そのこだわり、本当に必要ですか?
作成日:2017-04-10
最近ノートを持ち歩くのを辞めました。
仕事のスケジュールとタスク管理に使っていたノートです。これを忘れたら1日テンションダダ下がり、仕事に手がつかなくなる。みなさんにもそういうものありませんか?
最近この大切なノートを辞めました。
私は仕事の管理に、このノートとGoogleカレンダー、プロジェクトごとに資料が入っているファイルを使っていたのですが、頭がとっちらかっているときや、あるプロジェクトの納期が気になって「終わるかな」とそわそわしているとき、参照すべきものが多いと余計頭が散らかることに気づきました。
GoogleカレンダーはPCでもスマホでも見れるし、資料はDropboxに入ってる。ノートはというと忘れたら最後、手元にないと見れない(当たり前)。ということで、ノートを辞めました。
そのこだわり本当に必要ですか?
ノートなし生活をして気づきました。私が大切に大切にしているこだわり、本当に私に必要なことなんだろうか?
こだわりに寄り添っているときは安心して居られるけれど、例えばノートを忘れたり、なくしたりしたとき、ものすごく心が揺さぶられてしまう。
それってすごく窮屈なのでは?
気づいたらつけていない腕時計
同じようなこだわりを探してみると、腕時計がありました。
今はもうつけていないのですが、ノートと同じように腕時計を忘れると、手首がすーすーしてなんだか心が落ち着かない。時間を見ようとしたときに、ふっと手首を見て「あぁないんだ……」と打ちひしがれる。
どうしてつけなくなったか覚えていないのですが、当たり前だけどつけないので「忘れる」っていうことはないから、心がざわざわすることもない。
大事に大事にしているそのこだわり、実は自分を窮屈にしているのかもしれません。
最後に
とはいいつつ、こだわりを捨てたら、つまらない人間になってしまうのでは?という疑問が浮かびます。
それでも、ひょんなことで出会えた「こだわりを見直してみる」ということにもう少し向き合ってみたいと思います。
モノだったら次は、ジェットストリームのペンかな〜。ノートと違って芯を変えればずっと同じものをつかえるので、こだわりだけじゃなくて愛着もあるな…!それでは!
✎追記
今朝、ちょうどこだわりに関する記事を読んで、こだわりを捨てたらつまらない人間になるのでは?という疑問に対する自分なりの納得を見つけました。
こだわりを持たないというとその場に流れ流されというイメージがあるけれど、今回ノートを辞めて感じたのは、その場に応じて気持ちの良い方向に柔軟に変化したい、ということ。
こだわりがあってもなくても、それが良い悪いではなく、要はそこに自分の意思があるかどうか。それが大事。スッキリした朝でした!今日もがんばりましょう!