内容以上に大切な「読める文字」
私は数年前から、求人原稿を書く仕事をしている。
各企業や店舗から「このような人材が欲しいです」「月給は25万円〜福利厚生は…」など、募集要項をまとめた資料をもとに、原稿を書くのだが、たまにあるのが手書きの資料。
手書きでも、必要な情報が書かれていれば問題はない。
だが、必要な情報が「分かるように」書かれていないと非常に困る。
というのも、はっきり言って申し訳ないが、稀に字が汚すぎて読めない資料が届くのだ。
文字が潰れていたり、走り書きのせいで原形を留めいてない新種の文字が誕生していたり。
どれだけ目を細めて読んでも分からない文字と睨めっこしていると、コンビニでお弁当を買ったのに割り箸が入っていなかった時のような、なんとも言えないガッカリした気分に襲われる。
結局、文字が雑というだけでいろいろ損しているなと思う。
まず、こちらのやる気が削がれる。
なんとか解読して、企業の理念や福利厚生が良いのは分かったとしても、文字が読みにくいせいで「本当にそうなの?」と疑いたくなる。
疑いたくはないが、自然と疑いたくなる感情が湧いてくるのは、結構悲しい。
次に、時間のロス。
肝心な月給や勤務時間などの数字が読めないと、確認せざるを得ない。
けれども、「読めないので確認したいのですが」と言うのも本当に言いづらいので勘弁してほしいのが本音だ。
本来そのような時間が発生しないために、資料を書いてもらっているのに元も子もない……
結果的に、文字が雑というだけで、誰もいい思いをしないことになる。
手書きなら相手が読めるように書く。
字の綺麗さは1日で身につくものではないから、字が雑という認識があるなら、PCで資料を作る。
それだけで、お互い気持ちよく物事を進められるのに。
私も特別字が綺麗とは言えないが、手書きをするときは「相手が読める文字」を意識して書くようにしよう。
そう思った出来事だった。