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︎「貴方のことがわからない」って、ある意味相手への尊敬ですよね。
こんばんは〜〜〜。
眠れない夜を過ごしております〜みやです〜。
最近書きたいことがたくさんあって、「noteに書きたいメモ」が渋滞してます。
少しずつ消費しなければ…✍️
私には、このnoteの存在を教えている唯一の友人がいるんですけれども、その子に私の「noteに書きたいメモ」を見せたところ、「これ読みたい!」と言ってくれたものがいくつかありましたので、その記事から順に書いていこっかな〜と思っております。
それでは、いってみよ〜う(^^)
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さて。
今回の題名、ちょっと長めです。
『「貴方のことがわからない」って、ある意味相手への尊敬ですよね。』
これ、実は高校の倫理の先生の言葉なんです。
(何度か私のnoteにも出てきている先生です。)
ある日の授業中、先生が突然気がついたようにこの言葉を仰ったんですよね。
授業内容には全く関係ないし、先生が急に口走ったものだから、みんなぽかんとしていたんですけど(私も)、なんだかすごく自分の心に刺さって、思わずノートの端っこに書き留めました。
先生はその後すぐに授業を再開してしまったので、この言葉について深く考えることはなく、その時間は終わりました。
そして、ノートの端にこの言葉を残したまま、その真意を理解することなく私は高校生活を終えました。
「貴方のことがわからない」って、ある意味相手への尊敬ですよね。
私がこの言葉の意味を理解できた(ように思った)のは、本当につい最近のことなのです。
またまたド鬱の頃の話になってしまうんですけど…
休職をしてすごく気持ちが落ちていた時、しんどいなぁ、辛いなぁ、死にたいなぁ…って永遠に考え続けてる私に対して、
「みやちゃんの気持ち、よくわかるよ。」
って声をかけてくれた人が何人かいたんですよね。
その人たちに悪意なんてなくて、むしろ私を元気づけようとして言ってくれたのはよくわかるんです。
でもあの時、全くもって余裕のなかった私は、この「わかるよ」っていう言葉を素直に受け取れませんでした。
一体どんなことを心の中で思っていたかというと…
「私が今感じている苦しみは私だけのもので、同じ人生を歩んでいないあなたが想像できるようなものではないし、ましてや理解されることなんて一生無いだろう。」
…なーんてことを思ってました。サイテーです。
「わかるよ」と人から言われるたび、
「私という人間性をそう簡単にわかられてたまるかよ!!!」って、今にも人を殺しそうな目をしてました。
中島みゆきの歌の歌詞にもありますよね。
君のこころがわかると容易く誓える男に女は何故ついていくのだろう。そして泣くのだろう。
君のこころがわかるよと容易くいう男にいい男なんて居ません。
人は誰かに自分のことをわかってほしいと思っているから、ついつい引っ掛かってしまいそうになるけど…
これまで生きてきてわかったこと。
ほんとの気持ちなんて、その人自身しか知り得ないんです。
自分の気持ちは、自分でしか理解できないんです。
どれだけ言葉を尽くしたって、人の心に直接触れることはできないんです。いつも必ず言葉の膜が隙間に入り込んでしまうから。
鬱の頃の自分を本当の意味で支えてくれたのは、そういうことを真に理解している人たちでした。
人の心って全然シンプルじゃなくて、すごくすごく複雑なものだし、感じ方や考え方って人の数だけあるものだから、「理解する」って途轍もなく難しいし、きっと不可能なんですよね。
大学の頃、文化人類学を専攻していたんですけど、当時のゼミの先生が言っていたことを思い出します。
「他者理解なんて、本当の意味では実は不可能なんです。理解できそうだと思っても、理解できずに突き放される。大切なのは、たとえ理解できなかったとしても理解しようとする姿勢を決して失わないことです。」
相手のことを理解するって、まずは「自分と相手は違う人間であり、理解し合うことは難しい」ということを認識することから始まるんではなかろうか。
本当の部分で私たちは互いに理解し合えないことを知ってなお、理解しようとし続けることなのではなかろうか。
だから、簡単に「わかるよ」なんて言えちゃう人は信用できないわぁと私は思っちゃいます。
自分の尺度で勝手にわかった気でいるうちは、他者理解に至れないんじゃないかな。
「貴方のことがわからない」って、実は「貴方のことがわかるよ」って言葉よりもはるかに相手のことを思い遣った言葉なのかもしれないですね。
先生、あの日先生が何気なく口にした言葉は、大人になった今でも色褪せることなく、私の中に息づいています。
きっともう言った本人も覚えていないような言葉だと思いますが、深く考えさせられる、私にとって大切な言葉の一つです。
…私もまた先生になった時は、いつ誰が覚えているかわからないから授業中の発言には気をつけよう…。