ある1週間の日記(2024/09/02〜)
月曜日
土日は実家で過ごしたので、疲労感がめちゃくちゃ薄い。月曜日なのに疲労がどうのこうのってどういうことって感じだけど、子どもができて平日より土日のほうが疲れるよね。
この日記は読み返すと面白いのだけど、書いている最中はつまらなかったりする。時系列で淡々と書きがち。
そういうときは、感情を爆発させていたり、描写が細かい他人の日記を読んで、インストールしてから書いたりする。
そして、先週は単純に最近生活を回すことに終始していた。自分の好きなこと、自分のエネルギーが満たされることにもっと貪欲になりたい。
火曜日
寝かしつけから復活してもやりたい楽しいことがないと夫に嘆いていたら寝落ち。20時半から6時までたっぷり寝て、首と背中が凝っているって順調に歳をとっている。
水曜日
シッターさんがいたおかげもあるが、それにしたって平和な夜育児だった。18時に帰ってきて、19時にはお風呂を上がり、寝る時間まであと1時間もある!ゆっくり遊べて満足感が非常にあるけれど、物足りない。ドMか。
最近子どもが産まれた知り合いが「このまま大きくならないでほしい」と言っていた。私は双子の成長を指折り数えていた。
0歳代の頃の写真を見ると、その頃の子どもに会いたいとは思う。でも、ある写真からその次の成長段階の写真までのプロセスが大変すぎね怖くて、昔には戻りたくないと思う。もう1人、育ててみたいなーとは思うんだけどね。不妊治療しなくていいなら今すぐ取り組みたいくらい。
木曜日
なし
金曜日
なし
土曜日
なし
日曜日
気づいたら日曜日。金曜日は保育園のお祭り、土日は住んでいる地域のお祭りと祭づいた3日間だった。
保育園で出し物を回っているときに、ああ私も親になったんだな、と今更実感する。
子どもに対しているときはあまり思わない。出し物担当の子どもやその保護者が自分の子どもに遊び方を説明しているのを見守る瞬間、その説明を自分の子どもにし直す瞬間、子どもの保護者と話す瞬間。私は親の顔しているなあと思うし、この子どもの親だと思われているんだ、と妙に実感する。
地域のお祭りも子ども神輿に参加した。自分が子どもとして参加していた場所に、今度は自分が親として参加する。私だって両親にとっては子どもではあるのに不思議な感覚。
歳を重ねるごとに自分の役割が増えていく。子どもの年齢ごとに親としての役割も変わるだろう。夫と妻という役割や関係性だけは変わらないものかもしれない。子どもを育てながらも、巣立つことをいつも感じている。再び夫婦だけになったときにどんなふうに過ごし会話するのか。そう考えると今はまだ助走期間のようにも感じる。