、ミュラーもそれでOKしたの?」
「ああ、私がいいならいいと言っていた」
ミドリは「あいつ、押しに弱いな」と思った。
「だからって、なんで僕に言うんですか。一緒に仕事こなさなきゃいけないのに、フォルトさんお腹で感じちゃうんだなって頭をチラつくようになるじゃないですか」
ミドリからフォルクハルトに関する情報を聞かされたトミタロウは、心底迷惑そうな顔をしていた。
「ごめん。こんな気持ち一人で抱えるの嫌だし」
「というか、チームメンバーにそんなことバラされてるフォルトさんが気の毒過ぎる」
メンテルームのドアをノックする音に二人がそちらを見る。
「どうぞ」
ミドリの応答に、ドアが開いてフォルクハルトが顔を出した。
「おい、ミーティング始めるぞ」
二人はフォルクハルトの顔を見て、それから腹部を見て、いたたまれなくなって目を逸らした。
「どうした?」
フォルクハルトは、黙っている二人に怪訝な顔をする。
「はい。今行きます」
トミタロウは気持ちを切り替えて立ち上がり、メンテルームを後にした。
おまけ
ハルキはうつらうつらしている自分に気付いて、これは不味いなと思った。何とかなるだろうと高を括っていたが、どうも無理らしい。
「フォルクハルト、悪いが今日の私は本調子ではない」
「なんだ、風邪でもひいたか?」
「いや…そうではないが、すこぶる眠い」
「ちゃんと寝とけよ。寝付けなかったのか?」
「寝たんだが…その…」
「なんだ?」
「…2日目だ」
フォルクハルトは暫し考えた。2日目、なんの2日目だ。明言を避けたということは言いにくいことだったんだろう。そうすると月経か。しかし、長年一緒に働いているが、これまでそんな話は聞いたことがなかった。
「それは、今まではどうしてたんだ?」
「いつもは薬で調整してるんだが、この間やらかした製薬会社があったろ?そのせいで最近薬が手に入らなくて…」
「なるほど…痛みは?」
「軽い方だから痛みはほぼない。ただ、とにかく眠くなるんだ」
フォルクハルトは対策をいくつか考えたが、結局こう言った。
「…帰って寝ろ。そんな奴現場に連れていけるか。命に関わる。」
「…はい」